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6/15(土) ニュース

2013/6/15(土) ニュース

<今日のツイートテレビニュースの話題>
                                                                                                                    Font MSP ゴシック サイズ11

2013/6/15(土) ツイートTV


1 今や天皇を操るのはオランダ在住の小和田家だった
2 子宮頸がんワクチン中止でも反省せず金融マフィアの左右手
3 柔軟になってきたイラン中国の欧米金融マフィア対策
4 いまだに日本の闇でうごめくサンカの人達
5 ワタミ・ユニクロ 創価オウムの影で蠢くブラック企業?
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<ニュースウォッチ12:今日のニュース>
1 今や天皇を操るのはオランダ在住の小和田家だった


2013/6/15(土) 概要 今や天皇を操るのはオランダ在住の小和田家だった
2013/6/15(土) ツイートテレビ ニュース 概要 今や 天皇を操る オランダ在住 小和田家だった





おっスゴイ!宮内庁を操るオランダ在住の小和田家か?不倫堕胎の体でありながら結婚し皇太子に文句か?
ネトウヨ速報【皇室】「皇后にふさわしいのは “雅子妃38%” ”紀子62%”」
――皇太子ご夫妻ご成婚20周年で週刊文春がアンケート調査


http://uyosoku.com/archives/28335573.html



おー、さすが!一市民を斬るTさんの小沢裁判を俯瞰しての推理!社会を操るスピンドクター達の狙いはそこ。蛇足ながら最高裁TOPはロシア正教の洗礼が必須と聞いた「6月14日最高検は「捏造報告書」漏えい者の処分なし!積極的に流出させたのか!
http://civilopinions.main.jp/2013/06/614.html


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再生リスト:「国民の生活が第一」を支援する市民大集会 2012/9/1
http://www.youtube.com/playlist?list=PL2617FA4CFF36F3C5


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今日のイベント
原発関連:集会・イベント情報、Ustream番組表
http://2011shinsai.info/event/

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閑話休題

ツイッターの流行がわかる日刊ツイッターランキング 
http://twinavi.jp/news/daily?ref=top

今、話題の動画のランキング tweetmovie ツイートムービー 
http://tweetmovie.jp/

NAVERタブーまとめ

http://matome.naver.jp/topic/1LwS6







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<<日本 クローズアップ現代:国内の話題>
2 子宮頸がんワクチン中止でも反省せず金融マフィアの左右手

2013/6/15 子宮頸がんワクチン中止でも反省せず金融マフィアの左右手
クローズアップ現代 日本 国内問題 クロ現 子宮頸がんワクチン中止 反省せず 金融マフィア 左右手




コスタリカ共和村  山下 由佳 ‏@costarica0012 1時間
子宮頸がんワクチン 接種呼びかけ中止へ NHKニュース http://nhk.jp/N47y6QMY

高知新聞社は、社説で、子宮頸がんワクチン公費助成を推奨しておいて、反省の弁なし。まだ、高知県内、全ての自治体が、公費助成しているんだ。この後始末をどうするつもりなんだ電話する


服部順治 ‏@JunjiHattori 現在
おっと忘れちゃいけない!自公と共産ら金融マフィアの右手左手の反省の弁も
@costarica0012 子宮頸がんワクチン 接種呼びかけ中止へ NHKニュース

http://nhk.jp/N47y6QMY

公費助成を推奨しておいて反省の弁なし。まだ高知県内、全ての自治体が公費助成




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子宮頸がんワクチン 接種呼びかけ中止へ
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130614/k10015313101000.html

子宮頸(けい)がんワクチンについて厚生労働省の専門家会議は、「接種のあと原因不明の体中の痛みを訴えるケースが30例以上報告され、回復していない例もある」などとして、積極的に接種を呼びかけるのを、一時中止すべきだという意見をまとめました。
厚生労働省は、近く全国の自治体に対して積極的に接種を呼びかけるのを中止するよう求めることにしています。

これは14日に開かれた、厚生労働省のワクチンの安全性を検討する専門家会議で決まったものです。
会議では、ことし4月に法律に基づく定期接種に追加され、小学6年生から高校1年生までの女子を対象に接種が行われている子宮頸がんワクチンについて議論が行われました。
この中で、接種したあと体中の痛みを訴えるケースが33例あり、このうち8例は回復していないことが報告され、専門家会議は「接種との因果関係も否定できない」と判断しました。
そのうえで、接種は継続するものの、「体中の痛みを訴えるケースは原因不明のため、国民に注意点を説明することができない」として、積極的に接種を呼びかけるのを、一時中止すべきだという意見をまとめました。
これを受けて厚生労働省は、近く全国の自治体に対して対象者に積極的に接種を呼びかけるのを中止するよう求めることにしています。
国が定期接種の対象としているワクチンについて接種の呼びかけを中止するのは、平成17年の日本脳炎のワクチン以来2回目で、極めて異例です。
厚生労働省によりますと、接種を希望する人に対しては、これまでどおり公費で接種が受けられるほか、副作用の被害が認められた際の救済制度の対象になるということです。
専門家会議の座長で、国際医療福祉大学の桃井眞里子副学長は「臨床試験のときには分からなかった全身の慢性の痛みが二桁程度でていて、未回復のものもあることを重視した結果だ。安全性に問題があるという判断ではなく、国民に対して責任ある対応をするために情報収集を行い、再び積極的な勧奨ができる状態にしていくということだと理解してほしい。がん予防のメリットを選びたい人については接種してもらっても構わない」と話していました。
子宮頸がんワクチンで重い副作用が起きたと訴えている子どもの保護者などで作る連絡会の代表で、東京・杉並区の松藤美香さんは「積極的な勧奨を差し控えるという結論は、接種を受けるかどうかは親の判断に任せてもらえるということで、ありがたい。会議では子どもたちの症状に対する調査も行うとされており、子どもたちが苦しんでいるなかで治療を考えていくという方針は大きな一歩だ」と話していました。


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<世界 クローズアップ現代:海外の話題>
3 柔軟になってきたイラン中国の欧米金融マフィア対策


2013/6/15 柔軟になってきたイラン中国の欧米金融マフィア対策
クローズアップ現代 世界 クロ現 海外問題 柔軟になってきた イラン 中国 欧米金融マフィア 対策




最新ニュース速報 ‏@SNS_2 13時間
アメリカのオバマ大統領と中国の習近平国家主席が、今月、異例の長時間の首脳会談を行い、戦略的な協力関係を強化していく方針を打ち出したことについて、アメリカ政府の高官は「米中関係が前向きに動くことは日本にとってもよいことだ」...


http://bit.ly/12t9yXA


ロシア大統領、「イランはNPTを遵守している」


http://japanese.irib.ir/news/nuclear-power/item/37898-%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98%E3%80%81%E3%80%8C%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%81%AF%EF%BD%8E%EF%BD%90%EF%BD%94%E3%82%92%E9%81%B5%E5%AE%88%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%8D

ロシアのプーチン大統領が、「イランはNPT核兵器不拡散条約の取り決めを遵守している」と述べています。

プーチン大統領は、11日火曜、ロシアトゥデイのインタビューで、「イランの核活動に関して西側が主張していることを証明するものは一切存在しない」と語りました。
さらに、IAEA国際原子力機関の最近の報告を引用し、イランの核活動の平和性を強調しました。
また、「イランはこれに関して、法規を守っているのは間違いない。なぜならその逆も証明されていないからである」と語りました。
アメリカ、シオニスト政権イスラエル、一部の同盟国は何度となく、イランは核開発において軍事目的を追求していると非難し、非合法の制裁行使の口実として、イランに対する根拠のない非難を行っています。
イランはこれらの非難を否定すると共に、NPTの署名国、IAEA国際原子力機関の加盟国として、核技術を平和利用する権利を有しています。
これに加えて、IAEAはイランの核施設をたびたび査察していますが、この中で、イランの核活動が核兵器に向かっていることを示す証拠は一切見つかっていないとしています。

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服部順治 ‏@JunjiHattori 2時間
おっ、いいタイミングですね!欧米金融マフィアの洗脳をまず解かないことには前に進めない。日本の天皇を中心にした真実の歴史も見直さないといけないけどね。
@nak4680 アサド・シリアの真実 #assad #syria


http://www.youtube.com/watch?v=J6EmN_9pg4M&list=PL49ABAB0EB9FE64F9&index=6 …






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イランの人々が勝利した!
http://touji-shabeyalda.blogspot.jp/2013/06/blog-post_15.html?spref=tw


2013年6月15日土曜日

イランの人々が勝利した!
イラン大統領選挙の結果はまだ発表されていない。
しかし、誰が当選したとしても我々国民が勝利した!
イスラム共和国体制のトップのハメネイに初めて「体制を支持しない人の存在を認めさせた」。彼は選挙前の最後の演説で「反体制派であっても選挙に参加してほしい」と話したことをはじめ、保守派とされている人たちでさえも、イランの国際社会での望ましくない状況を認めた。


昨日、私のイラン大使館へ投票へ行った。初めて「ありがとうございます!」と言われた!イラン大使館へ入るさい、イラン国へ入るときと同じように女性がスカーフを被るべきだが、私は抗議の意味で被らないままで投票していたなかでのありがとうだった!それに、抗議の意味で服の色にも表していた。2009年大統領選挙で不正を行い、100人以上が殺され、公式発表で1万2000人が拘束され今なおの刑務所にいる人たち、今なお自宅軟禁されている立候補者ら「ムサビと婦人のラフナバルド」と「キャッルビ」のシンボル運動カラーである緑色の服を着ていたし、バンドも手にしていたそれでも、「ありがとうございます!」でした。

期待もこめているけど、今回の大統領選挙で不正がないだろう。元革命防衛隊長がいるとか、元治安関係トップがいるとか、どの候補者も選挙結果をみはれる組織を持っている。2009年の選挙のニノマイにならないだろう。

この話を16日、日曜日の19時からのBS151の朝日、世界の今という番組でも言う。

われわれは無限だ!われわれは勝利した!

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<追跡!真相ゼロtoZ>
~ゼロの意味する原点の意味の原因を探り
 定量的、科学的にZの行き着く先の真相に迫る~

4 いまだに日本の闇でうごめくサンカの人達

2013/6/15 いまだに日本の闇でうごめくサンカの人達
追跡 真相 ゼロtoZ いまだに 日本の闇 うごめく サンカの人達



服部順治 ‏@JunjiHattori 9時間
今も政治に活躍している日本のジプシー、サンカ族?中央集権的な渡来系の古代ユダヤ人(実はシュメール由来)とまつろわない、坂の者とも呼ばれ、それが語源となった1万年続いた縄文系日本先住民(カンジン)。秀吉、蜂須賀、加藤清正ら。戦後1万人も
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/nihonshinwaco/izumoootyoco/onico/sankaco/what.html …


服部順治 ‏@JunjiHattori 8時間
サンカに関して一番、気になるのが昭和3年東京の隅田川一により設立されたサンカ秘密結社シノガラ。岸一族、天皇家に次ぐ資産をスイス銀行に隠し、昭和36年時点で3分の1は官僚、学者、財界人ら。金融マフィアとして暗躍してるのか?それとも・・
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/nihonshinwaco/izumoootyoco/onico/sankaco/what.html …


服部順治 ‏@JunjiHattori 8時間
芸能ネタだけど、五木ひろしが有名になったのは、3度目の芸名を変えた時:作詞家の山口洋子があのサンカの賛歌小説「風の王国」を書いた五木寛之からその名前をもらった。1950年代に消えたというサンカの人達が未だこの日本の根幹に生きる証しか?


http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/nihonshinwaco/izumoootyoco/onico/sankaco/what.html
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サンカとは

http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/nihonshinwaco/izumoootyoco/onico/sankaco/what.html



(れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、サンカについて確認しておく。日本史の裏の流れを知る為に必要と気がついたからである。「ウィキペディア・サンカ (民俗学)」、「サンカ(山窩)とは」、「51.戸籍を持たない「日本国民」~日本のジプシー「サンカ」 (1999.4.7)」、「家康サンカ説・八切史学概説・信長考・真書太閤記考、その他」、「サンカ(山窩)を考える」、「サンカについて語ろう」等を参照しつつ、れんだいこ史観で纏める。今後、更に書き込みして行くことにする。

 2011.01.30日 れんだいこ拝

【サンカ族の定義】
 サンカのルーツを廻って1・古代難民説、2・中世難民説、3・近世難民説諸説がある。 れんだいこ史観によれば、1・古代難民説が良い見当ではないかと思う。即ち、サンカとは、古代史上の最大政変即ち出雲-三輪王朝から大和王朝への国譲り政変の過程で地下に潜った出雲-三輪王朝派の一派で、大和王朝以降の時の権力の支配にまつろわぬ特殊な系統ではないかと考えられる。サンカ伝承で出雲の国津神を祖としているとあるのが、これを裏付ける。と云うことは各地の鬼伝説、天狗伝説と重なることになるのではなかろうか。


 「農耕せず、定住せず、政治権力に服従しない民」と評されているが、この経緯に淵源があるのではなかろうか。いわば原日本人(あるいは縄文人)出雲-三輪王朝系譜の流民と云うことになる。この流民は国譲り政変以来、人里離れた山間地に住み、独自の生活圏をつくって居たのではなかろうか。その生態は、江戸時代の身分制に於けるエタ(特殊部落民)、非人とも似て非なる系統で、そもそも身分制に出てこない「無籍型隠れ民」であるところに特徴が認められる。

 サンカの生息域は広く北は青森の下北半島から、南は鹿児島の大隅半島に至る日本列島の脊梁山脈や高地をテリトリーとする主として「山の民」と考えられる。古代史上の国譲り政変から考えると、明治維新後の解体までの期間の1500年余を生き延びてきたことになる。サンカは徹底的に公民化を拒否し、表に出ない形でネットワークを形成していた。常に体制(国家)に所属せず、人別帳や戸籍に登録されない、届け出しないいわゆる不祥の民と云うことになる。いわば、国家の中にあって国家権力の枠の外にある自立した漂白共同自活集団とでもいうべき存在であり、「日本人でありながら戸籍を持たない日本人」、「日本の漂泊ジプシー」と云われるアウトローの存在であった。

 サンカが謎であるのは、サンカ自身が自らの存在を公にせず隠然と世を忍んできたことによる。一般の家系図や由来書にあたるものを持たなかった。仮にあったとしても門外不出であり、あるいは口伝によったものと思われる。これによりサンカ研究が意図的故意に為されにくい状況が生み出された。これが第一の理由と考えられる。


 「皇統と鵺の影人検索キーワードダイジェスト集」の「山窩(サンカ・サンガ)」は次のように記している。
 「元々の列島の先住民・蝦夷(えみし/縄文人)は調和の民で、自然と調和し互いに調和して暮らしていた。そこへ破壊混乱の氏族が武力を持って征服に来た。この時から、まったく違う価値観を持った氏族と良民(民人)・非人(賎人)、つまり破壊混乱の氏族と調和の民が同居する二重国家体制の日本列島が徐々に形ち作られて行く事に成る。日本人は、原日本人系縄文人と比較的後期の渡来系との同化二重構造の中で、混血が今でもまだ続いている。日本列島の原日本人系縄文人(原ポリネシア系)が「自然共生主義」である所から、その信仰基盤に自然神が多数存在し、後期の渡来系が同化に際ししてそれを採用(治世に利用)して八百万(やおよろず)の神が成立した。その混血同化の証明が、ミトコンドリアDNA分析である。アイヌの人々と沖縄の人々が、人類学的にも分析でも、「縄文人に近くて近縁関係にある」と証明されてはいるが、少なくとも一万二千年以上前には、「別の集団として存在していた」と見られる。「原日本人系縄文人に近い」とされているアイヌ系と沖縄系に多いタイプの割合が原ポリネシア系であり、日本本土では約二十四%、韓国では約十九%、中国では約十二%である。

 わが国には、古来から人別にも記載されない山窩(サンカ・サンガ)と呼ばれる山の民(非定住民・狩猟遊民)が居る。明治維新以後に戸籍(壬申戸籍 /じんしんこせき)をつくるまで、山窩(サンカ・サンガ)は、治世の外に存在した自由民であった。この山窩(サンカ・サンガ)は、九州から東北地方まで分布している所から、比較的後期の渡来系勢力に押されて、同化を拒み、山中に逃げ延びた「内地の原日本人系縄文人(原ポリネシア系)の一部ではないか」と考えられる。つまり、先住民族(鵺、土蜘蛛、鬼、の類)の同化から取り残された残存の一部が、山窩(サンカ・サンガ)でないと、存在の理由が見当たらないのである。

 勿論、山窩(サンカ・サンガ)にも渡来系勢力との接触はあるから、完全に文明から取り残された訳ではない。山に篭った群れ、平地に降りて来て一郭に集団で居留したもの、その中間の存在もあった筈である。戦国期~安土桃山期に伸し上がった土木工事や築城術、土木戦術、輜重(しちょう/後方支援)運輸術など異能の勢力が、豊臣秀吉を始めとする蜂須賀正勝(小六)、加藤清正、藤堂高虎などの別の素性を出自とする土豪集団が一大勢力を築いた事も、彼らが平地に降りて来た山窩(サンカ・サンガ)集団からの出自を疑わせが、その話は追々語る事にしよう。そして彼ら山に篭った群れの純粋な山窩(サンカ・サンガ)の生活にも、文明や道具の一部は取り入れられたが、生活様式だけは頑なに守って独自の生活圏を山岳地帯につくり、言わば祭らわぬ人々(統治されざる人々)として存在し、それが明治維新の少し後まで無人別集団として存在して居たのである」。【第四巻】に飛ぶ。
 「サンカ(山窩)を考える」の「サンカの源流と起源」は次のように述べている。
 「僕としては縄文から弥生時代、さらに大和中央集権国家へと推移する中、監理、統制され、支配されることを拒んだ原住民、先住民が源流ではないかと思っています。そこに大陸からの渡来人(ユダヤ人の可能性もあると思う)で中央集権国家を形成したグループとは違うグループ(価値観、信仰が違ったのか、それとも政治的、軍事的敗者なのかはわかりません)と混じり合ったのが大体の起源ではないかと思っています。本来、敗者や異民族に対して包容力がある縄文の流れを汲む集団は、それらの人々を内包し、闇に潜むことで神代の魂を近代まで守り続けたのではないかと、日本特有の文化の担い手になることで、そして時折時代の節目に出てきては、日本の方向性を変えていた形跡を感じさせることもあります。民俗学の大家である柳田国男氏は、若い頃の主要な関心はサンカをはじめ被差別 部落などに向けられていて、彼等、被差別民の民俗は、日本列島の文化の古層に属する重要な残留物を表示していると指摘しています」。
 「サンカ(山窩)を考える」の「南朝とサンカの追記」は次のように述べている。
 「僕の知人である、言霊に通じた人との共通の認識として、日本には太古、知られざる文明があり、その文明を断片的に受け継いだのが縄文?出雲族?の人達で、そして、その文明を目指して幾つかの民族が渡来し、縄文人と平和的 に融合したのがサンカを始めとした山の民のルーツではないかとの話を、信頼している方に話したところ【日本に「古事記」や「日本書紀」以前の文明があったのは、間違いないですね。 「知られざる文明」というより、 意図的に「隠された文明」と見ていますが、「竹内文書」や「宮下文書」を調べれば、 面白いことがわかるかもしれません。 「秦氏」や失われた「十(十二~十三?)支族」に言及すると、 熊野ライフの品格を下げることになるかもしれませんね……。 少なくとも今の日本と、ユダヤ教徒国家イスラエルでは、 直接的には何の関係もないので、ページでは説明に時間がかかります。 古代ユダヤ人というより、シュメールからの流れは、 日本の成り立ちと深い関係がありますね……。 ただ、シュメール神話は、聖書や他の影響力ある書物と同じく、 為政者によって改竄されているので、 「ニビル」や「アヌンナキ」の話など、鵜呑みにしない方がよいと思います。】 との答えがかえってきました。その意図的に隠された文明を継承していたのがサンカの人達をはじめとした山の民であったと僕は感じています」。
 喜田貞吉氏の「サンカ者名義考」は次のように記している。
 「坂の者と云ひ、川原者といふは、共に其の住居の有様から得た名で、蓋し市街地又は田園等に利用すべき平地に住むを得ず、僅に京都附近の空閑の荒地を求めて住みついた落伍者の謂であつた。 而して掃除・警固・遊芸其の他の雑職に従事し、或は日雇取を業として居つたものであつた。 是等の徒は地方によつて、或は山の者・谷の者・野の者・島の者・堤下(どてした)などとも呼ばれて居るが、いづれも皆同一理由から得た名と解せられる。其の坂の者といふ名も、必ずしも京の五条坂の部族のみに限つた訳ではない。蔭涼軒日録文正元年二月八日条には、有馬温泉場の坂の者の名も見え、 大乗院寺社雑事記には応仁・文明頃の奈良符坂寄人(ふさかよりうど)の事を坂衆・坂座衆、或は坂者などとも書いてある。 斯く地方によつて種々の名称があるにしても、結局は同情すべき社会の落伍者等が、都邑附近の空閑の地に住みついて、種々の賎職に其の生活を求めたものであつて、特に京都では坂の者・河原者の名で知られ、それが通じてはヱタとも、非人とも呼ばれて居たものであつたのである。 而して其の称呼は時に彼此相通用し、其の実河原者をも屡坂の者と呼び、坂の者をも或は河原者と呼ぶ事にもなつたらしい。然るに後世では次第に其の分業の色彩が濃厚となつて、河原者の名が其の実河原住居ならぬ俳優のみの称呼となつたが様に、 坂の者の名がサンカモノと訛つて、特に漂泊的賎者の名として用ひられることになつたのであらう。 賎者の名称が同じ程度の他のものに移り行く事は、もと主鷹司の雑戸なる餌取(えとり)の名が、ヱタと訛つて浄人(きよめ)・河原者等にも及び、はては死牛馬取扱業者にのみ限られる様になつた例もある。 真の京都の坂の者の後裔は《つるめそ》の名を以てのみ呼ばれて、本来の坂の者の称を失ひ、却つて其転訛たるサンカモノの名が、別の意味に於て用ひられる様になつたのも、必ずしも敢て不思議とする程ではない。 かくて近時に至つては、オゲ・ポンスケなど呼ばれた他の地方の漂泊民にまで、其の名が広く普及しつゝあるのである」。
【サンカ族の生業】
 サンカの民の生業としてよく挙げられるのは川漁漁、箕(み。ざるのような形をしていて穀物を脱穀し、可食部分と殻を分ける道具)、蓑(みの、雨合羽)、笊(ザル)、竹細工、竿、笛、手袋、ささら、茶筅(ちゃせん)づくり等々である。 複数の素材で造られた高度な知識と技術を要求された製品であるところに特徴がある。他にも木地師(きぢし、ロクロ師)と云われる木工製造、蹈鞴師(タタラ)と云われる鍛冶屋、狩人(マタギ)、樵(キコリ、木挽き)、漆屋、炭焼き、鋳掛屋(ふいご)、研屋(けんど)、山守(やもり)、田畑守(のもり)、川守(かもり)、獅子、たまい、猿舞い、猿女などの遊芸者、呪術的宗教者、巫女、渡り商人等々多岐にわたる。明治新政府の刑事政策では「川魚漁をし、竹細工もする、漂泊民」と規定されている。

 要するに、農耕社会の裏側で補足潤滑する職業で生計を立てていたと推定される。注目すべきは山と里との互いの「テリトリー」(生活圏と職業)を侵すことなく平和的に共存してきたことである。ここに、まことに日本的な和合ぶりが見て取れる。
【サンカ族の衣食住】
 食は米を主食とせず、古来からの食事法である山野海の産物を組み合わせ、蕎麦やうどんを主食とするとともに川魚、小鳥、山菜とくに自然薯(じねんじょ)などを食べた。独特の優れた調理炊事法による食生活を確立していた。例えば「焼石料理」がその例で歴然としたサンカ料理である。

 住居は「せぶり」と呼ばれる移動式天幕(テント)を山裾や河原などの水の便のよい所に南向きに張り、テントの中央には炉を切り、テンジン(天人) とよぶ自在鉤を下げ、テンジンとウメガイとよぶ短刀の使用はサンカの証とされた。テント住まいのほか洞穴を利用したり簡単な小屋掛けをするものもあった。地面を掘った穴の中に天幕を敷き、そこにためた水の中に焼けた石を投げ込んで湯をつくり入浴する方法や、地面を焼いてその余熱で暖をとるなどの古い習俗も伝えている。
【サンカ族の家族紐帯、婚姻制度】
 出産前後の儀礼がほとんどなく血忌みに対する観念の希薄さも特色といえる。家族6~7人、5家族くらいの単位で講をつくっていた。 

 「サンカ(山窩)を考える」の「サンカの掟(ハタムラ)」は次のように述べている。
 「サンカの社会は、彼等独自のもので、アユタチと呼ばれる大親分(おおやぞう)を頂点に、クズシリ、クズコ、ムレコの各親分(やぞう)が、 各地のセブリを取り仕切り、その生活は、彼等が理想とする誇り高き社会を守るために、独自の掟(ハタムラ)によって厳しく規定されていたと言われています。 結婚により彼等は親兄弟と離別し、独立のセブリで独立の生業(なりわい)をすることを決められています。 そして掟(ハタムラ)では、ひとたび関係のできた男女は夫婦(ツルミ)とならねばならぬ し、 ツルミとなった以上は、如何なる不正な関係も断じて許されないということです。映画「瀬降り物語」ではそう語られていますが、本当のところは分かりません。ただサンカの人達の夫婦の結びつきは強く、病身の妻を最後まで夫が甲斐甲斐しく看病した話しや、男尊女卑的な考えはあまり無かったようです。神示などの教えには「神界の乱れ、イロからじゃと申してあろう。男女関係が世の乱れであるぞ。お互いに魂のやりとりであるぞ。」との言葉がありますが、かなり自由に生きていたと思われるサンカの人々ですが、人間として守らねばならぬ 掟に対しては厳格であったのかも知れません」。
【サンカ族の語源、各種呼称、漢字表記】
 サンカの語源はいろいろあるが、サンケチ(三つの職掌区分)からきたとする説もある。様々な呼び名で云い表わされている。漢字では「山窩」、「山家」、「三家」、「散家」などと表記される。現存する古文書によれば、最初に「サンカ」と表記したのは、広島藩の郡役所。安芸国山県郡の安政2(1855)年の庄屋文書に「サンカ」という文言が出ている。維新後の 邏卒文書に「山窩」と表記されるようになった。和語では、ポン、カメツリ、ミナオシ、ミツクリ、テンバ(転場)、ホイト、カンジンなど地方によってさまざまに呼ばれている。その言葉が指し示す範囲は、時代や使用者によって大きく変わり語義を明確にすることは難しい。「サンカ」という言葉は、江戸時代末期(幕末)の広島を中心とした中国地方の文書にあらわれるのが最初である(ただし、それよりもさかのぼるとする意見もある)。幕末期の時代においては、サンカの呼称は西日本に限られたとされている。
【サンカ族の言語】
 サンカは独特の隠語を喋り、いわゆる神代文字であるサンカ文字を使用する。サンカ文字の一例が次のように図示されている。

 
 この「サンカ文字」は、「古史古伝」の竹内文書に登場する象形文字や、上記(ウエツフミ)に登場する「豊国(トヨクニ)文字」と酷似しており、同起源・同系統の文字であることが判明する。(上記は豊後(ぶんご)国守・大友能直(よしなお)がサンカから入手した文書を元に編纂したと云われている)。これによれば、記紀(日本書紀と古事記)に代表される「官製史書」とは異なる歴史観を記した竹内文書、上記などの「古史古伝」を伝承し続けていることになる。

 但し、日常的には土地ところの村里の言語を使っていたと考えられる。必要に応じて仲間内だけで通用する「隠語」を持ち、全国に独自のネットワーク(情報伝達網)を構築し緊密なコミュニケーションを図っていたと思われる。
【サンカ文字と古史古伝の関係】
 三角寛(本名三浦守、1903~71)が59歳の時、博士号取得のために東洋大学に提出した学位論文「サンカ社会の研究」に対して、田中勝也氏が「サンカ研究」(新泉社刊)で、上記と三角寛の関係について次のように言及している。ここに「サンカ文字と古史古伝の関係」が出てくる。
 「ちなみに、三角氏と『上記』との関係についてであるが、三角氏は戦後の昭和二十年代に氏と同郷の彫刻の大家である朝倉文夫氏から面白いから読めといわれて、『上記』を提供されたという。 これは、三角氏のお嬢さんの弘子さんが証言してくださった事実である。三角氏は『上記』について一切黙して語ってはいないが、氏がこの書物の存在を知っていたことは間違いない。 しかし、ヤキサゴにしろ、製紙技術にしろ、終戦以前はるか昔から共同体に伝えられていた技術であり、これは三角氏と『上記』との出会いとはほとんど無関係である。さらに、三角氏の報告によれば、『上記』にあらわれる異態文字と同系のいわゆるサンカ文字について、これが解読できたのは、昭和十七年のことであったという。つまり、三角氏は、『上記』に接触する以前にサンカ文字を既に知っていたわけであり、このことから、三角氏が『上記』文字を借用してサンカ文字を偽ったという解釈は成り立たないのである」(208ページ)。
【サンカ族の宗教と処世観】
 サンカは出雲-三輪王朝の謂わば縄文系の民である為、その時代に確立していた思想、宗教を継承していると考えられる。このことが、同じく出雲-三輪王朝系譜である山伏修験道信仰と繫がることになる。いわゆる古神道を保持していると思われる。これによれば、1・地球環境、自然との共生、2・共生的住み分け社会、3・質素で簡素、素朴な生活、4・本当の豊かさを知り、自由で誇り高く、弱者に対して慈しみの精神を持った生き方を目指すことになる。

 「サンカ(山窩)を考える」の「ある山林労務者の手記より」は次のように述べている。
 「この手記は知人を通じて、読むことができたものです。手記を記した方は、戦後から昭和40年代頃まで、山林労務者として、各山を転々としたようです。手記には紀伊半島を襲った大水害のことや、山での生活が記録してありました。書いた本人は、直接サンカの人達とは関係がなかったと思われますが、サンカに関しての記述がありましたので、以下抜粋させて頂きました。 【今になって思われることがある 人間は川岸を通り山に入り 家族単位で野宿同様の生活をし移動し 仲間の集会もあって法があり 山野早を食用や薬草につかいわけ 必要な時は 毒草を狩猟にもしただろう 奥谷川に魚はあふれ道具なしで 手掴かみが出来たと思う 山芋や木の実はさずかりものと大切にした 神聖な場をむやみにいためなかった 里人と交流は お互いが必要な時だけだった その種族から別 れて農耕を知り 土着したものと 元のままの生活する者とになった 子孫が歳月を経て平地の住民と山に住む山窩との区別 がついた 知らないから平地の住民は自分たちは先祖から平地の住民だと思い 山窩の人を てんばもん と言い 山窩の人は不器用な平地の住民を とうしろう と呼ぶようになった 昭和に入って日本はあっちの国にも こっちの国にも戦争をしかけ 登録した住民に召集礼状を発したが、まだ人手不足 戸籍のない山窩の人を平地へ住まわしたが 山また山の秘境の果 もあり 古き良きと舞い戻った者もあった】 サンカの人達に対して、何故に、このような認識を持っていたのかは、手記を読んだ限りでは判りませんでした」。
 「サンカ(山窩)を考える」の「サンカと縄文スピリット」は次のように述べている。
 「少し前までのこの国の歴史は、せいぜい弥生時代か、大陸から稲作などの文明が入ってきた頃からが始まりであるかのようなとらえかたをしていたように思います。弥生時代の前には一万年も続いた縄文時代がありながら、まるで故意に縄文を封印しようとしているかのように、野蛮で薄っぺらな文明しかなかったように思い込まされてきました。日本各地に残る謎の巨石遺跡や、最近になって発掘され始めた縄文時代の遺跡などにより、決して縄文時代が野蛮な時代ではなく、高度な精神性を持った豊かな時代であったことが知られるようになってきました。その縄文の精神を頑なに継承してきたのがサンカではなかったのかと考えています。勿論、縄文人がそのままサンカとなったということではなく、精神を受け継いだということです。参照【サンカの源流と起源】

 さて、その精神とは如何なるものだったのでしょうか。まず第一にいえることは、自然と人とを差別 し、人を奴隷として使役し、この国の支配者となった渡来者集団に対して服従しなかったことであり、そのために土蜘蛛、国栖、後に蝦夷などと蔑まれ、また畏れられてもきたということです。「夷をもって夷を征す」とは、自らの手を汚さず、上手く懐柔した縄文系(蝦夷と彼らと融合した渡来系の人たち)の成り上がりを利用して、支配体制を維持しようとした渡来者集団の人たちが考えたものでした。渡来者集団の巧妙な手段により、自分たちを追いやったのに服従して体制に組み込まれたり、また俘囚となった縄文系の人たちが大勢いたことだと思います。そんな中でサンカと呼ばれた人たちが最後まで縄文の魂を守り、独自の生き方を貫いてきた人たちだと思います。服従した縄文系の人たちもサンカを差別 してきたのは、服従してしまったことへのコンプレックスと憧れにもにた嫉妬心によるもののような気がします。(悪く言えば奴隷根性でしょうか)それは差別 されながらも、この国の人気者(歴史上の人物から芸能人まで)と呼ばれる人の多くがサンカを始めとした被差別 民から出ているということに現れているように思います。話しが少し脱線してしましました。その縄文の精神ですが、自然と共に生きることであり、自然の声を聞き、自分の魂の声を聞き、自分が何をしたいのか、何をすれば細胞の一つ一つが喜ぶのかを知り、それを自分で決めて、自分の責任で行動できる精神だと思います。まさにサンカのいうメンメシノギの生き方であり中央集権国家にとって都合の悪い生き方でもあります。参照【サンカの組織性】

 それに対して服従してしまった者の精神とは、自然からの声を遮断し、うちなる魂の声を無視し(それに従うのが怖いから)、上の者が決めてくれたことや大勢の人がやっていることしか安心して行動できないというものです。今地球に求められているのは、人や自然を差別 し、自分の行動に責任を持てない無責任な人たちではなく、自然の声を聞き、自分の責任を自覚し、環境のことや弱者のことを考えて行動できる人たちなのです。そのような人たちの群れない繋がりが地球を救うことになるような気がします」。
 「サンカ(山窩)を考える」の「野史呼び名辞典」は次のように述べている。
 「野史研究会理事長をなさっておられる掲示板でのハンドル名『Donglyさん』こと立田氏にリンクの紹介文をお願いしたところ次ぎの文章を頂きました。自動リンクでは掲載できる文字数に限りがあり、また非常に心に響く文章なのでここに紹介しました。
--------------------短い紹介文--------------------
 日本人の自然を愛する心のルーツをさがします。 自然をもっとも愛した人々はサンカです。木の葉、木の枝、草の間で 生まれ、水と空気で育ち、そして 大地と天空にかえっていきました。 それが喜びのすべてした。それゆえ 山の者、谷の者、川の者、野の者とも呼ばれました。女は美しく、男はたくましく。それゆえ 自然からももっとも愛されました。その喜びと悲しみの歴史を文字で表しました。 野史呼び名辞典です。
-------------------------------------------------

【 DonglyさんのHP『野史呼び名辞典ホーム』です 】」。

【サンカ族の秘密組織性】
 サンカは徹底的な秘密集団組織として生きてきた。外部の者にはけっして自分たちのことを話さず、特殊な隠語を用いて話し、他の仲間への連絡には特別の符合で書かれたアブリ出しを地面に埋めるなどして行う。その結束は固く、独自の行政・裁判法をもち、一般の倭人とは異なる習慣、信仰、伝承を維持し、しっかりとした相互扶助システムをもって全体の生活を安定させている。緩やかながら強固な組織連帯性を保持していた。全国のサンカを支配する組織の存在も伝えられていて、最高権力者であるアヤタチを頂点としてミスカシ、ツキサキ(シ)などの中央支配者がおり、各地域にはクズシリ、クズコなどの支配者が置かれ、そのもとに各地域セブリをムレコが統率したという。彼らは仲間相互の信義と義理とを道徳の第一とするとともに、外部に対しては厳しい秘密主義をとっていた。日本的な秘密結社の原型とも云える。座右の銘は、「統治されずせず。赤心同胞に捧ぐ」。

 「サンカ(山窩)を考える」の「サンカの組織性」は次のように述べている。
 「研究家によって厳格な組織が存在すると云う見解と、そのような組織は無いとする見解があります。僕は組織はあると思っています。それは起源となった大昔から綿々と続いているものかも知れませんし、社会にトケコミを強いられた中で、自らのアイデンティティと神代の魂を守る為に必然的にできたものなのかも知れません。文献によれば、乱裁道宗(アヤタチミチムネ)を頂点に透 破(ミスカシ)、突破(ツキサシ)を最高権威者とし、知事格にあたるクズシリ、郡長格のクズコ、村長格のムレコがサンカ集団を統制していたとの記述があります。(乱裁、透 破、突破の呼び方は忍者集団との共通点が指摘されていますが、忍者との関係については別 の項目にて考えたいと思います)またトケコミ三代といって、瀬降り生活を離れても三代までは同族として交流があり、三代以降は絶縁状態となるとあります。そして社会の急激な変化の中で、瀬降り生活者が絶滅の危機に瀕したことで、同族間の相互の連絡や助け合いの為に隠密族(シノガラ)と云う組織を作り、その理念として日本の根幹となることを目的としたとありますが、そのような組織の話しはどこからも聞いたことがないのが現状だと思います。しかし賤民視された人達の組織は厳にあり、裏社会、表社会に絶大なる力を誇示しているのは周知の事実としてあると言えます。それらの組織と重層するのか、まったく別 のものとして存在するのかは判りません。メンメシノギと云う サンカの言葉があります。それは各自が独裁独立自由の生活をすることで、誰にも支配されず、誰の干渉も受けず、自己の思うままに生活し、しかもサンカの仲間として自主的に掟を破ることなく自由に生きることを意味した言葉だとされています。僕はそれが一番サンカ本来の姿を表しているように思います。必然的に一部のサンカの人達が組織を継承し、叉は形成したことは充分あり得ることだと思います。しかし、大多数のサンカの人達は程度の差こそあれ、深くは組織と関係ないと思った方が自然のように思います。僕としては、進化しなければならない人類の智恵として、これからは組織は必要の無いものだと考えています。いくら崇高な理念を持って発足した組織であっても、組織が大きく力を持つようにつれて、組織の力でエゴを通 したり、利権を貪ったりするのではないかと思います。それでは本来の崇高な魂を汚し、自ら腐ってしまうのではないかと思ったりもします。しかし弱者にたいして余りにも理不尽な行いをする者に対しては、それなりに団結して退治することは是非と思います」。
【明治新政府の取り締まり】
 明治新政府の御代になって、国勢調査により戸籍が作られることになった。壬申戸籍(じんしんこせき)以来急速に整備され、これに合わせてサンカが犯罪者予備軍として位置づけられ、監視および指導の対象となり徹底的に取り締まられることになった。その理由として、「徴税や徴兵などのため、国家の近代化に伴う戸籍整備の必然性があった」と解説されているが怪しい。実際は、山伏修験道の取り締まりと軌を一にしており、国際金融資本帝国主義ネオシオニズムの日本政治容喙と共に隠然とした勢力を持つ純日本的秘密組織性を帯びていたサンカが取り締まられることになったと解すべきだろう。

 明治新政府の住民戸籍化政策によって、サンカは徐々に元の生活圏に近い集落や都市部などに吸収されたと考えられている。サンカは、徴兵、納税、義務教育の三大義務を拒否し、「まつろわぬ民」、「化外(けがい)の民」として生き延びていたが戸籍が整備され、全国民が登録される体制が整ったため、江戸時代に人別から洩れた層も明治以降の戸籍には編入されるようになったと考えるられる。これによりサンカが一般市民と混在することになった。これは同時に表向きのサンカの消滅をも意味する。

 サンカは明治期に全国で約20万人いたと云われている。昭和の戦後直後で約1万人ほど居たと推定されている。戦後は住民登録をも拒否していたが、次第に「溶け込み」化されて行き1950年代末に消えた。
【サンカの延命と消滅(溶け込み)】
 昭和3年、東京のクズシリ(頭)隅田川一を長として東京一円を中心にシノガラ(忍びのヤカラ)と名付けられるサンカ秘密結社が結成されたという。シノガラは外面的には社会での職業生活を送りながらも、サンカ一族の堅固な結束を維持する重要な役割を負って生み出されたものであった。

 昭和24年、このシノガラが中心となり、表の顔として財団法人全国蓑製作者組合が組織された。サンカ一族が出しあってつくられたアングラ・マネーとしての相互扶助のための基金の一部が組合基金として浮上することになった。この共同基金の金額は、昭和36年の時点で実に2億49万1011円となっている(当時の大学初任給は2万円)。実際の額の10分の1という見方もある。この基金はシノガラの手によって年1割2分の利回りで運用されているという。現在では基金の年々の増加と運用上の増加を考えれば、莫大な金額になっていることが予想される。また昭和57年の時点で各自が最低1000円以上を収入に応じてシノガラに収めており、総額は5兆円を越すものとされている。サンカ一族はこの資金をフルに活用し、シノガラが日本の根幹として根を張りめぐらし日本の中枢を握ることを目的としている。

 昭和36年の時点でシノガラ会員の3分の1は官公史、次いで学会人、財界人であった。優秀な頭脳が見て取れる。
【サンカと部落民の協調と確執】
 「サンカ(山窩)を考える」の「サンカの被差別性」は次のように述べている。
 「山窩の被差別性について考える時、どうしても避けて通れないのが被差別 部落との関係だと思います。ある研究家によれば、お互い緊張関係にあって敵対していたように書かれてあり、また逆に重層していた可能性があると指摘する研究家もいます。両者はあきらかに形態が違うものですが、その他の賤民視されていた人達とも源流に於いて同じ(極めて近い)ような気がします。事実としては山窩を差別 した被差別部落もあり、また山窩にしても同じ扱いをされるのを嫌い差別したことがあったようです。しかし弱者が弱者を差別 したと云うのでは、あまりにもあさはかで為政者の思うつぼであり、部分的には、お互いそのようなことはあったと思いますが、個人的には、お互いに助け合っていたと信じたい気持ちがあります。沖浦和光著[竹の民族誌]には阿多隼人の血を引く人達が南北朝動乱時代に南朝側について戦い、敗れて賤民に貶められ山深く隠れ住んでいた時に、困窮ぶりを見たサンカの人達が親切に箕作りを教えてくれたのが竹細工の始まりだとの伝承が残る被差別 部落の話しがあります。また部落ではあまり分け隔ててなくサンカの人達と接していたので近くに定着することがあったと書かれています。多数の日本人は自分達と違った生き方や理解できない者、異質な者を差別する傾向にありますが、差別には、弱者と見て差別する者(無知蒙昧、狭量、落ちこぼれ意識があり、自分より弱い者をいじめることでしか精神的均衡を保てない)と畏怖とも言える、潜在的能力を恐れる者(支配者階層)があると思っています。もし広義において賤民視された人達がお互い敵対関係にあったのなら、それは為政者によって作られたものであり、本来縄文の流れを汲む人達の資質からは遠いものだと思います。サンカを始め賤民視された人達の資質は決して低いものではなく、今も昔もこの国を代表する人物を多く輩出していた事実があります。しかし最後まで瀬降り生活を続けていたサンカこそ、人間にとって一番素晴らしい生き方であり、純粋な魂の持ち主であったと思っています」。
 明治~昭和初期頃、熊本鎮台の歴史書によると、熊本でエタとサンカが長期間抗争している。貧民窟の縄張り争い や親分同士の抗争が原因とされている。警察隊では手におえず鎮台(当時の帝国陸軍)がたびたびその騒擾の暴徒鎮圧 に出動した記録があると云う。

 次のように記されている。
 「今やサンカは日本の政治経済から裏社会までを動かすことが出来る巨大なシンジケート だぞ、穢多の解同なんてサンカシンジケートから見れば鼻糞みたいなもんだ。 だねど彼らはハタムラに従って決して口外しないから、その存在は謎のままだサンカを ルンペンと思ってる馬鹿は一生それに気づく事がない、彼らはいたるところにトケコミ 日本を裏から操作しているだ。 解同は自分達の利権しか眼中にないが、サンカは国の利益すべての国民の利益を考えでいる。 あなたの近所にもトケコミがかならずいるよ」。
【サンカと共産主義者との協調と確執】
 的ヶ浜事件
 http://www.geocities.jp/furusatohp/panerurten/photo/matogahama1.jpg

 1922年3月25日、大分県速見郡別府町の的ヶ浜海岸の貧民窟を警察が 焼却処分した。 当時、皇族の閑院宮別府訪問を控え、公安による同地に共産主義セクトが集 結し武器の集積や在郷軍人やセクトによる謀議が行われているとの内定によ り、警備・風紀上問題のあるサンカ小屋を取り払うという名目で地元警察隊 により実施されたが、大きな抵抗と暴動を惹起し、帝国議会にまで影響を与 えた。 議会で問題とされたのはこの貧民窟にハンセン病患者がいたという事を共産主義者により喧伝され人道問題に摺り返られたのであった為であり、それこそが共産主義セクトの作戦であったものであるといわれている。
【柳田国男のサンカ論】
 柳田国男は、人類学雑誌に「イタカ及びサンカ」と題した文章を明治44年から45年にかけて寄稿している(定本柳田全集四巻に収録)。柳田はサンカ問題に果敢に挑戦し、弟子の折口信夫は「日本の全人口の3割はサンカだ」と発表した。これが当局の逆鱗に触れ、柳田と折口の男色関係を特高に脅され民俗学へ転向を余儀なくされた云々とある。

 1997年1月10日付けの北海道新聞に東大のY教授が「世界の歴史刊行」に寄せての一文が載っていた。文中柳田の民俗学に触れて次のように書いてある。「柳田の民俗学で使われる”常民”という言葉は、市民でもなければ平民でもない存在を指す。それはやはり”常民”としか呼びようのない文化の基底を担う人々なのだ。彼らに対する無私の愛、その存在への想像力こそ、柳田学から現代史学が受けた貴重な刺激ということになろう」。次のように評されている。「この先生、国際関係史とイスラム史が専門らしいが、柳田が何故民俗学へ転向しなければならなかったかの、経緯も判らず、常民もサンカの意味もまるで判っていない。また、後段で秀吉とフエリッペ二世のライバル関係から云々と的外れな考察もしている。私は以前少し触れたが五木寛之の「風の王国」では、居付きサンカとトケコミサンカを一緒にして常民の側に置いて書かれていて惜しいが、この方が東大の先生の考察より数段ましである」。
【三角寛のサンカ論】
 昭和初期から戦前にかけて、三角寛が、実録小説の形を採ったスキャンダラスな山窩文学で一世を風靡した。1962年、論文「山窩族の社会の研究」で東洋大学からに文学博士の学位を取得している。この三角氏のサンカとの出会いを確認する。(「知られざる日本人(第2回)三角寛(みすみ・かん)「サンカ小説家」と国家権力の影」その他を参照する)

 1903(明治36)年、三角寛こと本名・三浦守が大分の山村で農家の末子として生まれた。1915(大正4)年、近所の最乗寺(浄土真宗)に預けられた。 ここでお経を覚えて漢文に親しむ一方、家事一切や寺に伝わる民間薬の知識を吸収した。1920(大正9)年、寺を脱走。 その後数年間、消息不明となる。赤穂(兵庫県)で私塾の書生のようなことをやっていたことが判明している。その後、有為転変を経て朝日新聞の取材記者になる。板橋警察署の官舎に住んでいた。

 三角は、警察ネタでスクープを連発する。 そのひとつが、昭和初期の「説教強盗事件」だった。この事件は、強盗に入った賊が、戸締りの不備だの無用心だのを朝まで被害者に説教するというもの。犯人はなかなか逮捕されなかった。 三角寛は取材中、ある刑事から「これは山窩の仕業かもしれない」と聞かされ、初めて「サンカ」に興味を持ったとされている。以降、サンカに遭うため頻繁に出掛け、精力的な取材を行った。結果として“サンカ”に関する貴重な資料が豊富に残された。「売れるから書く」と、三角は娘に豪語していた(『~サンカ小説家の素顔~父・三角寛』三浦寛子・著、現代書館)。

 1929(昭和4)年、初の山窩小説「岩ノ坂のもらい子殺し」を世に出し、流行作家となる。

 1932(昭和7)年、三角寛が、1913(大正2)年に警視庁の石島丑松刑事がサンカから入手した炙り出しを写真保存したものを石島氏から三角が入手し、サンカ文字との出会う。

 この頃、三角氏がひとのみち教団と関係していたことが判明している。礫川(こいしかわ)全次氏の「サンカと三角寛」によると、ジャーナリスト・大宅惣一氏の「ひとのみちとジャーナリズム」が次のように記している。
 「僕も昨年(1935年)、新聞でこれらの類似宗教を批判し、『彼等ひとのみち文士が果たしてどの程度まで、この宗教を信仰しているか疑問だが、その中で相当文化的訓練を経たインテリが入っているということは、 彼等がそれを信仰していると否とに関わらず、より低い、より批判力の乏しい大衆をひきつける上に重要なマネキン的役割を演じている』と書いたのに対し、 三角氏は僕に長文の抗議文をよこし、その中で自分が決して売文のために入教したものでないことを強調し、たしか四十八時〔間〕以内に返答せよと迫ってきた。本気で信仰しているのなら、いよいよ馬鹿馬鹿しいと思ったのでうっちゃっておくと、「ひとのみち」のマークをつけた三人の壮漢が、僕の家へ突然やってきて暴力的言動を残して帰って行った。 その後、こんど三角氏自身部下を連れて僕に面会を求め教育勅語を教義とする宗教を罵るのは不敬だから、詫び状を書けといって、半日位坐(すわ)りこんだが、ついに何物もえずに帰った」。(「サンカと三角寛」184・185ページ) 
 太平洋戦争がはじまると、三角は山窩小説の筆を絶つ。開戦後は夕張炭鉱の経営で失敗したのち、皇国(みくに)薬草研究所を開き、痔と霜焼に効くという民間薬の浴用剤を開発。軍に売り、大儲けする。

 1948(昭和23)年、池袋に映画館「人K(世)坐」を開館(43年閉館)。1956(昭和31)年、同じ池袋に別の映画館「文芸坐」を開く。その後、三角は宗教法人を設立し、僧侶の分際で法人名義の不動産を買い漁るかたわら、出版活動も続行。 1962(昭和37)年、博士号取得。学位申請書には農学博士、社会学博士などを「各方面から取るようにいわれていた」、「もっともすすめられたのが、サンカ社会研究の論文執筆(略)。 サンカに関する限り、三角寛がこのまま死亡すれば(略)学問上の真相文献はのこらない」と記している。ペンネームの三角寛で論文を提出している。

 1957(昭和32).6.24日、三角氏は、随筆家福田蘭童氏の作品を著作権侵害だとして著作権協議会に提訴している。6.25日付けの朝日新聞記事「『山窩言葉の盗用』と福田蘭童氏を訴う 著作権侵害で作家の三角寛氏」によると、7.15日号新潮社発行「別冊小説新潮」に福田氏が発表した異色実話「ダイナマイトを喰う山窩」に対し 三角氏は、「自分が想像した山カ〔窩〕言葉を盗用した」として提訴している。三角氏の申立ての要旨は、一、いわゆる山カ言葉は私(三角氏)が、既に死んだ言葉を復元したり、くずれた言葉を直したりしたもので、中には新しく作った言葉が山カナ釜に逆輸入されている場合もある。 いわば独創的な創作言葉で、それを福田氏は無断で五十ヵ所にわたり、三十語盗用しているのは著作権侵害である。 二、福田氏の作品には関東の山カがバクチ、牛泥棒、農家の娘のゆうかいなどをやったという事実無根の話があり、山カの人権を侵害するものだ、としている。

 福田氏は三角氏の抗議に対し、19日に三角氏と会い「宇都宮の博徒から取材した語を山カ物語に作り変えた。 山カ言葉を無断で使ったのは申訳ない」と謝意を表しているという。また、関東著作者大会から新庁舎に宛てて同作品の全面取消し要求が出されている。三角氏は次のように応答している。「これまでもたびたび同じケースがあったが、私的に話合いをつけてきた。しかし、山カ言葉を濫用され、山カの人権を侵害する作品がたび重なるので、公的に決着をつけるため提訴した云々」。

 これによると、山窩言葉は三角寛による「独創的な創作言葉」であるから、それを使用するのは、「著作権侵害」にあたると主張していることになる。奇妙なことに、当の三角氏自身が、サンカなる表現も含めサンカ物語を創作としていることになる。福田氏を著作権侵害で訴えた5年後、「サンカ社会の研究」を著わしていることになる。次のように評されている。
 「サンカが、流行りだ。サンカといえば三角寛、であるらしい。 「サンカ」(山窩)という集団は、ほんの数十年前まで、山々と人里の間を野営しながら定期的に移動し、竹などで編んだ農具(おもに箕:み)を作ったり修繕したりして、村々で食料と交換していた。漂泊する「化外の民」だ。 そして、素朴で特殊な習俗と神話、独自の文字も持っていた。集団には首長、さらに全国の首長を掌握する最高権力者もいた。掟とヒエラルキーと外部への秘密保持は絶対で、反逆者は処刑された――。 以上は、三角寛が伝える「サンカ」像なのだが、三角の博士号取得論文『サンカ社会の研究』(昭和37年)さえ否定されつつあるのが、現在の定説だ。ではなぜ、戦前、山窩小説で一世を風靡した三角は、勘違いな論文を書いたのか? 三角寛の生き様に、その謎を解く鍵がありそうだ」。
  1971(昭和46).11.8日、三角寛は世を去った(享年68歳)。
【戦後のサンカ論】
 戦後には、三角の協力を仰いだ映画『瀬降り物語』(中島貞夫監督)や、五木寛之の小説「風の王国」、さらに現代書館から刊行された『三角寛サンカ選集』全7巻によって、ふたたび一般に認知されるようになった。

 五木寛之 『風の王国』新潮社(1985/01) 新潮文庫版の裏表紙の要約文は次のように記している。
 「闇にねむる仁徳陵へ密やかに寄りつどう異形の遍路たち。そして、霧にけむる二上山をはやてのように駆けぬける謎の女・・・・・。脈々と世を忍びつづけた風の一族は、何ゆえに姿を現したのか? メルセデス300GDを駆って、出生にまつわる謎を追う速水卓の前に、暴かれていく現代国家の暗部。彼が行く手に視るものは異族の幻影か、禁断の神話か・・・・。現代の語り部が放つ戦慄のロマン」
 この小説の最終部分は、初代講主・葛城遍浪の言葉として次のように記している。
 「―― 山に生き山に死ぬる人びとあり。これ山民なり。里に生き里に死ぬる人びとあり。これ常民なり。山をおりて、里にすまず、里に生きて、山を忘れず、山と里のあわいに流れ、旅に生まれ旅に死ぬるものあり。これ一所不在、一畝不耕の浪民なり。

 山民は骨なり。常民は肉なり。山と里の間を流れる浪民は、血なり、血液なり。血液なき社会は、生ける社会にあらず。浪民は社会の血流なり。生存の証なり。浪民をみずからの内に認めざる社会は、停滞し枯死す。われらは永遠の浪民として社会を放浪し、世に活力と生命をあたえるものなり。乞行(ごうぎょう)の意義、またここに存す。乞行の遍路、世にいれられざるときには、自然の加工採取物をもって常民の志をうく。これ《セケンシ》の始めなり。

 山は彼岸なり。里は此岸なり。この二つの世の皮膜を流れ生きるもの、これ《セケンシ》の道なり。われらは統治せず。統治されず。一片の赤心、これを同朋に捧ぐ。されど人の世、歴史の流れのなかに―――」
【国際金融資本帝国主義派のサンカ研究】
 「サンカ(山窩)を考える」の「古史古伝」は次のように述べている。
 「ある方から聞いた話しです。サンカに関する情報は日本よりアメリカが握っているだろう。また日本では偽書扱いされている古史古伝のいくつかは、アメリカにおいて、日本を知るうえでの正規の研究対象となっている話を聞いたことがある。大平洋戦争が始まる以前から、日本を知る為に、国の成立から天皇制、被差別 民の成り立ちまで、綿密に歴史を研究したようである。それは日本を占領した際に、統治しやすくするための研究だったのだろう。しかし、戦後においても全国の貴重な古代に関する古文書などを接収して、本国に持ち帰っていることから、何か日本の歴史に特別 関心があるのかもしれない、とのことでした」。
【「義経サンカ説」考】
 「サンカ(山窩)を考える」の「義経サンカ説」は次のように述べている。
 「テレビを観ていたら歴史番組で義経のことをやっていました。しかし、なぜ義経が異種異形といわれた人たちを味方につけ、腹違いの兄である頼朝に追われる身になったかを納得できる内容ではありませんでした。そこで義経サンカ(系)説を書くことにしました。 義経にサンカの血が流れ、又、義経を支えた人たちが極めてサンカに近い人たちであったことは、サンカマニア(贔屓)でなくても、「義経記」を少しでも知っている方には充分理解して頂ける話しだと思います。義経の生母は常盤御前で、傀儡(サンカ系)でもとは遊女であったといわれ、頼朝の父である義朝の妾となり義経を生んでいます。そして間もなく平治の乱により源義朝が平清盛に破れて逃れた時に、常盤御前とその幼子たちは置き去りにされています。それは常盤御前が卑しい身分であったからではとの話しもあります。置き去りにされた常盤御前は幼子三人を連れて逃げおおせますが、結局は清盛に捕らえられ、子供たちを出家させるという条件で清盛の妾となり殺害を免れることになりました。(常盤御前は大変な美女であったといわれています)その後、牛若丸(義経)は四歳まで母のもとに育ち、七歳頃から鞍馬寺で修行し、鞍馬寺の後継者となるところでありましたが、武芸の師ともいえる鞍馬天狗(これぞサンカであり修験道者)があらわれて、サンカ(忍者)の軽身の術等を教えられることになります。それからは御存じの通 り、弁慶や金売吉次等のサンカ(山の民)と思しき者等を味方につけて活躍をすることになります。又、恋人の静御前は白拍子であり、静御前の母はサンカの本拠地である丹波の生まれであり、歌と舞いにすぐれた人であったとされていることから、静御前もサンカではなかったかと思われます。その他にも歴史上の人物でサンカ系の人は大勢いたと思われますが、例えば同じように母親がサンカといわれる徳川吉宗や父の代まで瀬降りをしていたと伝承される豊臣秀吉や祖父位 がサンカだと思しき徳川家康、そのものずばりサンカの親分のような楠正成などが思いつきますが、そんなことは決して表の歴史には出てこないのが、この国のタブーといいますか、不思議なところであります。近代になってからも、この国を代表する人たちの中にサンカ系の人が大勢いるのだと思いますが、(なんとなく知っていたりしますが)決してそんなことは表に出ないし出せないところにサンカというもが、この国の最後の隠し玉 のような気をさせたりします。なんだか書いている自分でも、何を書きたいのよく分かりませんです。 参考文献『義経と山の民の陰謀』佐治芳彦著」。
【サンカと朝鮮系ペクチョンとの相関考】
 「サンカ(山窩)を考える」の「サンカと楊水尺・白丁」は次のように述べている。
 「朝鮮半島にはサンカと同じように竹細工を作り漂泊の生活を営んでいた楊水尺・白丁(ペクチョン)と呼ばれる人たちがいる(いた?)そうで、そのルーツを辿ると中国や場合によってはインドまで遡れるのだそうです。そのことから傀儡子やサンカのルーツを朝鮮半島・中国、さらにインドにまで求める研究家がいるようです。例えば喜田貞吉博士は今西龍博士の『朝鮮白丁考』を読み、「傀儡子記に見えるクグツ、クグツの婦女より出る遊女および大正時代にはまだ所在の山地に漂泊生活を営んでいたサンカ(山窩)が、古く有史時代以前に日本に渡来してきた白丁族ではなかろうかという意見を『朝鮮の白丁と我が傀儡子』にて発表しています。また隼人族のルーツを白丁(ペクチョン)とする意見もあり、サンカのルーツを隼人族に求める研究家もいます。そこでかねてから疑問に思っていたことに、自分自身ではサンカを始めとした被差別 民のルーツを縄文に求めたい思いがあり、その反面大陸からの影響も感じるという矛盾したものがありました。もっとも、この国は中国、朝鮮半島にあった国家の植民地としてか、または 亡命してきた人たちによって成立し支配されてきたということを考えると、やはり大陸からやってきた人たちに追いやられ賎視された原住民・先住民の人たちがサンカを始めとした被差別 民のルーツと考えても良いと思います。柳田国男氏も被差別民の民俗は、日本列島の文化の古層に属する重要な残留物を表示していると重要な指摘していることからもルーツを縄文に求めても良い気がします。では中国・朝鮮半島の楊水尺・白丁と呼ばれた人たちとサンカとの間に何の関係もなかったかというと、やはり彼等もルーツの一つではなかったのかとも思うのです。そして彼等、楊水尺・白丁のルーツもまた縄文(もしくは古い層の人間)に繋がるように思うのです。

 以前掲示板にて、【隼人族の理解を困難にしているのは、薩摩の隼人族とは別 系統の隼人族の存在ではないでしょうか。例えば白丁隼人は白丁をさしていると考えられます。白丁とは韓国の被差別 民で、日本でいう山窩のような存在なのだそうです。高麗時代に「我々も倭人である」として契丹軍と共に、高麗と戦ったと言われていますので、ますます混乱します。】との書き込みがありましたが、彼等に縄文の末裔としての意識があれば、縄文の国であるこの国の人間だとの思いも納得できる話しだと思います。そもそも縄文時代には国境などなく、中国大陸や朝鮮半島にも縄文人がいたと考えるのが自然なことであり、縄文をルーツに持つ楊水尺・白丁が大陸から渡来し、この国の縄文の末裔と融合したとしてもごく自然なことだと思います。倭寇には、済州島などを含む現地勢力の参加もあり、 半島の住民、「禾尺」「白丁」と呼ばれる賤民階層が 参加していたという研究も増えてきているとのことです。古い層の人たちは、例えばヨーロッパにおけるケルト(アイリッシュ)もそうですが、自然と共に生きることを尊んだり芸能に長けていたり(ビートルズもアイリッシュ系です)排他的でないなど共通 したものがあります。ここでは詳しくは書きませんが、両親が在日である某歌手がサンカに惹かれ、またサンカの末裔を強く意識したTさんを始めとした人達が、その歌手の歌に惹かれサンカの世界をイメージしても不思議ではないのかも知れません。それは大陸から渡ってきた一部(古代は一部だけど近代は多数の気がしますが)の人たちと日本の縄文系の人たちは同じルーツを持つ遺伝子学的にも民族(民俗)学的にも近い人たちのような気がするからです。また日本において頑に諸々の差別 をする人たちと韓国や中国において頑に日本を嫌う人たちも遺伝子学的にも民族(民俗)学的にも近い人たちのような気がするのです。入院中のストレスにより少し暴走してしまいました。参考資料 【遺伝子・DNAから日本人のルーツを考える】」。
【参考文献】
 山窩に関する資料、書物として、三角寛、柳田国男、宮本常一、後藤興善、清水清一、喜田貞吉、荒井貢次郎、菊池山哉、八切止夫、田中勝也、佐治芳彦などの研究発表物がある。小説として、五木寛之の[風の王国]、[戒厳令の夜]があり、山窩と呼ばれていた人達の感性や魂が伝わってくる。[鳥の歌]は山窩の子孫とも思える主人公のひとりが、現在の中に自らのアイデンティティの確立を模索する姿を表現している。映画として、[瀬降り物語]がある。

 山人外伝資料(柳田国男)
 後藤興善の「又鬼と山窩」(1940年)
 柳田國男の「イタカ及びサンカ」(定本柳田国男集4 所収 1963 筑摩書房)、「山窩の人生」
 三角寛の「サンカの社会」(1965年、朝日新聞社)
 田中勝也の「倭と山窩」(1977.12月、新國民社)
 石井良助編「近世関東の被差別部落」(1978.9月、明石書店(1978/09))
 謎の竹内文書(佐治芳彦 徳間書店 1979)
 謎の神代文字(佐治芳彦 徳間書店 1979)
 サンカ研究 (田中勝也:著 1982 翠楊社)
 謎の上記(佐治芳彦 徳間書店 1987)
 謎の縄文列島(佐治芳彦 徳間書店 1989)
 沖浦和光の「竹の民俗誌」(1991.9月、岩波新書)
 礫川全次『サンカと説教強盗-闇と漂泊の民俗史』増補版、批評社、1994年12月。
 三浦寛子『父・三角寛-サンカ小説家の素顔』、現代書館、1998年9月。
 『彷書月刊』第17巻第3号 / 通巻第186号(特集=没後三〇年・三角寛の世界)、弘隆社、2001年2月。
 沖浦和光『幻の漂泊民・サンカ』、文藝春秋、2001年11月。(のち、文春文庫に収録、2004年11月刊。
 礫川全次『サンカ学入門』(『サンカ学叢書』第1巻)、批評社、2003年10月。「尾張サンカの研究」、「尾張サンカの研究」
 沖浦 和光「幻の漂泊民・サンカ」(文春文庫、 2004年)。
 飯尾恭之『サンカ・廻游する職能民たち-尾張サンカの研究-実証編』(『サンカ学叢書』第2巻)、批評社、2005年2月。
 飯尾恭之『サンカ・廻游する職能民たち-尾張サンカの研究-考察編』(『サンカ学叢書』第3巻)、批評社、2005年3月。
 『サンカ-幻の漂泊民を探して』(『Kawade道の手帖』)、河出書房新社、2005年6月
 筒井功『漂泊の民サンカを追って』、現代書館、2005年7月。
 礫川全次『サンカと三角寛-消えた漂泊民をめぐる謎』(『平凡社新書』294)、平凡社、2005年10月。
 利田敏『サンカの末裔を訪ねて-面談サンカ学-僕が出会った最後のサンカ』(『サンカ学叢書』第4巻)、批評社、2005年11月。
 2005年に講談社から発行された五木寛之著書の「サンカの民と被差別の世界」
 筒井功『サンカ社会の深層をさぐる』、現代書館、2006年10月。
 筒井功『サンカの真実 三角寛の虚構』(『文春新書』533)、文藝春秋、2006年10月。
 2006年に文芸春秋より出版された筒井功著書の「サンカの真実 三角寛の虚構」

 歴史民俗学20号 サンカの最新学  別冊総特集(歴史民俗学研究会編、批評社  三角寛ワールドを学問する)
サンカフォークロアの新たな視点をめぐって  ◎三角寛ワールドを学問する インタビュー・「尾張サンカの研究」 著者・飯尾恭之 (聞き手 ・礫川全次)― 6
尾張サンカの研究(10) 飯尾恭之 ◎廻遊竹細工師「オタカラシュウ」の 面談・聞き書き・検証調査 ― 32
長良川上流域のノアイについて 池田勇次 ― 50
【コラム】ある在地型竹細工師の行商時持ち歩き小道具 飯尾恭之 ― 61
八切止夫のサンカ五部作を読む 礫川全次 ― 64
「最後のサンカ」 加藤今朝松一代記 利田敏 ― 80
【新聞復刻】 山窩にみる原始の姿 神秘に覆れた生活 河北新報 ― 90
異見 三角寛サンカ説とサンカの別称 立田浩之 ― 93
セブリサンカ"辰っあん"の作った箕とその周辺 堀場博 ― 106
【コラム】サンカ文字の考察 飯尾恭之 ― 114
熊野から見るサンカの世界  ◎ホームページkumanolifeを開設して 中元宏 ― 122
三角寛と人生座 青木茂雄 ― 135
サンカに関する文献110  ◎リスト&解題 礫川全次+「歴史民俗学」編集部・編 ― 145
「三角寛」に関する新資料報編 飯尾恭之 ― 155
【復刻掲載】犯罪捜査参考資料より「山窩の研究」 ― 165  
インターネット・"サンカ" 案内 ◎ホームページに見るサンカ論 礫川全次 ― 197  雑誌紹介  ― 198  執筆者略歴 ― 200  編集後記 ― 202
三角寛サンカ選集 第一期 (全7巻)
現代書館  出版年月 2000年11月 より刊行

三角寛サンカ選集 第1巻 山窩物語     税込価格 2,940円
三角寛サンカ選集 第2巻 裾野の山窩     税込価格 2,940円
三角寛サンカ選集 第3巻 丹波の大親分    税込価格 2,940円
三角寛サンカ選集 第4巻 犬娘お千代      税込価格 2,940円
三角寛サンカ選集 第5巻 揺れる山の灯     税込価格 2,940円
三角寛サンカ選集 第6巻 サンカ社会の研究  税込価格 5,250円
三角寛サンカ選集 第7巻 サンカの社会資料編 税込価格 4,725円
 三角寛サンカ選集 第二期(全8巻)
現代書館  出版年月 2004年11月 より刊行
三角寛サンカ選集 第8巻 山窩が世に出るまで  税込価格 2,940円
三角寛サンカ選集 第9巻 昭和妖婦伝       税込価格 2,940円
三角寛サンカ選集 第10巻 山窩血笑記      税込価格 2,940円
三角寛サンカ選集 第11巻 山窩の諜者      税込価格 2,940円
三角寛サンカ選集 第12巻 帯解けお喜美     税込価格 2,940円
三角寛サンカ選集 第13巻 愛欲の女難      税込価格2,940 円
三角寛サンカ選集 第14巻 青蝿のお蝶      税込価格 2,940円
三角寛サンカ選集 第14巻 人生坐大騒動顛末記 税込価格 3,675円
八切止夫 著

サンカ生活体験記 作品社    (2003/05) 税込価格 2,940円
サンカいろははコトツ唄 作品社 (2003/07) 税込価格 2,940円
サンカ民俗学 作品社       (2003/08) 税込価格 2,940円
サンカの歴史 作品社       (2003/08) 税込価格 3,360円
●インターネット・"サンカ" 案内 ◎ホームページに見るサンカ論 礫川全次 より

 礫川全次さんが、「歴史民俗学20号 サンカの最新学」の最後に、インターネット上に飛び交うサンカに関したホームページを解説と共に紹介してくれています。

 【活気あるれる熊野ライフ】

 数あるサンカ関係のホームページの中で、現在最も活気に満ちていると紹介して下さっ ています。

 【伝統の閼伽出甕】

 かなり早くからサンカについての論文を載せていた閼伽出甕(アカデミカ)サンカの論文があるのは【閼伽出甕別館】

 【在野精神を誇る野史研究会】 

 サンカについて言及しているホームページの内、代表的なものを三つあげよと言われれば、熊野ライフ、閼伽出甕のほかに、もうひとつ「野史研究会」をあげなくてはなるまい。これは松山大学の立田浩之先生が主宰するホームページである。 【野史呼び名辞典】

 【目森一喜氏のサンカ論】

 雑誌「GON !」 に載った目森一喜氏の論考「サンカ 幻の日本漂泊民を追え!」

 【毎日新聞「記者の目」 に見る「最後のサンカ」】

 2001年6月22日の毎日新聞(東京朝刊)に載った「サンカ」に関する記事

 【説教強盗異聞】

 サンカに関わるか否かはわからないが、サンカのホームページを開いているうちに説教強盗についても新しい情報を入手できたページ。ついでにもうひとつ 【「荒川の人・16 内海桂子―漫才師」】 礫川全次氏には「サンカと説教強盗」という著作があります。

 【「日月昭々」の「サンカ文字」】

 【「仲間の会」の「サンカ文字」】 【「大阪・東住吉区/長居公園・仲間の会HP」】

 【「山窩の女」】

 【杉浦清石の「最後の山窩」】

 【山田風太郎の「山窩まだら雲」】







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<追跡!真相ゼロtoZ>
~ゼロの意味する原点の意味の原因を探り
 定量的、科学的にZの行き着く先の真相に迫る~

5 ワタミ・ユニクロ 創価オウムの影で蠢くブラック企業?

2013/6/15 ワタミ・ユニクロ 創価学会オウムの影で蠢くブラック企業?
追跡 真相 ゼロtoZ ワタミ ユニクロ 創価学会 オウムの影 蠢く ブラック企業






坂井 和昭 ‏@travi396 6月13日
夏の参院選で自民党から比例代表で立候補する飲食チェーン・ワタミ会長の渡辺美樹氏(53)が、自らのホームページで、一部から同社に向けられる「ブラック企業」との批判に大反論した。安倍晋三首相が進めるアベノ / “ワタミ会長「ブラック企…”

http://htn.to/6aXy7B


今野晴貴 ‏@konno_haruki 6月10日
ユニクロから、「訴える」と脅しの通告書。『ブラック企業』(文春新書)で名誉棄損しているというが、私はこの本で、ユニクロには言及していない。「この書籍において貴殿が摘示されている「衣料品販売X社」なるものが通告人会社らを指すものであることは…明らかであるものと認められます」。


服部順治 ‏@JunjiHattori 2時間
@konno_haruki あーあ、私も陥れられたスラップ訴訟ってやつですね!口封じ訴訟か。ユニクロはオウム信者の菊地直子らを横浜で匿ってたしね「ユニクロ柳井社長が『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』著者今野晴貴氏を訴えるらしい」



http://www.ikedahayato.com/index.php/archives/24628




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ツイートテレビからのお願い


※寄付と「買って支援」のお願い
アマゾンから買って支援
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服部順治 ‏ @JunjiHattori

原発再稼動を停めようと佐賀県庁にのりこんだ山本太郎さんを
刑事訴訟した京都の行政書士の方が
なぜか半年近くも経った今頃、下記のビデオを見て、
その行政書士は幸福の科学の信者ではない、とのことで
「名誉毀損及び名誉感情侵害行為」で
慰謝料 45万700円を支払うように
こんどは私を訴えてきました。
(^_^;)

どうも小沢一郎さんと市民との対話という番組に出て
「裁判所もおかしい」と言った直後に告発している感じです。
(^_^;)

この行政書士と戦うためにも
裁判の費用が必要です。
左記の寄付欄より、
みなさんからのご支援をよろしくお願いいたします。


口座名 ツイートテレビ

■郵便局からの振込みの場合
口座 ゆうちょ銀行
記号 10090 
番号 98084911

■銀行からの振込みの場合
口座 ゆうちょ銀行
店番 008 普通預金
口座番号 9808491







ツイートテレビの中継/取材/講演などの要請の場合

 ツイートテレビもこれからUSTREAM中継やこのようなツイートテレビのやり方、ブログの作り方などのお話をさせてもらったり、取材要請があれば内容に応じてUSTREAM中継などもやってここで紹介させていただこうと思います。
 2人いっしょで中継時間、講演時間1時間あたり3000円で、実費の交通費も別にいただければありがたいかと思います。
 ツイートテレビのホームページのコメント欄で非公開コメントにチェックを入れていただき、メールアドレスや取材場所、時間(できれば午後3時以降)、お話の内容などを書いて送信していただければ、ご相談に応じます。
 よろしくお願いいたします。





主に日本の話題の元ネタ(^_^;)
歴史の真実の宝庫:八切止夫デジタル無料作品集
(次世代の人達と共有し戦争を繰り返さないために)

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東京新聞(日本で一番、真実を伝えてくれる新聞)
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クーリエ・ジャポン(日本のメディアは本当のことを言ってくれない、っていい宣伝文句だけど疑いながらチェック(^_^;))
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http://www.asyura.us/hks/ranking_list.php?term=1
オリーブニュース
http://www.olivenews.net/v3/
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毎日新聞ニュース(創価学会の聖教新聞をメインで印刷しているため創価学会の意向:統一教会の仏教部よりアメリカの意向(^_^;))
http://mainichi.jp/
NHKニュース(政府、官僚(アメリカ)側の意向を反映している:結局、アメリカの意向(^_^;))
http://www3.nhk.or.jp/news/



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世界の報道:話題の元ネタ(^_^;)

田中宇の国際ニュース解説
http://tanakanews.com/


デモクラシーナウ(市民サイドに近いアメリカのメディアでアメリカを中心に世界の市民の今を伝える )
http://democracynow.jp/

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http://sana.sy/index_eng.html
シリアニューズ(シリアからの情報 なるべく新しい情報ならこのツイッター情報
http://www.syrianews.cc/

日本語イラン ラジオ(アメリカ、ヨーロッパの負の側面を日本語で解説するイラン側のメディア:盲信はしない(^_^;))
http://japanese.irib.ir/


新唐人テレビ日本(アメリカ、香港の人たちから見た独立系中国テレビ:客観的に中国はもちろんアメリカも見れる(^_^;))
http://www.ntdtv.jp/

人民日報日本語版(中国から見た、日本の政治社会状況などがよくわかる(^_^;))
http://japanese.china.org.cn/

中国国際放送 日本語版(アメリカ、ヨーロッパの負の側面を日本語で解説する中国側のメディア:盲信はしない(^_^;))
http://japanese.cri.cn/index.htm

ロシアの声 日本語版(ロシアの国営放送で建前としてのロシアの現状がよくわかる:盲信はしない(^_^;))
http://japanese.ruvr.ru/

ロシア トゥデイ Russia Today(アメリカ、ヨーロッパの負の側面を抉り出して見せてくれるロシア側のメディア:盲信はしない(^_^;))
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Dprogram.net(従来のプロパガンダに対抗するためのサイトでプログラムで縛られた人を解放する? (^_^;))
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