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JunjiHattori

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 さてさて「邪馬台国発見の旅」の出発点は、楽浪郡と帯方郡だ。これは誰でも知っていることだ。そして帯方郡は朝鮮にあって、その場所は朝鮮半島のソウル近辺だと。……ちょっと待った! 違う違う。これが大間違いのはじまりなのである。
 現在の朝鮮半島が「朝鮮」とか「韓」と呼ばれるようになったのは14世紀になってからなのだ。正確には、明(みん)の太祖の洪武25年、西暦では1300年代の初め頃だ。明史巻三本紀第三太祖の記述中に、「高麗李成桂幽其主瑶而自立以国人表来請命詔聴之更其国号曰朝鮮」とある。「高麗の李成桂その主瑶を幽して自立す。国人、表を以て来り命を請う。詔(みことのり)して之を聴き、その国号を更めて朝鮮という」、つまり、高麗末期、明の太祖が李成桂に与えた国号が「朝鮮」ということで、今の朝鮮半島が「朝鮮」と呼ばれたのは、14世紀初頭のこの時からだった。これ以前は「朝鮮」とか「韓」と呼ばれた場所は、別の場所にあったのである。

 3世紀のことを書いた『魏志倭人伝』を読み解くのに14世紀の地図を使っていたのでは、邪馬台国はいつまでたっても発見できない。旧来の定説は、古代の朝鮮を何の疑いもなく現在の朝鮮半島に当てはめて語っていた。だから旧来の説は、その出発点からして誤断にもとづく謬説であるといわざるをえない。
 ではいったい、朝鮮は、そして、帯方郡や楽浪郡は何処にあったか? ということが問題になってくる。
 古代中国に関する膨大な文献を丹念にたどってみると「朝鮮」と指称した場所は、遼河の東・遼陽・開原・瀋陽方面にあった。つまり今日の「遼寧省東部一帯」に「朝鮮」と称された古代国家は存在していたのである。たとえば後漢書巻一の光武帝紀には「楽浪は郡、もとの朝鮮国なり。遼東にあり」と明確に書いてある。この朝鮮を征服し、楽浪郡をはじめとする四つの郡を設置し、朝鮮を直接統治下においたのが漢の武帝であった。紀元前108年のことである。したがって、漢の楽浪郡は今日の満洲に存在していたのであり、現在の朝鮮半島では断じてないのである。
 「帯方郡」は楽浪郡の南方に分治された郡であるから、その所在は現在の遼東半島ということになる。この遼東半島にあった帯方郡から『魏志倭人伝』に従って邪馬台国を目指すと、決して日本列島に到着することはない! 邪馬台国は、日本ではない所の、別の「倭人の国邑」にあったのである。よって、畿内説も九州説も錯覚にもとづいた誤謬の説なのである。のみならず、壮大な歴史の流れを小さな日本列島の中に矮小化するところのタコツボ的な歴史観と言わねばならない。

 中国の史書中には「韓伝」と称すものがあり、「韓」が楽浪・帯方2郡の南方に存在したことを伝えている。この韓とは、馬韓・辰韓・弁韓の「三韓」で『魏志韓伝』の記載では楽浪郡の南に位置していた。
 韓伝には「韓の南、倭と接す」という記事がある。三国志魏書韓伝では、倭が韓に「界接」しているとも記載されている。「界接」とは、境界を接しているということである。これが『魏志倭人伝』では「倭は帯方の東南海中」に存在していたとあるのだから、総合すると、倭は、黄海を囲む陸地の広範な区域を指すものと解釈すべきであろう。『邪馬台国』はこの広範な地域のある一地方に存在していたのである。
 注目すべき説がある。耶馬とは祁馬で、祁馬は蓋馬と順々に転訛されてきたことを文献的に証明したうえで、邪馬台国は、実は「蓋馬国」という国のことであるというのである。この説については、またの機会に述べたいが、この蓋馬国は4世紀まで実在し消滅している。となると「謎の4世紀」は決して謎ではない。
 最後に、大問題の女王卑弥呼についてであるが、『晋書』巻九十七四夷伝に、「その女王の名を卑弥呼という。宣帝の平らぐ公孫氏なり……」と記載されている。すなわち、「卑弥呼は公孫氏の係累である」 と明記されているのだ。四夷伝の記述は他の倭伝中の記述と前後は同じである。だが、諸多の倭人伝が遺漏したと思われる記述を見事に載せている。正に御撰なのである。なお、上記の宣帝とは司馬仲達である。こういう重大な記述を日本の歴史学者は何故に注目しないのであろうか? 
 「蓋馬国」も「公孫氏」の勢力圏内にあったというのに……。

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