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 私たち市民メディアは従来のマスコミが追求できない真実を伝えています。
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■小沢裁判や冤罪事件を通して
司法も含む官僚体制や創価学会
金融マフィア(財閥)の陰謀を暴く
 
■世界で戦争や金融テロなどを
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とそれに対抗する市民活動

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9/28(土) ニュース

2013/9/28(土) ニュース

<今日のツイートテレビニュースの話題>
                                                                                                                    Font MSP ゴシック サイズ11

2013/9/28(土) ツイートTV




1 NHKが報道した「不正選挙」その実態は? 
2 オリンピック招致で大嘘の安部首相の現状と泉田知事の変心
3 戦争させてお金を使わせようとしてる間に財政破綻が間近に
4 戦争推進の天皇が原爆投下地指示:西郷の陸軍憎く責任転嫁
5 地球温暖化詐欺:異常気象の原因は気象変動技術の成果
6 JR西日本,JR北海道へのマスコミバッシングに見る裏の背景






服部順治 ‏@JunjiHattori 9月27日
ほー、このような俯瞰する鳥の目、いやボイジャーの目が金融マフィアらの動きを読む時、必要だな!
宇宙の中の地球
【ロマン炸裂!感涙天体写真】
ありがとう惑星探査機ボイジャー&ハッブル宇宙望遠鏡

http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/kt81b.html

ボイジャーが見ている宇宙
https://twitter.com/JunjiHattori/status/383361652965396480/photo/1


集団主義者の陰謀
右翼左翼の枠組みの真相など



目次

0:00:19 自己紹介
0:01:12 集団主義思想
0:03:13 右翼左翼の枠組みの真相
0:08:28 ティーパーティー運動
0:13:46 民主党と共和党の同意点
0:17:15 ロン・ポールの旋風
0:20:29 選挙と投票の意義
0:23:49 プロの政治家
0:26:24 右翼と左翼の化かし合い
0:30:52 超裕福家系の政治戦法
0:32:56 脅威・不安解消という落とし穴
0:34:30 免税財団の行っていること
0:37:29 アメリカ政府の仕組みと機能
0:43:07 大統領が独裁的になったのはいつ頃?
0:43:49 ヒラリー・クリントンのビデオ
0:45:43 国民の意識の高まりを支配者は恐れている?
0:47:35 世界統一政府への歩み
0:54:49 自由開放運動の思想と課題
0:59:51 八百長プロレスの政治とマスコミ
1:01:48 グレン・ベック
1:02:47 FOXニュース
1:05:06 憎悪の政治
1:07:57 独占資本家と全体主義の歴史
1:13:22 銀行救済
1:17:37 ティーパーティーの今後
1:19:05 ケムトレイルの映画「一体何を撒いているの?」






<ニュースウォッチ12:今日のニュース>
1 NHKが報道した「不正選挙」その実態は?

2013/9/28(土) 概要 NHKが報道した「不正選挙」その実態は?
2013/9/28(土) ツイートテレビ ニュース 概要 NHK 報道した 不正選挙 その実態





服部順治 ‏@JunjiHattori 9月22日
【拡散】ひぇーNHKでちゃんと報道してた!やっぱり自動票読取機ムサシか!「決定的な不正選挙の証拠現る!全国で20万票獲得した衛藤氏高松市得票数が0だった」と証言: http://youtu.be/CUV73lY3_RY
生活の党のはたともこも
http://saigaijyouhou.com/blog-entry-580.html




服部順治 ‏@JunjiHattori 9月23日
【拡散】ふー自動投票読取機ムサシよりも前の段階で、投票用紙そのものがごっそりすりかえられていた?そうか、それでNHK不正選挙報道も納得!
@tetsuyan1112 不正選挙:やはり「期日前投票は不正の巣」、投票用紙の筆跡も同じ
http://youtu.be/Qa3kKr18G9o





服部順治 ‏@JunjiHattori 9月23日
うーん論理的に考えると、この場合はムサシよりも投票すりかえの事務手違い?「決定的な不正選挙の証拠現る!全国で20万票獲得した衛藤氏高松市得票数が0だった」
http://youtu.be/CUV73lY3_RY
@tetsuyan1112
http://youtu.be/Qa3kKr18G9o


服部順治 ‏@JunjiHattori 9月24日
うーん、いや票自動読取機ムサシを事務ミスで自民候補者を廃棄票に設定し零?選管は投票率史上最低と嘘
「NHK報道の不正選挙」 http://youtu.be/CUV73lY3_RY
@usuichallenge 市民出口調査が明らかにした真相
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=YHGiqRpYgrU …




服部順治 ‏@JunjiHattori 9月24日
おー嫌がる選管の制止を振り切り、堂々とビデオ撮影した市民に拍手!そこでわかったのは票数とは単に自動読取機ムサシのデータだけで、誰も票数や票そのものの確認を手作業でやっている様子はない!「ムサシ参院選・室蘭市開票・不正選挙か? http://youtu.be/FyxElp7fLfw


幸次 東山 1 か月前
 私の住む室蘭市での出口調査ですが、私が監視していた室蘭市役所­出口にNHKの調査員は5~6時間、存在していません。 居たのはUHB放送から契約会社に委託されて来た契約社員2名だ­けです。 しかし、7月21日午後8時には、根拠も無くNHKで当確放送が­されました。 午後9時からの開票速報の為に室蘭市体育館に存在したのは1名の­NHK職員と5名の高齢のアルバイト職員で、倍率7倍の小さな望­遠鏡で、まるで票が遠方から見える素振りをして無線機に「佐藤・­・・鈴木・・・佐藤・・・佐藤・・」と声を出しています。そのN­HKの6名も50分ほどで姿を消しました。何も票が見えないのに­です。 そしてテレビでは開票速報が放送されています。「自民党、圧勝」­と。沖縄~北海道まで、市町村職員・地方紙・NHK・マスコミ・­・・・みんな同じ舞台で、同じ脚本で同じように嘘の演技をしてい­るのです。その大きな道具が(株)ムサシの自動票読み取り機でし­ょう。 不正にプログラムが改ざんされているし、読み取り精度も低いので­す。日銀も大手銀行も(株)ムサシの機械など使っていません。 この不正を正すのは、我々一人一人が声を出す事だと思います。






服部順治 ‏@JunjiHattori 21時間
あっ不正選挙に関して、カナダde日本語のブログが結構、まとまってるな!「不正選挙:日本全国の選挙システムを包括する企業「ムサシ」と社団法人原子燃料政策研究会の関係」
http://canadadenihongo.blogspot.ca/2012/12/velvetmorning-blog-24357-186-119294-175.html
NHK不正選挙報道
http://youtu.be/CUV73lY3_RY


服部順治 ‏@JunjiHattori 16時間
ふー本当にマスコミは腐ってる!選管に不正選挙の訴訟も起こせない1か月以上経っての報道で専門家も投票を数え直すのはお金がかかるので有権者が判断とのコメント。訴訟も起こせないのに判断できない。金より原因究明が先だろう「NHK不正選挙報道」
http://youtu.be/CUV73lY3_RY

服部順治 ‏@JunjiHattori 4秒
ふー、やっぱりブラック企業で創価学会系ワタミの渡辺美樹か?そう言えば以前、老人ホームの人達を車イスに乗せ、投票所入口で「xxと書くのよ」と繰り返してた!

「不正選挙? "投票用紙の筆跡が似ているような気がする動画"を加工してみた」: http://youtu.be/wjLIXhED9A8


服部順治 ‏@JunjiHattori 6分
あー、でも今はこんな小細工しなくても、票自動読取機ムサシでパチンコ台の出玉制御するように、判定基準やデータを制御でき、CIA創価学会の好きなようにできる?

「不正選挙? "投票用紙の筆跡が似ているような気がする動画"を加工してみた」 http://youtu.be/wjLIXhED9A8





服部順治 ‏@JunjiHattori 2分
あーこういう事やれるのは創価学会だ、と確信してる。もう十年来、公の場に現れずマスコミも誰一人インタビューせず。それでいて創価学会のカリスマで最近では脱原発を提唱?笑)創価学会は米の間接統治の謀略機関にすぎない!「NHK不正選挙報道」
http://youtu.be/CUV73lY3_RY



ーーーーーーーーーーーーー

服部順治 ‏@JunjiHattori 9月24日
あー名古屋の地方局だから出演できた!「2013 9 14 激論!コロシアム~これでいいのか?ニッポン~」
あの小沢バッシングは何が原因?小沢一郎氏や嘘つきの汚名を着せられた上杉氏らも語り、最後、3年後への再度の政権奪取の決意を語る:
http://youtu.be/d14qwx1iWDw



ーーーーーーーーーーー
【不正選挙疑惑】ドンドン出てくる不正選挙を示唆する情報!
全国各地で相次ぐ同一筆跡!
名古屋市中区では投票しても何故か0票!




http://saigaijyouhou.com/blog-entry-580.html

先月に「名古屋市中区で、はたともこ議員の獲得票数が0票!?私ははたともこさんに投票をしたのに! 」というような記事を書きましたが、この件に関して選挙管理委員会に尋ねてみたところ、「HP上で発表している開票結果は訂正するところがなく、今までに不在者投票や期日前投票の票を漏らしたり変更したことはない」とのお返事を頂きました。
*分かりやすいように会話内容を噛み砕いています。実際はもう少し長かったです。また、この件に関してIWJ(インディペンデント・ウェブ・ジャーナル)さんの方から取材を受けました。


☆開票状況(比例代表 名簿登載者別・開票区別)
URL http://www.pref.aichi.jp/senkyo/sokuho/khireimk.html
haatatomokokoai010101.jpg
kkkijitumaetouhyou010101010.jpg


やっぱりという感じでしょうか。
役所は予想通りの回答で中々納得できるようなものではありません。色々とネット上などで聞いてみると、私以外にも投票した方がいたようですし、逆に不正選挙の疑いが増々強まりました。

参議院選挙直後から福島第一原発の方が騒がしかったため、不正選挙追求の方が遅れてしまいましたが、改めて参議院選挙前後の情報を振り返ってみると、不正選挙を示唆している情報が沢山出て来ます。


☆横須賀期日前 なりすまし投票か
URL http://megalodon.jp/2013-0810-2131-20/www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20130714/CK2013071402000119.html
引用:
 横須賀市選管は十三日、参院選の期日前投票で、別人のなりすましとみられる投票があったと発表した。市選管は横須賀署に情報提供した。

 市選管によると、同日午後四時四十分ごろ、衣笠行政センターの期日前投票所に、八十代の女性が投票に訪れた。担当者がパソコンで有権者名簿と照合すると「六日投票済み」と表示された。女性は投票案内状をなくしたとして持参しなかったが「まだ投票していない」と話したという。六日に投票した人物は、案内状を持ってきたという。

 市選管は公選法に基づき、本人だと確認した上で、後で識別できるよう氏名を書いた封筒に投票用紙を入れて仮投票させた。二十一日の開票時に開票管理者が無効か有効かを判断する。
:引用終了

☆<参院選>組織票のはずが1票 開票ミスと提訴検討
URL http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130729-00000050-mai-pol
引用:
毎日新聞 7月29日(月)13時15分配信
 21日投開票の参院選で、組織票を投じられたはずの比例代表候補の得票数が1票だったのは福岡県飯塚市の開票作業にミスがあったとして、産業別労組の「UAゼンセン」(東京)が総務省の中央選管を相手取り、再集計を求めて提訴することを検討していることが分かった。

 UAゼンセンによると、参院選比例代表に組織内候補として民主党の川合孝典氏(49)が立候補し、落選した。飯塚市では開票の結果、似た名前の他候補との案分を含め1.538票を得票したが、UAゼンセン福岡県支部が同市在住の組合員を聴取したところ、15人が投票したことが判明。他党の比例候補に川合氏と同姓が1人、同名も1人いたことから、「飯塚市の開票作業でミスがあった」と主張し、飯塚市選管に再集計を求めた。

 だが公選法では比例代表の場合、中央選管の所管となるため、提訴を検討している。飯塚市は「開票作業にミスはなかった」とコメントしている。【佐藤心哉】
:引用終了

☆老人ホーム園長ら4人逮捕=入所者の投票偽造容疑-福岡県警
URL http://www.jiji.com/jc/zc?k=201307/2013072700291
引用:
 21日投開票された参院選の不在者投票で、老人ホーム入所者の投票を偽造したとして、福岡県警捜査2課などは27日、公選法違反(投票偽造)の疑いで、同県嘉麻市の特別養護老人ホーム「ひまわり園」園長の吉原正子容疑者(71)=同市大隈町=ら職員4人を逮捕した。同課によると、いずれも容疑を認めているという。
 他に逮捕されたのは、事務長の栗田由起江(59)=同県桂川町=、副園長の野見山桂子(52)=嘉麻市中益=両容疑者ら3人。
 逮捕容疑は、7月中旬、共謀して、意思疎通ができない80~90代の女性4人の投票用紙計8枚にそれぞれ同一候補の氏名を記入し、偽造した疑い。(2013/07/27-19:37)
:引用終了

☆山口選挙区で無効票増加
URL http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201307230013.html
引用:
 21日に投開票された参院選の山口選挙区(改選数1)で、無効票が前回2010年の参院選に比べ増加した市町が相次いだ。民主党が候補者を擁立できなかったため、同党支持層に白票が増えたとみられ、無効投票率は光市で5・24%に上った。

 山口選挙区は、自民党現職の農相に共産党新人などが挑む構図。民主党は候補者擁立を断念した。

 山口県選管によると、県平均の無効投票率は4・16%に達した。市町別で最も高かったのは光市の5・24%。無効投票数は前回の1・7倍の1253票で、そのうち44・3%の555票が何も書いていない白票だった。

 選挙区で初めて白票を投じたという光市の企業の労組関係者は「比例代表は民主党に組織内候補がいたので投票したが、選挙区には意中の候補がいなかった。心に重い選挙だった」と打ち明ける。

 県内で2番目に高かった岩国市は5・19%。前回の1・5倍の3170票が無効となり、その半数が白票だった。市選管は「『結果が見えている』との声を聞いた。そういう意識の有権者が多かったのでは」とみる。
:引用終了

☆(2013参院選)投票終了時間、35%で繰り上げ 「負担軽減」「夜は人来ない」
URL http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201307171027.html
引用:
参院選で、投票終了時間の繰り上げが各地に広がっている。本来はやむを得ない場合以外は認められないが、市町村は投票立会人の負担や、夜の投票者の少なさを理由にあげる。住民が自ら求める例もあるが、有権者の権利を制約しかねないと批判もある。

 総務省によると、参院選で投票終了時間を繰り上げるのは、全国の投票所4万8777カ所のうち、千葉、神奈川、大阪3府県を除く44都道府県の1万6957カ所(34・8%)。1998年以降の国政選挙で最も高い比率だ。

 同省は投票率の低下に歯止めをかけるため、98年6月から、午後6時までの投票時間を午後8時まで延ばした。公職選挙法は「特別な事情のある場合」に限って繰り上げを認める。

 繰り上げの理由について、各自治体は「投票立会人や職員の負担軽減」(茨城県取手市)、「夜間に投票率が上がらない」(高知県室戸市)、「震災復興に職員が必要」(福島県南相馬市)などとしている。

総務省は繰り上げについて「不都合がないというだけでなく、有権者の利益になる積極的理由が必要」としている。

 5月、都道府県や市町村選管の研修会で慎重な対応を求めた。
:引用終了


特に投票時間の繰り上げに関しては、ある意味で堂々とした不正だと私は思います。そもそも、今の投票時間は午後8時までと決まっているはずなのに、「負担軽減」「夜は人来ない」というような滅茶苦茶な理由で投票所を早く閉める行為は、国民から投票の機会を奪う行為にも等しいです。

こんなことを指示した連中を洗い出して、その責任をしっかりと追求しなければいけません。そして、横浜で起きた期日前投票のすり替えや投票の集計ミスなどの情報があまりにも多くて、こちらにも違和感を感じます。
機械やソフトを使って不正選挙をしてしまうと、「投票用紙を見せろ」と言われた時に投票用紙が無いと困るから、意図的に大量の票を生産したりしていませんか?

今回の参議院選挙では「同じ筆跡の票が多い」という指摘が全国的にあり、昨年の衆議院選挙よりもとても多いです。


☆公明党 わかまつ票 筆跡同じものが多数
URL http://firestorage.jp/download/42b829d7421db11080fc6fe12b9bf37b0af7a236
koumeitoudoutitu01.jpg
koumeitoudouitu02.jpg

☆"投票用紙の筆跡が似ているような気がする動画"を加工してみた

fiseu021.jpg

☆代理投票数の確認を! これで伊丹市の不正は確定 ~ その他不正関連事項調査(先住民族末裔の反乱) 
URL http://www.asyura2.com/13/senkyo151/msg/836.html
引用:
http://blogs.yahoo.co.jp/nothigcat2000/25209538.html
2013/8/1(木) 午後 11:34 先住民族末裔の反乱


 今回話題の一つである、数多の白票について調べていた途中、思わぬ数字が選管から発表されていることに気づいた。都道府県選管では、各市町村からの「代理投票数」を公表しているのである。これが選管の主張する「同一筆跡があってもおかしくない」という弁明の根拠ともなっているのだろうが、しかし先日取り上げた伊丹市の画像では、少なく見積もっても1500票もの「同一筆跡」投票用紙があったことが確認されている。そこで、同市選管に確認したところ、今回参議院選挙及び同時知事選の代理投票数は次の通りであった。
・・・・・・・・・・期日前投票・・・・・・選挙当日・・・・・・不在者投票・・・・・計
参議院選挙区・・・・・58・・・・・・・・・60・・・・・・・・69・・・・・・187
参議院比例区・・・・・57・・・・・・・・・64・・・・・・・・70・・・・・・191
県知事選挙・・・・・・58・・・・・・・・・58・・・・・・・・69・・・・・・185

 期日前、当日、不在者投票の全てを同一人物が代筆することは物理的に有り得ないのだが、仮にそうであっても高々191票、これに対し画像の同一筆跡投票用紙は1500票以上であることから、明らかに画像の投票用紙は不正に積み増しされたものだと証明できるのである。
また新たに「同一筆跡」画像を入手したので、ここに掲載する。
ツイッターより転載
報道規制解除 ‏@houdoukaijyo
参院選東京選挙区:公明党、若松かねしげ票。筆跡同じもの多数。ダウンロードはこちらから→http://xfs.jp/rm1Sm

この画像では枚数が確認できないのだが、これも上記同様に数字を確認すれば、不正投票用紙である可能性が大きいであろう。
ここで不正が疑惑から確信に変わった事案について、当該選挙区の住民には、是非選管への糾弾に加えて内乱罪に基づく告訴・告発を勧めたい。なぜなら選管及び不正サイドの当該事案への対処策として、

投票者からの糾弾、再集計の要望

再集計等を公職選挙法第204条に基づき拒否し、その手段は提訴のみと告知

裁判で同法に定める『選挙の結果に異動を及ぼす虞がある場合に限り』を盾に棄却

このようなシナリオで不正追及に対応しようとする意図は、過去の判決、マスコミの事前刷り込み及び選管職員の発言からも明白である。しかし不正投票用紙の発覚は国家転覆を謀る重罪でありることから、自己の投票事実が確認できない人も含めて、内乱罪の証拠として警察に訴えるべきなのである。権力と結託し腐敗した警察組織が真摯に告訴等を受け止め、筆跡鑑定や指紋照合など捜査に着手するとは考え難いが、そこでこそ不利益を蒙った政治家が立ち上がり、志を同じくする国民とともに、「不正選挙の実体と根絶」を求めた運動へと繋げることが重要なのだと私は思う。
:引用終了

☆選管に告発を迫れ!実は存在した代理不正投票(投票偽造)で逮捕となりすまし投票での刑事告発の動き(先住民族末裔の反乱)
URL http://www.asyura2.com/13/senkyo152/msg/151.html
引用:
http://blogs.yahoo.co.jp/nothigcat2000/25213468.html
2013/8/3(土) 午前 1:54 先住民族末裔の反乱


 施設等での代理投票の不正が問題となっていたが、実は福岡県嘉麻市の特別擁護老人ホームで入所者の投票を偽造したとして職員ら4人が逮捕されたと報じられた。報道では詳細が把握できないため、県選管に問い合わせてみた。すると次のような回答を得た。

●本件は警察主導で逮捕に至っており、投票用紙の確認等の協力要請もなかった
●市・県は一切告発は行っていない
●今後、有罪が確定しても、当落の異動がない限り選挙結果を変更する予定はない
●問題となった候補者名についても一切、警察から聞かされていない

つまり選管や内部告発ではなく、警察が勝手に偽造投票の事実を確認し、実際の投票用紙を確認することなく、公職選挙法違反で逮捕に至ったというのである。本来、偽造投票は公職選挙法にもならず、内乱罪として起訴されるべき事案であるにも関わらず警察が独断で、しかも選管での事実確認も経ずして逮捕に至った経緯に不可思議さが残る。
:引用終了


当ブログでは前にも書きましたが、7月21日の参議院選挙では、投票箱を投票所から開票所へ移動している最中に大量の同一候補を応援する票が投入された可能性があると推測されます。

自民党の党員だけでも全国に78万人もいるわけで、このような全国的な不正も十分に可能だと言えるでしょう。だからこそ、ネット上などにこのような不正選挙を示唆する情報があるということです。
「火のないところに煙は立たない」と言われているように、やっぱり、これだけの情報が流れるだけの火元があるようにしか考えられません。


---------------
<不正選挙疑惑を調べてみた> 選挙開票・企業株式会社ムサシにまつわる事実
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2682.html



追記 「独占」に関して 1月9日ー

このブログは巷で噂になっていた部分の事実を検証したものですが、
「独占」という事に関しての検証をしていなかった事をお詫びしたいと思います。
コメントなどでご指摘を頂きました。
その中で、グローリー(株)というところも、
自書式投票用紙分類機を開発していました。
日刊プレスリリース(2012/10/30)で報告されています。
グローリー(株)が新型投票用紙分類機「GTS-1000」を開発したという記事です。
詳しくは下記をご参照ください↓
グローリー、開票作業の大幅な効率化を実現する新型投票用紙分類機を開発
こちらの会社の初代の機械は
1996年業界初、
最高裁判所裁判官国民審査などの記号式投票用紙に記入された○×などの記号自動読み取り
とされています。
4代目GTS-500(2007年)は候補者名を事前に登録するだけで分類し、
投票用紙一枚一枚に書かれた候補者名や政党名などを瞬時に読み取り、
スタッカーに分類収納していくというものです。
なお、グローリー(株)は、投票用紙分類機だけではなく、
通貨処理機・レジつり銭機・両替機・カードシステム機・セキュリティー機器・医療費支払い機・
券売機・販売機などの他の商品も沢山あります→商品情報(グローバル)参照。

この一例を見ただけでも、
株式会社ムサシが「独占」であったということは事実に反している事が判明しました。


この事から、表題から「独占」の文字を削除させていただきたいと思います。
検証不足を改めてお詫びいたします。


ーーーここから本文ーーー


今回の選挙は不正選挙ではないのか?という声が沢山あります。
ツイッター上でも流れています。
でも、前に一度ガセネタに引っかかった事がある私なのでこの件は無視しようかと思っていました。

それでもどうしても気になって、
選挙システムを独占している株式会社ムサシのホームページを見てみました。
事実のみを検証してみようといろいろと調べ始めたら、
この会社はものすごく胡散臭いのです。

順を追って、事実のみここに載せます。


株式会社ムサシ

ムサシ15


役員
ムサシ16
代表取締役会長 都木 恒夫 (たかぎ つねお)
代表取締役社長 小林 厚一 (こばやし ひろかず)
代表取締役副社長 羽鳥 雅孝 (はとり まさたか)
常務取締役 青坂 修司 (あおさか しゅうじ)
常務取締役 佐々木 淳 (ささき まこと)
常務取締役 平口 恵三 (ひらぐち けいぞう)
取締役 村田 進 (むらた すすむ)
取締役 山村 隆 (やまむら たかし)
取締役 吉川 伸一 (よしかわ しんいち)
取締役 浅川 正仁 (あさかわ まさひと)
取締役 辻 明 (つじ あきら)
常勤監査役 中川 裕務 (なかがわ ひろむ)
常勤監査役 桑原 弘順 (くわばら ひろゆき)
社外監査役 安藤 信彦 (あんどう のぶひこ)
社外監査役 浅野 修一 (あさの しゅういち)

今回の注目は赤色の3人です。
まず、代表取締役社長小林 厚一 が
自民党に献金しているという話を検証してみました。

群馬県ホームページの検索から、
群馬県第4選挙支部で検索すると下記の画面が出てきます(↓クリックするとページが開きます)
ムサシ11

そこから、自由民主党群馬県第四選挙区支部(pdfファイル:700KB)をクリック。
下記のファイルが開きます。(↓画像をクリックするとページが開きます)
ムサシ12

代表者の名前は福田康夫。
11ページ目に株式会社ムサシ 小林 厚一 の名前で
23年1月31日、4月28日、7月29日、10月31日と、
3か月ごとの月末にとても規則正しく6万円円ずつ計24万円の献金しています。

ムサシ13
ここで、自由民主党群馬県支部とムサシの社長の結びつきが良く分かります。


次は社外監査役 浅野 修一
公認会計士税理士浅野修一事務所
社団法人原子燃料政策研究会の監事もやっているという噂。
確かに、名前がちゃんと記載されています。
原子力ムラとつながりがあるという事。

ムサシ14


ムサシの歴史を見てみました。



ムサシの歴史
沿革
1946年(昭和21年) 12月 グループの母体である武蔵商事株式会社を創業。
1947年(昭和22年) 1月 紙加工製品の販売に着手。(紙・紙加工品事業開始)
1949年(昭和24年) 4月 商号を武蔵紙業株式会社に変更。
1955年(昭和30年) 4月 写真機、感光材料の販売会社として株式会社武蔵商会設立。
1959年(昭和34年) 4月 富士フイルム株式会社の特約代理店となり、ネオコピー(写真複写機用感材)の販売を開始。
(情報・産業システム事業開始)
1961年(昭和36年) 7月 富士フイルム株式会社製クイックコピーの販売を開始。
1962年(昭和37年) 9月 商号を武蔵株式会社に変更。
11月 株式会社武蔵商会を吸収合併。
1963年(昭和38年) 3月 エフ・ビー・エム株式会社に資本参加。
1965年(昭和40年) 7月 現金処理機器(紙幣計数機)の販売開始。
(金融汎用システム事業開始)
8月 PS版(印刷材料)の販売開始。(印刷システム事業開始)
1967年(昭和42年) 6月 株式会社ジェイ・アイ・エムに資本参加。
1970年(昭和45年) 選挙用機器(投票用紙計数機)の販売開始。
(選挙システム事業開始)
1978年(昭和53年) 1月 武蔵エンジニアリング株式会社(子会社:自社開発商品の設計・製造)を設立。
1979年(昭和54年) 4月 現金処理機器の輸出販売を開始。
1986年(昭和61年) 5月 不動産管理会社として、武蔵興産株式会社を設立。
1991年(平成3年) 12月 商号を株式会社ムサシに変更。
1994年(平成6年) 4月 名刺・ハガキの印刷システム機材の販売を開始。(名刺・ハガキプリントシステム事業開始)
1995年(平成7年) 2月 株式会社武蔵エンタープライズに資本参加。
1996年(平成8年) 10月 日本証券業協会(現 ジャスダック証券取引所)に株式を上場。
創立50周年。
1997年(平成9年) 9月 株式会社ムサシ・エービーシーを子会社化。
2001年(平成13年) 9月 株式会社ムサシ・ユニシステムを子会社化。
2002年(平成14年) 3月 ムサシ・アイ・テクノ株式会社を子会社化。
9月 株式会社国際マイクロフォト研究所を子会社化。
2005年(平成17年) 10月 メンテナンスサービス部門を分社化し、ムサシ・フィールド・サポート株式会社を設立。
2007年(平成19年) 10月 株式会社ムサシ・ユニシステムと株式会社国際マイクロフォト研究所が合併し、ムサシ・イメージ情報株式会社を設立。




株式会社ムサシのホームページより、
どんな機会を使って集計しているのか見てみました。

選挙機器
自書式投票用紙読取分類機
ムサシ17

なんと!(◕Д◕✫)オォゥ!!この機械!!!
「漢字、ひらがな、カタカナ、これらが混在した文字はもちろん、
続け字・崩し字・横書き文字なども、正確にスピーディーに識別します」

そしてもうひとつ驚いたことに、
開票のための自動読み取り機だけではありません。
投票箱も投票用紙計数機も
投票所に行くと紙が出てくる投票用紙自動交付機何もかも、
投票所に行けば目にするもの全てがムサシの商品です。もちろん投票用紙も。
全て!全部独占なのです。

ムサシ18


この会社の株をもっている人はどんな人達なのでしょうか?

上位株主
ムサシ30

上毛実業株式会社 1,488,600 株
ショウリン商事株式会社 1,197,400 株
ムサシ社員持株会 546,200 株
株式会社 みずほ銀行 360,000 株
ムサシ互助会 299,100 株
小林 厚一 237,700 株
羽鳥 雅孝 237,200 株
株式会社三井住友銀行 190,000 株
UBS FINANCIAL SERVICES INC.-SPECIAL
CUSTODY ACCOUNT FOR THE EXCLUSIVE
BENEFIT OF CUSTOMERS 148,080 株
(2012年9月30日現在)

株主No1の上毛実業株式会社のホームページを探してみましたが、
住所しかわかりません。
こんなに株をもっていて、何をやっている会社なのでしょうか?
住所: 113-0021 東京都 文京区 本駒込2-27-18-201
201という事はマンションの一室のみということ。
普通の会社には思えませんでしたので、グーグルアースで検索してみました。そしたら・・・
マンションといっても豪華なマンションでした。


ムサシ25
ムサシ26 ムサシ27
ムサシ28



株主No2のショウリン商事株式会社 という会社もホームページがありません。
住所: 167-0052 東京都 杉並区 南荻窪2-3-11
電話: (03) 3546 7711
怪しい感じがビビッ!ときたので、同じくグーグルで探してみました。

ムサシ20 ムサシ22
ムサシ21

とても豪華な個人の家のようです、(☼ Д ☼) クワッッ!!!

ムサシ23

表札の名前が・・・小林 厚一

私はここで鳥肌が立ちました。

では、最初のマンションは誰のもの?
とても知りたくなって調べました。

有価証券報告書オンライン閲覧サービス 有報リーダー
ムサシ29


同じ色の枠の中の住所に注目!
まったく同じ住所です。

選挙システムを全て独占している会社の個人の大株主が架空の会社と一緒です。
信じられませんが、それぞれ個人宅が大株主の会社になっています。
ムサシ互助会は互助会だからもちろん内輪
だし、
UBS FINANCIAL SERVICES INC.-SPECIAL 
CUSTODY ACCOUNT FOR THE EXCLUSIVE BENEFIT OF CUSTOMERS
に関しては分かりませんでしたが(ここも怪しい)、ほとんどの株をこの二人でもっているという事。


URL http://www.musashinet.co.jp/company/outline.html
 ムサシの筆頭株主に上毛実業という会社があります。
上毛実業はロックフェラー傘下の株式会社ダヴィンチ・ホールディングスの子会社アルガーブが上毛実業株式会社の発行株の17.18%を支配していると言われています。 その毛実業株式会社が株式会社ムサシの発行株を握っている・・・。
 これは、さらに何かあっても不思議ではないですね。
 ロックフェラー家は世界大戦前からアメリカを牛耳っている大貴族です。 この一族が遠からず関与しているとなると、ムサシという会社に問題があっても、それを崩すのは難しいと私は思います。

 事実、ムサシは過去に選挙無効判決が下されるほどの不正行為をしているのです。 そのような行為をしても、独占状態という地位を保っているところを見ると、東電と同じように警察などが本気で動いてくれない可能性が高いです。
☆岐阜県可児市議選の「選挙無効」に対する県の上告を最高裁が棄却し、再選挙が決定
URL http://exodus.exblog.jp/976193/



衆議院選挙は操作されていた!!
ムサシは安倍晋三も大株主

http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-7c9c.html

飛鳥  この間行なわれた衆議院選挙について、「日刊ゲンダイ」がとんでもないことを暴き出している。あの選挙は民間企業の「株式会社ムサシ」が、国政選挙システムを一手に引き受けてやったという。だから「ムサシ」がその気になれば、いくらでもデータを改ざんできる。今それについてのものすごい追求を徹底して、日刊ゲンダイだけがやっているんだ。だけど4大新聞は知らん顔で、特に読売新聞は一切無視している。

   「ムサシ」というのは調べてみるととんでもない企業で、実は安倍晋三のオヤジが大株主だった。安倍晋太郎は亡くなっているから当然今は、それを引き継いだ安倍晋三が大株主だ。



ちょっとここで素朴な疑問
配当金はいくらになるのかな?
ムサシ31

※配当金の額が間違っているというご指摘を受けました。
たとえば2013年度予想では、年間20円(中間10円+期末10円)が正しいようです。
大変申し訳ありませんでした。
正しい数字を緑の文字で訂正させていただきます。


配当金
2010年度 50円  35円
2011年度 36円  28円
2012年度 20円  
2013年度 40円  20円

2013年度の一株40円予想で計算してみましょう

羽鳥 雅孝      237,200 株
上毛実業株式会社 1,488,600 株
合計          1,725,800 株 × 20=34,516,000円
羽鳥 雅孝 3千451万万6千円


小林 厚一      237,700 株
ショウリン商事株式会社 1,197,400 株
合計              1,375,100 株 ×20=27,502,000円
小林 厚一 2千750万2千円   

す・・・すごい!!!
配当金だけでこれだけの収入になる。




参考に決算情報
ムサシ32

単位は100万円
数が大きすぎて上手く数えられなかったけれど、
12年3月の売り上げは381億2600万。利益が3億8800万。

(配当金を沢山出さなきゃ利益が増えちゃいますね・・
それにしても売り上げの割には利益が少なすぎる気がする)




2012年12月07日 選挙事業のご紹介


ムサシと選挙のあゆみ
1946年(昭和21年) 日本国憲法公布。
武蔵商事株式会社設立。(12月5日)
1962年(昭和37年) 商号を武蔵株式会社に変更。
1965年(昭和40年) 選挙計数機の開発に着手。
自治省選挙部、東京都選管ならびに3選管連合会を含めた開発プロジェクト設置。
1966年(昭和41年) 計数機使用に伴う開票システムの改革ならびに関係法令の運用の検討に入る。
1967年(昭和42年) 母体の紙幣計数機にて試行開始。
1968年(昭和43年) 選挙用モデル機完成、試行開始。
関係法令の運用は施行令72条により、2回別々に計数することに決定。
1970年(昭和45年) 選挙専用投票用紙計数機「武蔵EL2型」発売、 自治省選挙部にて命名いただく。
新しい開票の標準システムとレイアウト完成、従来の点検台方式を直列(川の流れ)方式とする。
1971年(昭和46年) 執行経費に算入する。
「武蔵EL2型」の全国導入はじまる。
1972年(昭和47年) 地方交付税交付金に算入する。
ボーティングマシンの研究・開発に着手。
アメリカ、ヨーロッパ選挙事情視察および外国の選挙制度の研究をはじめる。
1973年(昭和48年) 地方交付税交付金に算入する。
ボーティングマシンの研究・開発に着手。
アメリカ、ヨーロッパ選挙事情視察および外国の選挙制度の研究をはじめる。
1973年(昭和48年) 投票用紙自動交付機の開発に着手。
アメリカ、AVM社(ボーティングマシンメーカー)と業務提携。
※不正選挙のノウハウも提携してプログラムのソースやアルゴリズムを引継いでる?


1975年(昭和50年) 投票用紙自動交付機「バロット」発表、選挙部にて命名いただく。
データ伝送・収集システム(ミューライン)開発。
1978年(昭和53年) 自動開披投票箱の開発に着手。
自民党総裁選挙投開票事務のコンサルティングを行う。
1980年(昭和55年) 史上初の衆参同日選挙。
自動開披投票用紙の開発に着手。
1981年(昭和56年) 中華民国台湾政府の要請で選挙事務のコンサルティングを行う。
1982年(昭和57年) 自民党総裁選挙投開票事務受託。100万票を3時間で結了。
選挙専用計数機「テラックー武蔵EL」発売。
1983年(昭和58年) 現行法に基づく電子投票機を試作。
1985年(昭和60年) 「市町村選挙事務マニュアル」発刊、全国選管へ配付。
選挙事務ソフト(ワープロ用)発売。
1988年(昭和63年) 選挙の入口から出口までを整備・構築。
「選挙総合カタログ」発刊。
1989年(平成元年) 自動開披投票用紙完成。「BPコート」として発売。
音声発生型投票用紙自動交付機「バロット3型」発売。
1991年(平成3年) 開票集計システム発売。
「バロットデータ収集装置」開発に着手。
社名変更、武蔵株式会社から株式会社ムサシへ。
1992年(平成4年) 最高裁判官国民審査読取集計機の開発に着手。
第16回参院選より全国即日開票となる。
簡易型投票用紙交付器「バロットジュニア」発表。
リサイクル型投票箱発表。
1993年(平成5年) 資源再利用ポスター掲示板開発に着手。
1994年(平成6年) 選挙ソフト4シリーズ発表。
新選挙制度公布、中選挙区制から小選挙区比例代表制へ。
1995年(平成7年) 選挙専用計数機「テラックーEL21」、記号式用スタンパー発売。
1996年(平成8年) 新制度による総選挙(10月20日)。
最高裁判官国民審査投票読取集計機「テラック MARK III」発売、衆院選で使用。
店頭公開、創立50周年。
1998年(平成10年) 投票用紙自動交付機「テラックBA-7」発売。
投票時間2時間延長。
不在者投票の投票時間3時間延長。
国連の要請による、カンボジア国自主選挙へ投票箱供給。
1999年(平成11年) 自民党総裁選挙開票事務受託。
民主党代表選挙投開票事務サポート。
2000年(平成12年) 不在者投票封筒押印・印刷機「テラックEP-1」発売。
2001年(平成13年) 自書式投票用紙読取分類機「テラックCRS9」発売。
不在者投票用検知機能付封筒計数・開封機「テラックAE-3」発売。
地方公共団体の選挙に係わる電磁的記録式投票機を用いて行う投票方法等の特例法成立。
2007年(平成19年) リジェクト機能付・投票用紙計数機「テラックEL15R」発売。




たびたび、アメリカ、ヨーロッパ選挙事情視察および外国の選挙制度の研究をしているということで、
アメリカの例を調べたら・・・
(中華民国台湾政府にもということは、
こんな選挙の方法を取っていたら世界中が乗っ取られる日が来るかも?と一瞬思う)

アメリカの出来事


2004年12月13日
大統領選挙に関する公開討論


クリントン・ユーゲン・カーティス(Clinton Eugene Curtis)コンビュー・プログラマー:
私はプログラマーとしてNASAに勤務し、エクソン・モービルや運輸省にも勤務していました。

Q:不正な選挙を行うために使用される秘密のプログラムは存在しているのですか?

クリントン:はい。

Q:どのようにしてそれを知ったのですか?


クリントン:
2000年の10月に私が勤めていたフロリダのロペトにある会社で、
現在の下院議員であるトム・フィーニー氏用の試作プログラムを書いたからです。
彼らは正しくそれをやったのです。

Q:「正しくそれをやった」というのは選挙の不正操作の事ですね?

クリントン:実際の投票はどうであれ、結果は51対49になるようになっています。

Q:それであなたが設計したプログラムは選挙官史や州管理委員会が検知できるようなものですか?

クリントン:いえ、決して見ることはできません。

Q:では、選挙を不正操作するそのようなプログラムをどのようにして発見したらいいのですか?

クリントン:
ソースコードを見るか投票用紙の受取書を入手して数え上げ、
実際の投票数と比較する以外に他の方法は全くありません。


自動票数計算機の製造業者は誰にもそのソースコードを見せようとはしておりません。
どのような選挙も投票用紙なくして、その正当性を検証することはできません。

Q:
そのような不正選挙用ソフトが存在している事や、出口調査と開票集計との結果がかい離していることから、
あなたはオハイオでの大統領選が不正に行われたか否かについて何か意見はお持ちですか?

クリントン:はい、不正は行われたと思います。

Q:不正がなかった事を確証するようなものは全くない?

クリントン:全くありません。

2004年のオハイオ選挙区にて、投票直後に行われた出口調査の結果は
票の開票結果が誤りであることを示す、ほとんど反論の余地のない証拠となっている。


国立選挙資料館
マイケル・ルッパート 調査員兼作家:
自動票数計算機を信じる人がいたら、脳みそを検査してもらう必要がある。

「2006年の選挙の完全性は保障できない」(政府説明責任局)
投票用紙のメーカーの多くは外国の機関によって所有・運営されているのです。

投票者はなにも決せず、開票者が全てを決する(ヨセフ・スターリン ロシアの独裁者)


Clinton Eugene Curtis氏
オリジナル動画 ↓




ーーーー

ムサシの自書式投票用紙読取分類機の説明には

「漢字、ひらがな、カタカナ、これらが混在した文字はもちろん、
続け字・崩し字・横書き文字なども、正確にスピーディーに識別します。」

と書いてあります。
この言葉ですが、信じられますか?
わたしは他の人が書いた「続け字・崩し字」は読めないものがほとんどです。
でも、ムサシのこの機械は読みとるのだそうです。
すごいです。
「続け字・崩し字」ではなく「普通に書いた文字」でも
正確に読み取れるソフトなど私ま今まで見た事もありません。

そして、調べれば調べるほど、株式会社ムサシという会社は得体が知れませんし、
上にいる人物に信頼ができなくなりました。
特に自民党とは深いつながりがありそうです。
私がパソコンで、しかも数時間でこれだけの事実を見つけられるのです。
報道という名の職業についている人は不思議だと思いませんか?
1社が独占しているという事。

今までも報道は何とか省とか政府や東電が発表する事をそのまんま伝言ゲームみたいに報道してきました。
その中には隠されていた事実やウソが山盛りでした。
自ら調べて真実を追求する事が出来ないものなのでしょうか?

不信感は募るばかりです。
私は国民がそんなに騙されやすくてバカだとは思えません。

何度もこのブログにも書いていますが、
投票所には、小さな子どもを連れた家族連れなどの今まではいなかった年齢層の人がとても多かったのです。
そして経験した事のない行列だったのです。(そのような報告は他の各地からもありました)
開票率が10%で確定が出る筈がないのです。
今まで選挙に行かなかった人がきているのですから。
1時間も早く投票所を勝手に閉めた地域も沢山あります。
仕事を終えて急いで投票所に行ったら閉まっていたという話も沢山聞きました。

一大事だと思って、初めて投票した人もいるでしょう。
そんな人は今度の選挙結果を見たら、「バカらしい。もう行くもんか」と思うでしょう。

期日前投票に行った友達は、
「いつもは誰もいないのにとても並んだし、混んでいた」そして、
「私は手が不自由で文字が書けないから代筆して下さい」と言っている人がいて、
その人は大きな声で「都知事は宇都宮けんじ・政党は共産党」と言っていたそうです。
「そんな事大声で言っちゃってたよ」と、友達は驚いていました。


事実がどこにあるのかはわかりませんが、
機械ですから、
プログラムを組み込んだり、いろんな操作をする事は可能でしょうし、
独占ですから、
投票箱も投票用紙も全てをムサシが持っているのです。
前もって何かの準備をすることも可能です。
真実を明らかにしていただきたいです。
この事も大手メディアに動いてもらいたいです。

お願いします。
投票用紙をもう一度全て人の手で、報道カメラを各局沢山配置したなかで、
何日かかってもいいから数え直して下さい!


ということで・・・恒例の


「黙っていないで声を出そう~おねがいしてみよう~」
選挙の開票ってどういうシステムで本当はどうなの?


テレビ局


・・・・・・・・・・・・・・・

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再生リスト:「国民の生活が第一」を支援する市民大集会 2012/9/1
http://www.youtube.com/playlist?list=PL2617FA4CFF36F3C5


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今日のイベント
原発関連:集会・イベント情報、Ustream番組表
http://2011shinsai.info/event/

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閑話休題

ツイッターの流行がわかる日刊ツイッターランキング 
http://twinavi.jp/news/daily?ref=top

今、話題の動画のランキング tweetmovie ツイートムービー 
http://tweetmovie.jp/

NAVERタブーまとめ

http://matome.naver.jp/topic/1LwS6







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<<日本 クローズアップ現代:国内の話題>
2 オリンピック招致で大嘘の安部首相の現状と泉田知事の変心

2013/9/28 オリンピック招致で大嘘の安部首相の現状と泉田知事の変心
クローズアップ現代 日本 国内問題 クロ現 オリンピック招致 大嘘 安部首相の現状 泉田知事の変心







服部順治 ‏@JunjiHattori 21時間
おー、今日も小沢さん、鋭いですね!泉田知事の変心は国などのお金めあての地元突き上げ:また東京五輪の開催で韓国と同じ、お金をどんどん使わせて財政破綻に追い込むつもり?金融マフィアめ!
@JOKR_bot 森本毅郎・スタンバイ!小沢遼子
http://goo.gl/Q1RF4

みっちゃんSP ‏@angel19600819 9月26日
https://www.youtube.com/watch?v=8degfvh7eQk&feature=youtube_gdata_player …← 海外メディアの方が #NHK よりニューヨーク演説報道してるぜ!恥ずかしい公共放送だ!RT"@nhk_news: 首相 国連総会で演説へ http://nhk.jp/N49e6Dll #nhk24


服部順治 ‏@JunjiHattori 20時間
いや肝心の中韓と話しができずお金をばら撒く話ばかりで恥ずかしいのです!
@angel19600819 http://youtube.com/watch?v=8degfvh7eQk ……
← 海外メディアの方がNHK よりニューヨーク演説報道してるぜ!恥ずかしい公共放送だ!
http://nhk.jp/N49e6Dll



Fujiyama ‏@FujiyamaNn 9月23日
安倍晋三氏は、内容も理解せずに虚言をさえずる。IOCで自分が言ったことも理解していない。
安倍首相「0・3平方キロはどこ?」/現地視察の際、東電幹部に/範囲知らず発言か : 47トピックス - 47NEWS(よんななニュース) http://www.47news.jp/47topics/e/245826.php


服部順治 ‏@JunjiHattori 15時間
あーそれ、わかってたよ!理解してたらあんなドヤ顔できないよ
@FujiyamaNn 安倍晋三氏は内容も理解せずに虚言を・IOCで言ったことも理解せず。 安倍首相「0・3平方キロはどこ?」/現地視察の際、東電幹部に/範囲知らず発言か : http://www.47news.jp/47topics/e/245826.php


masa(脱原発に一票) ‏@masa59951583 9月23日
今日の東京新聞!
【日量800トン大半が汚染】
【国民の税金470億円で遮水壁】
【宿命だった地下水問題】
『オリンピックに国民の税金6000億円】
@tim1134 https://twitter.com/masa59951583/status/382016792031293441/photo/1


服部順治 ‏@JunjiHattori 15時間
ふーオリンピックで囃したて汚染水対策:誰の責任かうやむや

@masa59951583 今日の東京新聞!【日量800トン大半が汚染】国民の税金470億円で遮水壁、宿命だった地下水問題、オリンピックに国民の税金6000億円 @tim1134 https://twitter.com/masa59951583/status/382016792031293441/photo/1

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首相 国連総会で演説へ
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130926/k10014829011000.html

安倍総理大臣は、日本時間の27日未明、国連総会で一般討論演説を行い、内戦が続くシリアと周辺国の難民への追加の人道支援を表明するほか、女性の力を活用する重要性を取り上げ「女性が輝く社会」の実現を訴えることにしています。

ニューヨークを訪れている安倍総理大臣は日本時間の26日未明、ニューヨーク証券取引所での演説で日本への積極的な投資を呼びかけ、保守系のシンクタンクの会合で集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の見直しに理解を求めました。
安倍総理大臣は、日本時間の27日午前2時すぎから、国連総会で一般討論演説を行うことにしています。
このなかで、内戦が続くシリア情勢について、現地に残る化学兵器の廃棄に向けた国際社会の努力を支持し、協力する考えを示したうえで、シリアと周辺国の難民への人道支援のため、日本政府として6000万ドル相当(日本円にしておよそ60億円)の追加支援を表明することにしています。
また安倍総理大臣は、女性の力を活用する重要性を取り上げ「女性が輝く社会」を実現するため、日本で女性が働きやすい環境づくりに努めていることを説明するとともに、紛争や貧困を抱える国や地域での女性の権利を守る取り組みを日本として支援していく考えを訴えることにしています。
さらに「積極的平和主義」の立場から、国連のPKO=平和維持活動をはじめ、国連の集団安全保障により積極的に参加できるよう取り組む考えを強調することにしています。
一方、安倍総理大臣は、これに先立って日本時間の26日夜、イランのロウハニ大統領と会談することになり、イランの核開発問題やシリア情勢などを巡って意見が交わされるものとみられます。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
泉田知事に何があったのか 「特捜部がターゲットに」報道も (田中龍作ジャーナル) 
http://www.asyura2.com/13/senkyo154/msg/308.html
投稿者 赤かぶ 日時 2013 年 9 月 26 日 21:11:00: igsppGRN/E9PQ

http://www.asyura2.com/13/senkyo154/msg/308.html

ぶら下がり記者会見(25日夜) の口ぶりからは容認に転じるとは受け取ることができなかった。=新潟県庁 写真:筆者=


泉田知事に何があったのか 「特捜部がターゲットに」報道も
http://tanakaryusaku.jp/2013/09/0007943
2013年9月26日 20:19 田中龍作ジャーナル


 背景に何があったのだろうか? 新潟県の泉田裕彦知事がきょう午後、柏崎刈羽原発6、7号機をめぐり東電が原子力規制委員会に提出する安全審査申請を条件付きで容認することを明らかにした。

 安全審査申請は再稼働の前提となる。原子力規制委員会(田中俊一委員長)が新規制基準に適合していると判断し、地元(新潟県、柏崎市、刈羽村)が合意すれば、東電は柏崎刈羽原発6、7号機を再稼働できる。

 泉田知事はきのう(25日)午後、新規制基準の条件となるベントフィルター設置の要望書を提出に新潟県庁を訪れた東電の廣瀬直己社長と面談した。

 面談から3時間後に行われた ぶら下がり記者会見 で泉田知事は「(廣瀬社長の説明では)なるほどとは思えない」などとして東電の安全対策に不信感をにじませていた。

 「(東電への)回答はここ一日、二日のうちにするのか?」とする記者団からの質問に対しても、「先ずは担当部局と相談してから」と答えた。すぐには行かない、としか受け取れなかった。

 急展開の背景に何があったのだろうか? 思い至るのは、5日に新潟県庁で持たれたメディア懇談会だ。「第2の佐藤栄佐久氏(前福島県知事)になると思ったことはないか?」と筆者が質問しところ、泉田知事は「ありますね」と答えた。「黒塗りの車にビタっとつけられた時は気持ちが悪かった」と話した。

 東電のプルサーマル計画に反対していた佐藤栄佐久・前福島県知事は、実弟の不正土地取引の疑いをめぐる収賄罪で東京地検に逮捕、起訴された。収賄金額はゼロ円という奇妙キテレツな汚職事件だった。国策捜査のはしりである。

 検察庁は福島原発事故で住民を死傷させたとして告訴されていた東電経営陣や政府高官を全員不起訴にした。工場が事故を起こすなどした時はすぐに家宅捜索に入り、会社幹部を逮捕する検察庁なのだが、原子力ムラには手が出せないようだ。

 その検察庁が「泉田知事をターゲットにした」との記事が『サンデー毎日』(10月6日号)に掲載された。同誌は地検特捜部関係者のコメントとして次のように書いている――

 「地検上層部からの指示で泉田知事を徹底的に洗っています。立件できれば御の字だが、できなくても何らかの圧力を感じさせることで、原発再稼働に軌道修正させる助けになりたい考えではないか」。


 昨夜の段階では「規制基準をクリアしても安全は確保できない」とまで話していた泉田知事が一転、容認した背景には「何らかの圧力」があったのだろうか。

 泉田知事の容認を受け、東電は明日(27日)、柏崎刈羽原発6、7号機の再稼働に向けた安全審査申請書を原子力規制庁に提出する。

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<世界 クローズアップ現代:海外の話題>
3 戦争させてお金を使わせようとしてる間に財政破綻が間近に


2013/9/28 戦争させてお金を使わせようとしてる間に財政破綻が間近に
クローズアップ現代 世界 クロ現 海外問題 戦争させて お金 使わせよう 財政破綻 間近に




服部順治 ‏@JunjiHattori 9月26日
ひぇー今の世界のトップニュースはこれ!他はめくらましと考えよう!もうデフォルトを前提に政府機関が当面運営し続けるための法案を競って承認している状態!なぜ報道しないマスコミ?「焦点:現実味を増す米国のデフォルト懸念」 | Reuters

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE98O02U20130925


服部順治 ‏@JunjiHattori 9月26日
うむ?まさか安倍首相、これでも消費増税を決める、ってことないよねー!米破綻で株急落、就職難で大不況!リーマンショックどころじゃないのに、先月まで景気よかったから消費増税?「焦点:現実味を増す米国のデフォルト懸念 |

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE98O02U20130925

妹尾 ‏@ryosenoh 9月26日
アメリカの強制財政削減でいよいよ日本は
http://goo.gl/Eu55NL

財政再建を言いながら、イラクからアフガン戦争を続けたつけが現時点の財政破綻に。速やかな中東方面イラクアフガンからの撤退と戦略構想と軍の再編しか米の復活はないだろう。自衛隊しか当てにできない。


服部順治 ‏@JunjiHattori 21時間
あーあ、ケネディ嬢からは「財政破綻でお金がないから、日本は中韓と仲良くしてね」
でもマスコミは無視

@ryosenoh アメリカの強制財政削減でいよいよ日本は http://goo.gl/Eu55NL 財政再建を言いながら、イラクからアフガン戦争を続けたつけが現時点の財政破綻に

服部順治 ‏@JunjiHattori 21時間
ひぇーシリアで戦争起こせないから今度はケニアをゆさぶってる!
特にフランスがマリと関連づけてアフリカ全土が危ないと、
イスラム過激派アッシャバーブのせいにし、また戦争の機会を窺ってる!
【ケニア襲撃事件】犯人に米国人や欧州人ら 米CNN報道


http://sankei.jp.msn.com/world/news/130923/mds13092315500006-n1.htm


服部順治 ‏@JunjiHattori 20時間
あー、ホント、欧米の金融マフィアらは懲りない、と言うか、事あるごとにアルカイダの憎しみを利用して、お金を各国に使わせようとしている。でもそれは日本も同じだ。天皇の日銀も財閥の支援を受け、オリンピックや戦争・日赤ビジネスを拡大してるからな!まあ金を使わせて何ぼの半沢直樹の世界か!

服部順治 ‏@JunjiHattori 9月26日
おー仏原子力大手アレバ社が採掘するウラン鉱山を守り、トゥーレ大統領を倒したのか!なお大義名分は人権保護「マリ介入、なぜフランスなの?答え:旧宗主国でつながり深く隣国の原子力資源を守る狙い」
http://mainichi.jp/opinion/news/20130204ddm003070129000c.html

http://sankei.jp.msn.com/world/news/130813/mds13081312010002-n1.htm








「焦点:現実味を増す米国のデフォルト懸念 |


http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE98O02U20130925



[ワシントン 24日 ロイター] - 米国では政治の機能不全により、政府のデフォルト(債務不履行)という「考えられない」事態が実現するのではないかとの不安が増しつつある。

議会が連邦政府債務の法定上限引き上げを承認しないと、来月にもデフォルトが起きる可能性がある。議員らがそれが発生した場合にどう乗り切るかを公然と語っているという今の状況に、古株の政府関係者は驚きあきれている。

デフォルトが懸念されるのは、野党共和党が16兆7000億ドルの債務上限引き上げの交換条件として大幅な歳出削減を要求していることも理由の1つだ。これは福祉分野以外のあらゆる歳出が既に切り詰められている以上、実行には無理があるだろう。さらに踏み込むには、議会が年金や高齢者向け医療費などの極めて神聖な領域までも歳出を減らさなければならず、一部の議員はいかにも気乗りがしない様子を見せている。


投資家向けに政治分析を行うハミルトン・プレース・ストラテジーズのトニー・フラット氏は「各種の材料を総合して考えれば、(デフォルト回避の)合意が成立する可能性はどんどん低下している。厳しい選択肢しか存在しない」と指摘した。

こうした中で最近数日の議会における議論は、債務上限問題に集中する状況からは程遠い。むしろ月末で予算手当てがなくなる大半の政府機関を当面運営し続けるための法案を競って承認している。

本来ならばウォール街に信頼感を与えることが仕事の1つであるはずのルー財務長官さえ、連邦政府が債務返済能力を維持していけるかどうか不安な心情を吐露した。

長官は先週開催されたある企業フォーラムで「債務上限問題を瀬戸際に持っていきたいという(政治的な)欲求があることで、わたしは落ち着かない」と語った。

シンクタンクのバイパーティザン・ポリシー・センターのアナリストで共和党員であり、かつて上院予算委員会のディレクターを務めたスティーブ・ベル氏は、自身の40年に及ぶワシントン生活でデフォルトが起きるかもしれないとこれほど不安になったことはないと話す。



同センターは10月18日─11月5日の間に政府のデフォルトが始まると予想している。

<2011年より厳しい状況>

連邦債務上限が前回問題になった2011年にも、米国はデフォルト寸前の状況に陥り、スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)によるトリプルA格付けの引き下げにつながった。

当時は議会とホワイトハウスが今年から実施されている大幅な歳出削減で合意に達して危機を脱したが、社会保障年金やメディケア(高齢者向け公的医療保険制度)などのいわゆる「エンタイトルメント・プログラム」はほぼ手つかずだった。

しかしもはや簡単に減らせる支出はすべて減らしてしまった今回は、国庫が資金不足となる前に新たな財政引き締め合意にこぎ着けるのはずっと難しくなるだろう。

ベル氏は合意が形成されるかどうかについて「2011年よりも不安感は大きい」と述べた。

クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)市場では、米国の債務1000万ドルに対する向こう5年間の保証料は約2万8000ドルと、11年7月につけた過去最高の約6万3000ドルよりもまだずっと低い。

それでも一部の投資家はデフォルトリスクを再評価し始めている。世界最大級のヘッジファンド、ブリッジウォーター・アソシエーツを創設したレイ・ダリオ氏はリポートに「互いに相容れない意見の相違が強固になりつつあるので、議会と大統領は時間切れを迎える前に債務上限引き上げに関して合意に達しない可能性が高まっている」と記した。


ルー財務長官の態度は、一貫してデフォルトは「考えられない」と主張していた2011年当時のガイトナー前財務長官とは好対照だ。

共和党議員の多くは、もし国庫資金が不足した場合は、他の支払い義務よりも債権者への返済を優先する計画を支持。ホワイトハウスはこうした計画には拒否権を発動すると言明している。

ワシントン政界のベテランによると、過去の世代の政治家ならばデフォルトの見通しについて真剣に検討することさえしなかっただろうという。

こうした情勢の変化はつまり、投資家がかつてまったく抱かなった不安を醸成させる。これまで何十年も、米国が支払い不能に陥ることなどあり得ず、債務が返済されないリスクはゼロだと考えられてきたのだ。

クリントン政権下で行政管理予算局(OMB)局長を務めたアリス・リブリン氏も、現在ほどデフォルトリスクが高まった局面は目にしたことがないと述べた。

リブリン氏は「数年前なら『馬鹿を言ってはいけない。もちろん債務上限は引き上げられる』と断言できたところだが、もはやだれもそんな風に言えなくなっている」と様変わりした事態を描写した。

(Jason Lange記者)

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アメリカが債務不履行(デフォルト)を宣言したらどういう影響がありますか?

http://okwave.jp/qa/q4561949.html


まったくの私見で失礼します。

まず単純にデフォルトというのはまずないと思います。
あるとすれば新ドルの発行で旧1ドルに対して新0.7ドルを
割り当てるとか、いわゆるデノミネーションというのですが
そういうことをしそうな気がします。そうするとまったくの
デフォルトではなくある程度回収できるので各国は納得せざるを
えないと思います。しかし、戦略としてはまずデフォルトと
言っておいて、じゃあそれはあんまりだから新ドルをというような
落とし所をもってくるんじゃないでしょうか。以前そういった質問が
あったときに私はアメリカがデフォルトなんてありえないと思って
いましたが、もうここまでくると非現実的とは思えなくなって
きました。当然アメリカの信用は地に落ちますし、基軸通貨の地位も
失う可能性が高いでしょうが、ユーロにしたっていつばらばらになるか
わからない通貨だし、まさか円にそんな役割が務まるわけないんです
よね。何といっても中国にとっても日本にとってもまた世界にとっても
アメリカなしでは依然回らないんですね。あれだけしっかり輸入して
圧倒的なGDPを生み出せる国はないわけですから、やっぱり少々
乱暴なことをしても世界はうんというしかないと今はそんなところ
だと思います。現在の米ドルはすでに地に落ちたようなもんで、少々
荒っぽいことをしたってもうどうってことはないんじゃないでしょう
か。100年も基軸通貨ができるだけでもすごいことで、ちょうど
英ポンドも100年ほどやりましたから、これからはゆっくりと中国を
中心とするアジア、ユーロ、そしてアメリカの3国の時代に突入すると
思われます。
いずれにしても圧倒的なGDPと他の基軸通貨が出てこない限りは
腐っても鯛の状態が続くと思います。そうであるとするならば
デフォルトもどきをやっちゃえばすっきりするわけですが、今後世界
が米国債を引き受けるかは微妙ですがそれでも恐喝まがいのやり方で
押し付けてくると思います。
もうお前の国からは何も買ってやらない
という脅しでくるわけですね。ところがアメリカも買う国が必要なん
です。ここら辺の心理ゲームがアメリカは抜群にお得意なんでうまく
やるんじゃないでしょうか。ご質問内容ですがどうせ世界は米国債を
売ることはできませんから大した混乱は起きないと思います。

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<追跡!真相ゼロtoZ>
~ゼロの意味する原点の意味の原因を探り
 定量的、科学的にZの行き着く先の真相に迫る~

4 戦争推進の天皇が原爆投下地指示:西郷の陸軍憎く責任転嫁

2013/9/28 戦争推進の天皇が原爆投下地指示:西郷の陸軍憎く責任転嫁
追跡 真相 ゼロtoZ 戦争推進 天皇 原爆投下地指示 西郷隆盛 陸軍 憎く 責任転嫁




服部順治 ‏@JunjiHattori 9月22日
ふーむ、なるほど!でも長崎原爆をカトリックの浦上天主堂に落としたのは、プロテスタントの米の意向も配慮した天皇の指示もあったのでは?「天皇破壊史 by太田龍」・・西郷隆盛の魂を引き継ぐ陸軍を憎んだ昭和天皇は陸軍に戦争責任をなすりつけた
http://otisdury.blog.fc2.com/blog-entry-9.html


Info-world ‏@Info_world_20 9月26日
@JunjiHattori @kiyo34ro 明治の「五榜の掲示」はどうやって説明するの? まあ、大久保や伊藤が欧米を見に行っている間、留守を任されていたのは西郷。没落武士の声を聞いていたのも西郷。列強の力を見せ付けられ、あせったのが大久保ら。西郷が欧米をみてたら歴史は違ったね


服部順治 ‏@JunjiHattori 9月26日
国際法を重視せよ!が肝。ラストサムライは天皇のアジア侵略戦争を止められなかった!
@Info_world_20 @kiyo34ro 明治の「五榜の掲示」はどうやって説明するの? まあ、大久保や伊藤が欧米を見に行っている間・・あせったのが大久保ら。西郷が欧米をみてたら歴史は違ったね


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恐るべき”破壊力”を持つ書ー鬼塚英昭著『原爆の秘密〔国内編〕~昭和天皇は知っていた』

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/573.html


 ”破壊力”とは日本を中心とした近代史に対して。ここで書かれている内容の一端はわずかながら鬼塚『日本のいちばん醜い日』にも示唆されていたが、ここまで突っ込んで来ているとは思わなかった。
 ノンフィクション作家、鬼塚氏の「魂」とは何であろうか。この民族の血が「氏の魂」を通して滾(たぎ)り立っているように思える。
 姉妹編の『原爆の秘密〔国外編〕』も合わせて読まれたい/仁王像

『原爆の秘密〔国内編〕~昭和天皇は知っていた』鬼塚英昭/成甲書房‘08年
 の第一章から一部抜粋・要約

第一章 原爆投下計画と第二総軍の設立
<第二総軍設立の理由に迫る>
・私は第二総軍※1は最初から、すなわち鈴木内閣ができてから、終戦工作の一環としてつくられたものと思っている。終戦工作とは何か。簡単明瞭に書くならば、原爆誘導および処理のために、天皇が畑を呼びよせつくったものである、と書いておく。どうしてか。
 一、原爆投下情報を完全に知りながら、それを全部封印した。
 二、8月3日から6日にかけて。原爆投下予定地を中心に、大勢の人々を集めた。
 三。武器弾薬も食料もないのに、たくさんの兵を召集し、その兵たちを九州に送り込んだ。 
 ※1)本土を二分して東部を第一総軍(杉山元元帥)、西部を第二総軍(畑俊六
元帥)の担当とし、予想されるアメリカ軍の九州上陸オリンピック作戦に備えて
いた。第二総軍は広島に本拠を置いて、準備を進めていた。

・畑元帥と大屋中佐は、刻々と変更される投下日時の把握に追われていた。それで、大屋中佐はもう一つの傍受室をつくるのである。…大屋中佐は鯉城(広島城)の近くに女性の二世を20名ばかり集めて、ブロークン・イングリッシュを解読させていたのである。彼は、この情報を有末中将※2に伝え、有末中将は同部に所属する皇弟。三笠宮崇仁中佐に伝えていたのである。
 テニアンから刻々と入る情報で、「8月6日8時15分」の投下時刻を正確に知ると、畑元帥と大屋中佐は大衆動員を原爆中心地近くにかけ、大阪から鹿児島までの将校たちを8月6日午前8時(これは9時に変更される)に爆心地近くの陸軍の社交場。偕行社に集まれと司令官命令を出すのである。戦争終結に導くスペクタクル・ショーの演出をやってみせるのである。
・ゴードン・トマスとマックス・モーガン=ウィッツの『エラノ・ゲイ』(1980年)の続きを見よう。

  日本とマリアナ諸島との間には1時間の時差があるから-広島のほうがテニアン島 より1時間遅かった-そのラジオのテストが広島の時間で午後3時か4時頃行われる とすれば、モニターはその夜空襲があることを知り得た。モノターを傍受したテスト の回数で、空襲にやってくる敵機の数をおおよそつかむことができた。モニターはそ の報告を上司に渡し、上司はそれを通信司令室へ送り、そこから西日本全体の防空組 織へ情報が流された。それだけのことがわずか数分間でできた。

 畑元帥と大屋中佐がどれほどテニアン基地の情報を知り得る立場にあったかが、この文章を読めば理解できる。一つの謎、畑と大屋は他の誰にも知られたくない独自の情報網が必要ではなかったのか。それで鯉城近くに、わざわざ二世の女性を20人ばかり使った秘密の傍受室と応答室をつくった。そこで、テニアンにいる秘密室と直接に原爆情報のやりとりをした。
 第二総軍から情報が流されていたが、原爆の情報は中国軍管区に届いてはいない。原爆の情報はすべて、畑と大屋の二人で闇のうちに処理されたのである。どうしてか? 劇的な演出で、多くの広島市民に死んでもらうためである。スペクタクルが必要であった。
 スティムソン(陸軍長官)は天皇にそれを期待したのである。天皇の特命を受けた畑は、大屋を三笠宮と有末のもとから強引に呼び寄せ、演出を担当させたのである。
 原爆投下を事前に多くの人々が知っていたのである。どうして第二総軍においておや、である。
  ※2)戦後、謀略機関で働いた連中は、ほとんどが自由の身となり、権力と富を得  た。元参謀本部第二部長有末精三陸軍中将も例外ではなかった。「有末機関」をつ  くり、米軍に協力した。

<原爆投下予告を確かに聴いた人々>
 (要旨)〔ロンドンのBBC放送を中継した内容のインド・ニューデリー放送は、原爆開発、投下の情報も伝えていた。それを聞いてノートに書き移す仕事をしていた少年兵がいた。VOA放送を傍受した広島逓信局勤務の無線技師の証言もある。
 また、「伝単」という飛行機から大がかりに散布された宣伝ビラの中にも「8月5日」、広島を大空襲する」というのがあった。広島上空で撃ち落とされた捕虜になった米兵のなかにも「近いうちに広島が全滅するような爆弾が投下される。ここにいたら死ぬ」とおびえているものがいた。〕

・大屋中佐は間違いなく、「マリアナ諸島から来た上級将校(捕虜)」を手に入れた。そして情報を聞き出すと、彼らを特別の場所に隔離した。その情報は間違いなく畑元帥と共有し、そして有末中将のもとへ送られた。しかし、広島に原爆が落ちるという情報は一部の憲兵のみが知るだけで封印された。広島に原爆が落ちるよう準備するのが、大屋中佐、畑元帥に命じられた、“至高の人”からの“お頼み”であったからに他ならない。
・間違いなく広島の警察内部でも、原子爆弾の風評が広まっていたのである。もし、第二総軍の大屋角造中佐と畑俊六元帥に、アメリカの兵士が示したであろう、良心のひとかけらさえあれば、広島の惨劇も、そして長崎の惨劇も防ぎ得た可能性が大であったのだ。(以下、略)

 (関連)
 http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/624.html#c4


04. 2011年11月01日 21:26:39: 03bw0jfJsI
原爆の投下は米国への天皇の了解があったと思います。広島には陸軍のエリート達が、あの日に全国から集められていましたし、エラノゲイが日本に向かっていたのを、5時間も前に日本航空隊が、察知していたのに迎撃命令は、下されませんでした。それが明らかにされたのは、最近のNHK番組においてでした。当時の操縦士は、命令さえ出でいれば、撃墜する自信はあったと悔しがっていた。シベリアへの日本軍抑留は、日本(天皇)の黙認あった、とのソ連公文書がソ連崩壊後に(ソ連が日本兵を帰還させる為の列車を、用意する様に日本に要請したところ、日本から好きにソ連で労役して良いとの連絡が、あったという内容)公表されています。私の推論ですが、日本本土での米軍の占領を安全にする為と、天皇制と天皇の生命を保証するとの日本側の条件が一致した為に、反乱分子となりかねない、軍人を纏めて抹殺し、拘束したのだと考える様になった。
ですから、投稿者さんの感じられている様に、天皇や在る限られた参謀と大統領とマッカーサーなどの少数が決めているのだと思います。個人と個人に帰結すると思います。

http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/624.html#c5
 
第7章 ポッダム宣言の演出者たち
<ポッダム会談はなぜ、延びに延びたのか>
・スティムソンは日本の指導者の誰と交渉していたのであろうか。あえて書こう。それは天皇に直接つながっている指導者である、と。天皇―牧野―吉田―樺山―白州、の線でスティムソンはグルーを介して結ばれていた、と私は思っている。

・以下は私の独断と偏見による推論である。しかし、私は自分の論に責任を持つ。
 ――私スティムソンは天皇に次なる提案をする。
1.原爆投下計画があり、この投下はアメリカ政府すなわち大統領の承認を得ている。従って原爆投下が行われる予定の8月1日から10日までに、あなたは決して降伏してならない。
2.無条件降伏が宣言文の中に入っている。しかし、「一」の条件を受け入れれば。あなたの身分及び地位は現状のままとなるように大統領および国務長官が決めている。
3.東京、京都は目標地から除外した。私たちは、あなたの要望を受け入れた。そこで私たちは、あなたの要望を入れ、広島と小倉、そして長崎に的を絞った。
4.ポッダム宣言が出てから7日ないし10日を目標に原爆投下を予定している。あなたはその予定で行動されるようお願いする。
5.原爆投下は二発の予定である。その二発の投下を待って降伏への動きを現実化するよう期待する。

 私は、「1~5」までのスティムソンの提案(現実に存在したと確信している)を証明すべく次項以降で追及していく(略)。

【出典】「原爆の秘密〔国外編〕~殺人兵器と狂気の錬金術」鬼塚英昭/成甲書房‘08年

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(第ニ章から補足)
<演出された投下時間「8時15分の意味」>
・中条一雄『原爆は本当に8時15分に落ちたか』(2001年)と、もう一冊、諏訪登『広島原爆 8時15分の意味』(2003年)を読み、私は一つの結論に達した。「広島原爆は完全に仕組まれていた!」と。…アメリカ側と日本側は「8時15分」で合意に達していた。
 私が諏訪の本を読みつつ思ったのは、「8時15分」が最も劇的に、広島市民を大量虐殺しえる時間ではなかったか、ということである。歌田明弘が『科学大国アメリカは原爆投下によって生まれた』の中で、「日本、ソ連、アメリカ国民―この三通りの観客に向けて最大の効果を発揮すべく、原爆投下という“スペクラクル”は周到に準備された」と書いている(姉妹書「国外編」でも紹介)。

 (第四章と第五章から)
第四章 悲しき記録、広島・長崎の惨禍を見よ
<日本政府も認めた公式見解「広島・長崎に放射能なし」>
・姉妹書の「国外編」でこう書いた。
 「原爆は、二種類がつくられた。その一つはウラン爆弾であった。それは威力が小さかった。もう一つのプルトニーム爆弾は威力が強かった。どうしても両方を落とさないと、アメリカは、ロックフェラーとモルガンに申し訳ない事態に陥ることになる。それが、広島、長崎への原爆投下の理由であった」
 これが現実化された、そのためには落とされる側の全面協力が必要なのは自明の理である。日本人は半世紀以上すぎても、この自明の理を理解しえていないのである。第二総軍の創設も、長崎港にいた1000人ものアメリカ人の捕虜が、あの瞬間だけ姿を消すのも、すべて自明の理なのである。


第五章 見捨てられた被爆者たち
<原爆はどのように報道されたのか>
・国際金融寡頭勢力にとって、放射能汚染による被爆者たちの死が存在するということは、あってはならなかったのである。彼らはアメリカ政府を動かし、マッカーサーを動かし、ついに日本政府と日本の言論機関への口封じに入るのである。
 国家が「原爆患者は存在しない」と発表するのである。原爆による放射能汚染は広島と長崎には存在せず、従って原爆患者は存在しないから、海外からの患者への薬は要りません、と発表するのである。
・国家がなくなってもよい。しかし、なくなったはずの国家が、原爆を落としたアメリカの手先となって、財産も失った者たちに、国際赤十字が提供しようという薬を、与えないで下さい、という権利があるというのか。
 私がたった一人で、汚れちまった、かの時の、天皇を天にいただく国家を告発する理由がここにある。


<国際赤十字社、もうひとつの顔>
 マッカーサーとジュノー博士の努力を裏切ったのは日本赤十字社である。この日本赤十字社の総裁は天皇裕仁の弟の高松宮であった。明確にしたい。天皇裕仁と高松宮がこのジュノーとマッカーサーの申し出を断ったのである。
 どうしてか? スティムソンとの約束(「私には確約がある」との発言※)が怪しくなったからである。天皇は自分自身の安全が脅かされだしたからである。
・原爆被爆者を日本赤十字は裏切ったのである。広島と長崎の被爆者に、「お前たちはくたばってしまえ」と言った人々に対して、読者よ、拳を握りしめて、天誅を加えよ。それらの人々は、この高松宮の日記の中にも、日記の外にもいるのである。
  ※)8月14日(午前)、昭和天皇が畑、永野(修身)、杉山、三人の元帥に
「皇室の安泰について敵側もこれを確約しあり」と語ったことが、
畑俊六『元帥畑俊六獄中獄外の日誌』(1992年)にある。

・2007年の秋、私は報道写真家福島菊次郎の『ヒロシマの嘘』(2003年)を読んだ。…このABCC(原爆障害調査委員会)を告発し続けた男こそは、原爆写真家、否、日本最高の通気ある写真家・福島菊次郎であった。
 彼は、天皇の皇弟高松宮を総裁とあおぐ日本赤十字社がすすんで原爆被爆者を見捨てたことを、はっきり書いている(略)。
 読者よ、この福島菊次郎の「アメリカに生殺与奪の権を委ね切った国」という怒りの言葉を、私は書き続けてきたのだ。誰がどのように国家の生殺与奪の権と、誰に委ねたのか。
その点に焦点を絞って私は書いてきた。


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太田龍 二・二六事件の真相、全面開示

http://www.asyura2.com/12/cult10/msg/721.html




太田龍が226の真相について肉薄している講演動画です。
昭和最大の分水嶺といわれながら226の真相はいまだ闇の中です。
太田龍はその訳を講演の中で明快に解き明かしています。


太田龍はまた落合莞爾から貴重な情報を得ていたこと、
それによって目から鱗が落ちた経緯についても述べています。
この当時の落合莞爾が太田龍に言っていることは、
現在吹聴している『堀川政略史観』とは全然違います。



ある方が寄せてくださった情報によると、
落合莞爾は『魔孫』というシンクタンクを知り合いと立ち上げたとか。
魔孫→マソン→Mason→メイソン?
311後に偽史の最終兵器として登場した堀川政略史観、
それを書いたのがメーソン?
まさに明治維新の裏ヴァージョンにふさわしい逸話です。


311を戊辰戦争のアナロジーとして捉えたとき、
何もかも辻褄が合うような気がします。
ここ阿修羅でも同胞皆殺し安全プロパに与したカルト集団が跋扈。



平野秀樹『日本、買います 消えていく日本の国土』新潮社によると、
『大阪の92%、東京の97%は、地籍がない。
北海道には所有者不明の山林が4万ヘクタールもある。
外資のほとんどは土地を所有しても登記をしない。
沖縄、五島、対馬・・・。とりわけ島峽部での土地の買収が進む。』



だったら尖閣諸島の所有権ごときで何でガタガタする?
石原慎太郎が『尖閣諸島という”国難”』を文芸春秋に連載寄稿、
慎太郎がトモダチとして自慢しているアーミテージがこれを援護射撃、
尖閣、尖閣、尖閣と連呼していましたけど。



慎太郎と気脈を通じて武力発動を強調していた安倍政権誕生。
これも明治維新政府のアナロジーとして捉えることができます。
安倍晋三は生粋の田布施一族の末裔です。
これからは国立大学の講義もこれからは英語でするそうですし、
まさに『文明開化』の裏ヴァージョンです。
英語で講義できる既存の教授は限られているから、
お雇いメーソン講師が活躍する時代になるでしょう。

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山本五十六の真実⑧吉田茂と昭和天皇の近衛父子抹殺指令・文麿編
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/768.html

山本五十六のプロパガンダを解明するために、絡まった糸を一本一本解きほぐす作業を続けています。もう暫くお付き合いください。
まず訂正事項があります。前回、第二総軍を原爆投下の真下におびき寄せるシナリオを、昭和天皇に指示された畑俊六が前夜松本重治の別邸に避難した、という記述は松本俊一の間違いです。お詫びして訂正します。
それからデイヴィッド・バーガミニ著『天皇の陰謀』から原田熊雄の資料を孫引して、山本五十六が述べた以下の“黙示録的セリフ”についての考察も、お詫びして撤回します。
『私の考えでは、米国と闘うためには我々は殆ど全世界に挑戦する用意がなければならない。・・・私は最大限を尽くす覚悟でいるが、私の旗艦、戦艦長門の甲板上で死ぬつもりだ。そのような最悪の日々、東京は少なくとも三回は焦土と化すだろう。結果は人民の長い苦悩である。そしてあなたや近衛、その他の人たちは、考えるだけでも哀れなことだが、おそらく大衆によって八つ裂きにされるだろう。それは実に混乱した事態だ。我々は逃れられない運命として、このような道を通らなければならない。』
尚、これについての詳細は本文で述べます。

以下本文です。

近衛文麿は内閣首班として、日中戦争の拡大・泥沼化、大政翼賛会結成によるファッショ化、三国同盟締結、南進策と武力発動の国策要綱を決定した汚名を、山本五十六は連合艦隊司令長官として、真珠湾攻撃奇襲による日米開戦とミッドウエー海戦敗戦を初めとする拙策で海軍を破滅に導いた汚名を被せられている。そして共に歴史の闇に葬り去られている。最近は近衛文麿は共産主義者、山本五十六はフリーメーソンの売国奴という新たなプロパガンダも登場し、これでもかとバッシングしている。その一方で昭和天皇、吉田茂、伊藤博文らを持ち上げるプロパガンダ本が刊行され、白洲次郎ブームなる現象も起きている。そしてこのバッシングやプロパガンダが史実になりつつある。
例えば山本五十六が近衛文麿に日米開戦の不可なることを明言したセリフも、わざと曲解され色々な尾ひれが貶める材料として使われるようになっている。


『それは是非にやれといわれれば初め半年や一年の間は、ずいぶん暴れてご覧にいれます。しかしながら二年三年となると全く確信は持てません。三国同盟ができたのは致し方ないが、かくなりましては日米戦争を回避するよう極力御努力を願いたい』
五十六の注進の意味は、プロパガンダ作家たちによってズラされてきた。五十六は“半年一年暴れてご覧に入れます”とハッタリをかました。五十六がはっきり戦争は出来ないと言わなかったから、優柔不断な近衛が迷って戦争が回避されなかったのだ。等々。


中田安彦の『ジャパンハンドラーと国際金融』に至っては、五十六のセリフ自体が改変されている始末である。中田くんの『私の仮説』によると、五十六は“二年三年は暴れてご覧にいれます”と言ったことになっていて、その理由はアメリカ駐在大使付武官時代のポーカー人脈を使って早期和平に持っていく自信があったからだという。


中田君は問題外としても、五十六の言わんとするところは故意に捻じ曲げられてきた。『半年一年は暴れてご覧にいれる』というのは、『二年三年となるとまったく確信が持てません』の前置きに過ぎない。『開戦を極力回避していただきたい』と明確に答えている。五十六の結論ははっきりしているのだ。近衛自身も日米開戦を阻止すべく孤軍奮闘していた人物として、五十六の意図を正確に理解している。そして何度も昭和天皇に戦争を回避するよう上奏している。それが五十六は強引に真珠湾攻撃をし、近衛は責任回避したことになっている。近衛文麿と山本五十六は逆情報活動によって抹殺され続けている。近衛文麿のプロパガンダは五十六のそれよりもはるかに巧妙で徹底している。


我々はこう思わされている。近衛文麿という人間は優柔不断で粘りがなく、肝心な時に政権を投げ出す情けない奴だ。近衛こそは日中戦争を泥沼化し、蒋介石政権との和平工作を潰した張本人なのだ。それなのに近衛上奏文では全てを共産主義に責任転嫁し、ひたすら国体護持を唱えた。そして戦後マッカーサーに近づき、新憲法起草責任者になった。しかし戦犯指名されると、巣鴨に出頭する期日の前夜、屈辱に耐え切れず自殺した。

白洲次郎が「どうも近衛が自殺するらしい」と電話をかけてきたので、松本重治と牛場友彦が駆けつけ、近衛に翻意を促したが「このわがままだけは許してくれ」と言い張って服毒自殺したという。松本重治はその後もくりかえし近衛の自殺前夜の様子を語った。「近衛公は天皇さまよりプライドが高かったから、勝者の裁きを受けることは耐え難かった。近衛公は天皇さまを守るため出頭を拒否した」。天皇さま云々はともかく、裁判を受けることを断固拒否する態度は、確かに近衛文麿の『遺書』の内容と合致する。だから『史実』として定着している。



しかし私は次のように結論する。


◎近衛文麿は服毒自殺ではなく薬殺された。

◎指令を出したの吉田茂と昭和天皇である。

◎近衛文麿は出頭してすべてを話す決意を固めていた。

◎近衛家は篤麿、文麿、文隆の三代に渡って暗殺されている。

◎近衛文麿を破滅させるシナリオは、15年戦争ぐるみの壮大なものである。

◎近衛文麿が首相になった直後に、盧溝橋事件を起こす計画だった。

◎近衛文麿が首班の時に、日中全面戦争の拡大化を図るシナリオだった。

◎近衛文麿が首班の時に、三国同盟締結、大政翼賛会結成、
汪兆銘傀儡政権、武力発動の帝国要綱が作成決定されるシナリオだった。

◎近衛文麿に関する史料はほとんど全て改竄されている。

◎『近衛上奏文』も『近衛・マッカーサー対談』の外務省史料も、
『近衛文麿の手記』も『失われた政治』も捏造である。
近衛文麿が創設した近衛家の史料を収めた陽明文庫も盗掘されているだろう。

◎近衛文麿による画期的な新憲法起草案は、御用学者によってわざと曲解されている。

◎藤原菊と山本ヌイの手記は捏造である。

◎近衛文隆は吉田茂の指令によってソ連に抑留され、日ソ国交回復と同時に薬殺された。

◎鳩山一郎は、吉田茂に動かされていた駒に過ぎない。

◎鳩山一郎による日ソ国交回復も、吉田茂のシナリオである。

◎近衛文麿暗殺の主役は松本重治と牛場友彦、共演者は風見章、岸道三、後藤隆之助、山本有三。友情出演G2チャールズ・ウイロビー、ソ連代表部テレビヤンコ。

◎野坂参三は吉田茂と共謀していない。(吉田茂が嫌い)

◎野坂参三は独自のルートで昭和天皇のために尽くした。

◎尾崎秀実が一番信頼していたのは野坂参三である。

◎野坂参三は田布施村王朝に恩義を感じ、昭和天皇のために尾崎秀実を使い捨てにした。

◎伊藤博文、吉田茂、昭和天皇は近代史上不世出の三悪人である。

◎防衛庁に職員として潜入していた秦のように、田布施村王朝の草が逆情報活動している。

山本五十六と近衛文麿の暗殺は連動している。二人は2・26事件直後に、吉田茂と昭和天皇のデス・ノートに記名されたと思われる。近衛抹殺指令には朝日新聞の緒方竹虎と嘉治隆、NHK、白洲次郎、松本重治、牛場友彦、岸道三、風間章、後藤隆之介、山本有三らは、全員がグルになって協力している。近衛を追い詰めた上で『自殺する』という風評を流し、近衛が周囲の制止を振り切り我意を通して『自殺した』、というシナリオを演じている。近衛の家族を除く全員が共犯者、謂わばアガサ・クリステイ―の『オリエント急行殺人事件』状態である。中でも主役を演じた松本重治は、晩年になってしつこいくらいに偽証している。


松本重治『<聞書>わが心の自叙伝』聞き手・加固寛子 1992年初版 講談社より

以下抜粋。

『近衛さんが自殺されたのは、昭和20年12月16日。近衛さんはプライドというか、矜持が高かった。マッカーサーにだまされたということで、縄目を受けることはたえられなかった。それにもました「巣鴨」に行き戦犯として法廷に立てば、戦争責任の塁が天皇様に及ぶ危険がある。それを防ごうとされたのかもしれない。いろいろ考えて死を選ばれたのであろう。』


『私は近衛さんがなくなる前日、近衛さんのところに行って二時間ほど二人で話した。恥をしのんでも、近衛さんが法廷に立って天皇さまを守らねばならないと言っても、「木戸がいるではないか、最後のわがままだ、勘弁してくれ」と言われると、なんともしようがなかった。自殺をするという噂があったので、翌日京都大学時代の親しい友人、後藤隆之助とか山本有三も顔を見せていた。今から思えばお別れに来ていたのだ。近衛さんは集まっていた人みんなにウイスキーをついでまわっていた。”別れの杯”のつもりだったのだろう。人びとが帰ってしまって、友さんと私は近衛さんの隣の部屋で寝た。翌朝六時ごろ、千代子夫人が友さんを呼んで「やっぱりやりましたよ」と言った。死に顔は安らかであった。』



松本重治『昭和史への証言』聞き手 國弘正雄 2002年初版 たちばな出版より

以下抜粋。


『松本  近衛さんはプライドが非常に高かった。プライドが高い点では、天皇さま以上ではなかったでしょうか。そういう近衛さんにとって、マッカーサーにだまされたということ、縄目を受けることは、たえられなかった。それより死んだほうがいい、という気持ちになったのです。プライドが高いから執着心がないわけです。私は近衛さんがなくなる前日、近衛さんのところへ行って二時間ほど二人で話をしました。近衛さんに、恥を忍んでも天皇さまを守る人がいなければ駄目ですよ、といったのです。木戸(幸一)がいるではないか、と近衛さんがいうので、私は木戸さんは内大臣としてはまだ新しいから、あなたが天皇さまのそばにいて下さいと頼んだのですが、近衛さんは、松本君のいうことはわからんことはないけれども、このわがままだけは許してくれないか、といわれるのです。最後のわがままだ、勘弁してくれ、といわれると、なんともしようがなかったのです。』


『-そのとき、先生が近衛さんのところに行かれたのは、自殺の決心を変えさせようと思われてのことですか。』


『松本  近衛さんが自殺するという噂があったのです。だから、後藤隆之介とか山本有三、二人は同級なのですが、あの二人がお別れに来た、とかいって、近衛さんの顔を見に来たくらいです。』


『-近衛さんと二時間話をされたのは、自決を思いとどまってほしいということに費やされたのでしょうか。』


『松本  そうでした。私は、近衛さんに、あたなが亡くなったら、天皇さまがお気の毒ではないか、といったのです。天皇さまが本当に信頼しているのは近衛さんだ、と私は思っていましたからね。近衛さんは、日独伊三国同盟をつくったとき、「おまえはどこまでも私についてきてくれるか、助けてくれるか」と天皇さまに頼まれたのですが、考えてみると、天皇さまに「お前頼むよ」といわれたのは、近衛さんと牧野伸顕くらいではないでしょうか。その牧野伸顕にしても、近衛さんより年齢はずっと上ですからね。』

昭和天皇と近衛文麿のこのエピソードは捏造であると私は思う。近衛がこれを閣議で披露し、松岡が号泣したという逸話も作り話だと思う。天皇さまが本当に信頼しているのが近衛のはずがない。近衛文麿こそは田布施王朝の不倶戴天の敵である。文麿はすでに少年の頃から田布施王朝を忌避していたのだ。昭和天皇と近衛文麿の間に心の交流など、ただの一瞬もなかったはずだ。私は昭和天皇は近衛文麿を憎悪すらしていたと思う。

『-近衛さんは先生に遺言のようなことはいいませんでしたか。』


『松本  何もなかったですね。近衛さんの気持ちは遺言にある通りです。グルーは自分の気持ちをわかってくれた。時がたてば、本当のことは全部わかる。いまは終戦のどさくさだ。みんな異常な心理だから、間違いも多く、誤解も多い。そういう客観情勢の下で勝ちおごった者から裁かれたくない-と。近衛さんは、それは悠々としていました。この最後のわがままを許してくれ、なんて言葉は余裕がなければとてもできませんよ。私たちは水割りのウイスキーを飲みました。それから、私はどんぶりものを食べて寝たのです。翌朝六時ごろ、千代子夫人が牛場友彦を呼んでいいました。「友さん、やっぱりやりましたよ」。前の日には、シーツを真新しいものに代え、寝衣から何から全部、新しいものを用意して近衛さんを寝かしたのです。千代子夫人はなかなか勘のいい人でした。』

現存する近衛の『遺書』は、偽造史料だと私は確信する。吉田茂の側近、おそらく『近衛上奏文』を創案したり、講和条約締結でも同行した外務省の吉田コネクションのによるものと思う。千代子夫人の冷淡な言動は松本や牛場の捏造である。文麿と千代子夫人は夫婦円満であった。藤原菊と山本ヌイとの一時的な関係はあったと思われるが、彼女たちが近衛の死後にマスコミに出した手記内容や子どもを為したことについては私は虚偽だと考えている。今後、関係者に調査したいと思う。


『-そういう話を伺っていると、とくに最後の近衛さんのせりふなどに、いかにも東洋的な感じを受けます。近衛さんの父君は東亜文書院の設立者ですが、近衛さん自身の中にも東洋への親しみといいますか東洋的なものを感じられましたか。』


『松本  それはありました。近衛さんには男の子が二人いましたが、とくにシベリアに連れていかれた長男の文隆を非常にかわいがっていました。ゴルフがうまく、からだも強く将来を待望していました。二男の通隆のほうは、からだも割合細くて、道楽してしようがないんですよ。それで、近衛さんが叱ったころがある。道楽してもかまわんが、しかし、それ以上大事なことを忘れるな-と。そこらへんも東洋的なんですよ(笑)。』

◎通孝は真面目な学者タイプ。道楽してしょうがなかったのは、長身ハンサムなモテ男文隆である。

『-死の前日まで、ずっと身近に近衛さんを見守ってこられた先生の近衛評は全体としてどういうことになるのでしょうか。』


『松本  非常に大事な時に、重大な正しい決意をされるけれども、粘着力が足りないのです。粘っこい点がないんですよ。うまくいかないと、やめちゃおうという気になるのです。(後略)』


『-それは、近衛さんの育ちのよさにもよるのでしょうか。』


『松本 まあ、そうもいえますがね。(中略)貴族意識とか、五摂家の筆頭の家柄である、といった意識はありませんでした。ただ、なんとなしに、天皇さまへの親近感はもっていました。』


『-近衛さんが自裁したとき、天皇がどう反応されたか、ということはもれ承るよしもないのですが・・・。』


『松本 私も聞いたことはありませんが、本当にがっかりされたと思います。』

以上抜粋。

松本重治『近衛時代』1986年初版 中公新書より以下抜粋。


『先日、近衛さんの長女の昭子さんにお会いできて、いろいろと話を聞いたが、その中で昭子さんによると、このソ連行きの際、近衛さんが、小さな小瓶を旅行カバンにいれているのをみて、「これはなに」とたずねたところ、はっきり「青酸カリ入りの小瓶だ」といわれたそうで、後日近衛さんが自殺に使われたのは、そのときの青酸カリだった、ということである。』

◎松本重治は白洲次郎から青酸カリを渡されて持参したので、入手経路について非常に気にしている。近衛の長女昭子を使って誘導尋問して喋らせている。

『日本最後の「公家」-愛娘野口昭子さんに聞く』

『野口  そのときに、父の部屋に行きましたら、こんな小瓶の青酸カリを持ってたんですよ。私あのときから、どっかから入手したのかと思うんですけどね。いざっていうときは、これを飲むんだよって、私に見せたことがあります。だから、あのとき手に入れてるから、自殺のときまでどこに隠してたのか分らないんです。あの場に及んで、その瓶をくださいなんて誰にいったって、くれやしないと思うし・・・。でも、その瓶が、父が亡くなるときに置いてあったの、空になって。コーヒーの中に・・・。それは、ソ連に行くっていうときに、もうすでに持ってたんですよ。』

◎次の二つは彼らのシナリオの定番ネタである。


『終戦連絡局にいた白洲次郎君からの電話で、「近衛さんはどうしても巣鴨プリズンに行くようすはない。自殺するのかな。」という。それで、私は牛場友彦君を誘い、二人して泊り込みのつもりで荻窪の荻外荘に急いだ。応接間に先客がいるらしかった。あとになってわかって、なあんだあということになったんだが、後藤隆之助さんと山本有三さんの二人だった。ともかくそれで、私たちは近衛さんを別室に呼んできてもらい、主に私からだが、二時間くらい「自殺反対論」をぶった。その甲斐はなかった。』



『最近友さんは、「あのときの重ちゃんの説得力には、ちょいと驚いたよ。もの凄く迫力があったからね」と、次のように話してくれた

-重ちゃんが、「近衛さん、あんたが(巣鴨に)行ってくれなければ、陛下が危ない」というと、近衛さんから、「それは木戸がいるから大丈夫です」という答えだった。しかし最後に、近衛さんは、「松本君、ねえ、もう話は分ったけれど、最後の私のわがままを聞いてくれ」といった-

こういわれてしまえば仕方がなかった。夜が明け、友さんと一緒に近衛さんの寝室にいってみれば、すでに幽明界を異にしていた。こうして、私らと近衛さんとの絆は、永久に断ちきられたのであった。』

『誤解された近衛-牛場友彦君に聞く』

『牛場  吉田(茂)さんなんかも引っ張られたでしょう。僕だったら絶対あれはしないと、近衛さんいうんですよ。通隆君と僕で、”じゃ、どうするんですか、まさか立ち回りするわけにいかんでしょう””それは手があるさ”とうそぶいているんだな。あのときもう青酸カリを用意していたんですね。たとえば近衛さんがスパイの容疑やなんかで憲兵隊へ引っ張られるというはめになったら、そのときやっていますね、もう。絶対そういうことを許さないという気なんだから。だから通隆に書いた遺書でも”神の裁きを受ける”と書いているでしょう、最後にね。戦勝国の勝ち誇った裁きなんか、受けてたまるかという、裁きを受けるということは、絶対、近衛家の自分としては許さないという。」』


◎牛場友彦が言っているのは嘘八百である。トモは通隆をダシに使ってデタラメこいている。通隆は何も言わないだろうと踏んでいるのである。近衛の遺書も通隆の前で書いたものと、近衛の遺書として公開されているものとは別物である。これは松本がうっかり喋っている。


『牛場  さて僕が近衛さんとはじめて会ったのは、重ちゃんの話した通りで、昭和9年5月半ばのことだ。近衛さんが四十三のときですよ。僕が三十三、そのときの近衛さんの印象は、なんと眉目秀麗なハンサムな人だなと思った。実にスーッとしててね、実に親しみを感ずるんですよ、はじめからね。満州事変をその二年後に控えた年ですから、そのときは非常に騒然としてきた時期に近衛さんとお会いした。近衛家のことなんかぜんぜん知らなければ、近衛文麿という人もぜんぜん・・・そういうことはいっさいわからずに、いきなり二ヶ月間、アメリカ旅行のお供をしたわけなんです。あとで、牛場君は変ってるねって。何が変っているのかと思ったら、そういうことでぜんぜん・・・さもなきゃそんな機会を与えられたら絶好のチャンスなんですね。たとえば友達の尾崎秀実だとしたら、たいへんだったと思うんですよ。食いついてね。日本の政治の中まで入ろうとしてたいへん。』

◎牛場友彦は自分が無欲であることを誇示して尾崎秀実を貶めようとしているが、そもそも尾崎秀実を近衛父子に食いつかせたのは牛場友彦自身である。牛場友彦は書記官長の風見章と共謀して尾崎秀実を『朝飯会』に入れたり、近衛内閣の嘱託として首相官邸に一室を与えて、そこに文隆を出入りさせていた張本人である。尾崎秀実だけでなく、ゾルゲまで文隆に近づけたのも牛場友彦である。


牛場は前掲書の中で『昭和9年の8月にアメリカから帰ってきて、それから太平洋問題調査会のヨセミテ会議が11年かな。この会議の準備に忙殺されて、近衛さんのコの字も忘れていた。全然連絡なかった。そこへ昭和12年に近衛さんが組閣した。そうしたら突如として組閣本部へ来てくれっていうんで、なにごとかと行ってみたら、秘書官をやれって。』と証言している。このヨセミテ会議に出席した尾崎秀実の助手に文隆をくっ付けたのが牛場である。牛場は近衛内閣の秘書官になるとさらに文隆に貼り付いて政治志向を植え付け、やがて父親と一蓮托生の罠を仕掛けた。そのために尾崎とゾルゲを利用したのである。


IPRが謀略の巣窟であることはつとに知られているが、牛場友彦の片割れである松本重治はIPRでの人脈を最大限に生かす人生を送っている。ジョン・D・ロックフェラー三世と共謀して国際文化会館を創設したばかりでなく、IPRで知遇を得たロイターのアジア支局長チャンセラーの紹介で、ジャーデイン・マセソン商会のケジャック兄弟と懇意になり、戦後は同商会の顧問を務めている。松本重治は国際弁護士として同商会の他にも、多くの外資系企業の進出の便宜を図った。松本重治はさらにチャタムハウス(RIIAイギリス王立国際問題研究所)のようなものも日本には必要だ、と提言している。松本重治と白洲次郎はまるで双生児のように良く似ている。


『いつだったろうか、正確な日時はみんな忘れてしまったが、牛場君が私に、「近衛さんが会っていて、気を置かずに話しのできる人は、ほんの二人か三人だ。その一人が、重ちゃん、君だよ」といったことがある。そこまで近衛さんが私を気に入ってたとは、友さんにいわれるまで、私は気づかなかった。』


◎人を中傷しながら自分ボメするのは、白洲次郎&松本重治&牛場友彦トリオの得意技である。


『歴史とはこういうものです』


『松本  近衛さんが自殺したときね、前の晩に、隆さん(後藤隆之介)と山本の有さん(山本有三)の二人で、近衛さんのところにお別れにといって来たでしょ。あのとき、なにか自殺するとかしないとか、話はあったの?自殺するなっていう・・・。』


『後藤  自殺って言葉は使わないけど、あったんだ。』


『松本  そのとき、近衛さんの親類の人とかなんか、巣鴨へあした行っちゃうので、会えないかもしれんというので、お別れのあいさつに来た人が、随分いたね。近衛さんはひとりひとり応対しておられた。』


『後藤  そう、そうだったかな。だが自殺すると思っておった者は、少なかったろうね。』


◎後藤がつい本当のことを言ってしまったので、松本が軌道修正する。

『松本  僕は近衛さんと議論したから覚えている。』

◎後藤は松本に注意されたのだろう。やおら芝居を始める。

『後藤  僕、山本がちょっとというから、外へ出た。ところが、「近衛は向こうへ行かないそうだ。君ひとりがそれに賛成しているそうじゃないか」と山本がいうから、「へえ、どうして?」って、僕はそういったんだ。ハハアと思ったんだ、僕は。

実は14日に、僕が近衛に会いたいといったら、運転手が迎えに来たよ。14日の4時ごろだったと思うよ。そしたら、近衛は、いつになくまじめくさった顔して、「今日来てもらったのは、自分はこんど-」あれは、軽井沢に僕らと一緒におるときは、刑は重くないと思っておったし、ぼくらもそう思っておった。ところが東京へかえってみたところが違う、重くなりそうだという気配がしてきた。アメリカは罪を軽くはしない。大物主義できてるから重罪を免れないということを観念しておったね。しかし、極刑にはならないと思うが、重罪は免れまいということを言っておった。そういう前提があった。

それでもなおかつ、僕は巣鴨に行くことを勧めたぐらいだからね。だが勧める前に彼は、「自分は重罪は免れない。日華事変以後、自分は失敗の連続であった。失敗ばかりしていた。しかし、志すところは別にあったんだということだけは後日明らかにしてもらいたい、それを頼みたいと思って来てもらった」と、こういうことを言った。

ははあ、これは遺言めいたことを言うなと思って、「それは承知しました。尚その他、公私を問わず、言うことがあれば承りますれば、何でも私の出来ることは致します」

それから僕も、巣鴨へ行くものと思ってさ、「ふとん1枚ぐらいだと寒いらしいぞ。ふとん二枚を重ねて1枚にして、さらに1枚上にかぶせて二枚を1枚にして・・・」といっても、近衛は聞こえたような、聞こえんような顔をしておったが、僕が行くことをすすめたぐらいだから行く気がなかったんだね。』


◎後藤隆之介には、己れの悪事に耐えられない良心がわずかながら残っているのだろう。日本語になっていないような証言が延々と続く。後藤に修辞文法の学習能力が無かった訳ではない。彼は篤志家が学資を出したくらいの秀才である。後藤隆之介は松本重治のように、とことん恥知らずで悪達者な芝居を演じることができないのだ。

『後藤  15日になって、近衛に会って聞こうじゃないかと(山本有三が)いうから、聞こうと荻窪に行って、近衛の部屋にいったら、いないけど待っておったんだ。ここに待ってりゃきっと来るって、で、来たよ。二、三十分してきた。今まで医者にかかっておったっていう。山本が医者はなんていったと聞いたわけだ。・・・診断書を書けといえば書きますということを、二人の医者が引き受けたわけだ。それは彼の周囲の者が、それをするために医者に来てもらったわけだから。

ところが、近衛はそのことについて「私は断った」というから、山本が「なぜ断ったのです」と、こう聞いたわけだ。「東京裁判を拒否する」という一言を言ったんだ。ピシッときたね、僕は。「行かない」という言葉なら穏当だが、「拒否する」という言葉は、ハハアと思ったね。「裁判は拒否する」と。そうすると山本は、「侯爵は最悪の場合をお考えになっておられやしませんか」と、こうきたんだ。それはね、山本だからああいうふうに婉曲なことをいえるんだよ。死ぬ気かと、僕なら言っちゃうところだが、そう言ったら「いいえ」と、首を横に振った。だけども、僕が聞いておって反対の・・・。

それから初めて僕が発言するんだよ。「こういう際に法廷に立って、ペタン元帥のように堂々と初心を披歴して、皇室のために盾になっていくのが近衛公のなすべき道ではないか」と言った。そうしたところが、彼は、初めて本音を吐いたですわ。

「自分がこんど、巣鴨に呼ばれておるのは、日華事変が根本です」と。「日華事変のことを追及していけば、これは軍のやったことである。政治家たる近衛の責任じゃなくて、むしろ軍の責任である。軍の責任であるということを追及していけば、統帥権問題に帰着する。そうすると結局陛下の責任だということになります。だからそうなれば、近衛の責任は軽くなります。私は、そういうことをはっきりと、所信を披歴することは出来ません」

だから法廷には立たないということなんだが、そう言われたので、頭の悪い僕も、もう一言もいえなくなっちゃったよ。「なるほど、そうだろう」。こう思ったから、仕方ないと。』


◎「」内の近衛のセリフは、松本重治が近衛から聞いたというセリフとほぼ同一である。これは打ち合わせ済み事項なのだ。後藤はそれをオウムのように口真似する役だから、ここだけスラスラ理路整然と喋っている。 


『後藤  そこで、これは自殺するなと思ったから、立派に死ねといおうと思ったら、僕の後ろに千代子夫人と通隆が立っているんだ。僕は気がつかなかった。山本ははやく気がついたもんで、いくらかたじろいだらしい。僕は二人が後ろに立っているのを見て、少し、意気阻喪したわけじゃないが、なんだか言いにくくなったね。

だけどこんなことで、言うべきことを言わずにおるわけにはいかないので、こういう時こそ、自分のいうべき時だ、ほかの誰もが言いにくいことを、僕が言わなきゃならん、という自負心が若干あったので、「東条のような、ぶざまなことはしてくれるな」と、ことばはそのとおりである、ぶざまといったよ。死に損ないだな、ぶざまなことをしてくれるなと、こう大きな声でやったよ。そうしたら、その一言を聞いたとき、近衛の顔がぐっと変わった。青白く、目の色が変わったね、唇の色が変わったね。僕は、ああいう時に目の色が第一に変わることは知っているんだ。僕は以前に、彼に目の色を変わらした経験があるんだ。目の色が変わりました、唇も変わった。鼻をつき合わしたような近いところで言っているわけだから。ぶざまなことをしてくれるな、といったら、顔の色が変わって、そして後黙っちゃった。

あと、何もいわないわな、誰も。そしたら、山本がまた、「ひとつ、書き残せるだけ書き残してもらいたい」ということを言いだしたよ。「ほほう、さすが文士だな、抜かりはねえな」と僕は思った。僕の気がつかないようなことだもの。書き残せるだけ書き残してもらいたいと。あ、いいことに気がついた、と僕は思ったら、「いや、書いてある」と、こうきた。それで僕は、「それは君、三国同盟とか日華事変とか、対米交渉とか、そういうことだろう?」といったら、「そうだ」と。

「山本君がここで、書き残せるだけ書き残してくれというのは、そういうことではないんだ。なぜ死んでいくか、死んでいく理由をはっきり、書き残せるだけ書きのこしてもらいたいということなんだよ」と言ったんだ。そしたら黙っちゃった。何にも言わないんだ、それっきり。

それから僕は「中野正剛って男は、雄弁で口八丁であったが、死ぬ間際には、“淡々たる心境で”なんていう言葉をもって、自分の心境を表現しておったようだが、中野としては不似合なことだと思う。もっと、言うべきことがあったでしょう。それを言い切らずに死んでいったということは、不似合なことであると今でも思っている」と、こう言ったんだ。「君に対しては、なぜ死んでいくかということを、はっきりと書き残してもらいたい、というのが、山本君のいっていることであり、われわれのいっていることはそれなんだ」と。そしたら、しいんとしちゃって。…』


◎中野正剛は東条の指示で憲兵隊に暗殺されたと言われている。しかし私は東条の指示ではなく、吉田茂と昭和天皇の指令によると思う。


『松本  いや、それでね、ウイスキーをみんなで飲んでさ、それからちょっと、二十分ぐらいしてから隆さんと山本さんと、二人が次の部屋で立って近衛さんと別れておられたよね。それで背丈の低い隆さんが、下から近衛さんを見上げてつくづくと眺めていたね。で、僕は、「あ、これでもう決まった」と、思ったんだ。』


◎松本重治は脚色が上手い。さすが国際文化会館の創設者である。この松本重治の誘い水で、後藤隆之介も俄然調子に乗る。


『後藤  山本は、あの時の僕のことをお別れをするとはいいながら、今は別れる時に、あれほどじろじろと人の顔を、自分には到底見られない、というておった、帰りに。僕は、あれが最後の別れと思うておったから、見忘れないように、じろじろと見た。』


『松本  見ていたよね。』


『後藤  うん、見た。ああなってくると、僕は肚が決まっているからね、真剣にぶつかったね。だから僕は、平素はろくろくものが言えないんだけれど、あんな時になると、遠慮ということを知らない男だから、言うべき時に言わずに別れるぐらい、あとで気持ちの悪いことはねえもの。ああいうことは、一生に何遍もないからね。』


『松本  そりゃないよ。僕、自殺する人の隣の部屋に寝ていたなんていうの、ないね。空前絶後。』


『後藤  あそこへ泊ったのか。』


◎後藤はギョッとしている。暗殺現場に立ち会ったのか?と驚いたのだ。


『松本  泊まったよ。牛場の友さんと二人で泊まったよ、あの部屋に。』


『後藤  ああ、そうか。あなたがたは、まだ、僕と山本とは違って、ああいう場面で一応やったのと、やらずに想像しておったのと、少し違いがあったね。』


◎後藤隆之介が山本有三宅に泊まって、『やらずに想像しておった』時分、松本重治と牛場友彦は『ああいう場面で一応やった』。松本と牛場は残って、近衛の暗殺を幇助したのである。後藤はまざまざと暗殺現場を想像して動揺しているようだ。それを察知した松本はこれはマズイと思って、すかさず話題を自殺反対論に持っていく。


『松本  いや、僕は自殺反対論を相当ぶったの。二時間ほど。』


『後藤  あ、そうか。あのあとで?』


『松本  いや、その前に。昼、日中だ。』


『後藤  あ、そうか。反対論ていうのは、どういうの?』


『松本  いや、自殺しちゃいかんというの、僕は。なんかね、白洲次郎さんだか友さんだか、僕が同盟通信にいたら、どうも近衛さんは、何か決心しているようだといって、僕に電話がかかってきたんだよ。で、僕は、さっとわかったものだから、「じゃ、すぐに荻窪に行くよ」って、それで行ったんだ。

二時間話したかな。友さんも傍らにいたよ。僕は、「この際は恥をしのんで巣鴨に行ってください。極刑にはならないんだと思うから」といったら、やっぱり、木戸がいるからいいっていうんだよね。「天皇さまのためには木戸がいるから大丈夫だ」と。だから僕は、木戸一人じゃ危ない。あなたが生きてなきゃだめなんだと、いうことを言ったんだよ。そしたら最後にね、「松本君ね、もう話はわかったけれど、最後の私のわがままを聞いてくれ」こういううんだよ。ま、そういわれると仕方がないから、それ以上言うのを諦めたんだ。しかし最後に近衛さんが僕に言ったのは、遺書に書いてあったと同じことを言ったのだ。』


◎ “どうも近衛さんは、何か決心しているようだ”と白洲次郎が風聞を流した。確かに近衛は決心をしていた。近衛が決意したのは自殺ではなく捨て身の闘いである。近衛は所詮は無責任な公家のボンボンと云われているが、近衛が起こそうとしたいくつかの行動や一切の言い訳をしない態度には、命を惜しまない勇気と責任感そして不器用さを感じる。むしろ古武士を髣髴とする。

近衛のいい加減さで尻切れトンボに終わったとされる政治資料は、かなりの部分が粉飾されていると思う。後述するが、外務省に保管されている近衛とマッカーサーの会談の史料も、会談の通訳を務めた奥村勝三外務次官が改竄していると思う。奥村勝三は真珠湾攻撃を騙し討ちにする工作をした、吉田茂と昭和天皇のコネクションである。彼は戦後も近衛とマッカーサー会談の内容を改変し、昭和天皇とマッカーサー対談は美化するなど、八面六臂の活躍ぶりである。この奥村勝三の片割れが、元駐米大使館員にして二重スパイ、昭和天皇御用掛・寺崎英成である。奥村勝三と寺崎英成は外務省のシゲ&ジローといったところか。寺崎英成の兄・寺崎太郎も、陸軍中将・辰巳栄一とともに吉田茂のロンドン・コネクションとして有名である。


『後藤  あの遺言はやっぱり言い尽くしているね、全部を。思うことはみな、あそこに書かれておるね。また、あのとおりになったね、事態が-。やっぱり、近衛らしい遺言であった。山本が、書き残せるだけ書き残してくれといって、あれを要求したからね。重ねて僕も。だからああいう遺言が出来たとも思うね。』


『松本  それはそうかもしれない。』


『後藤  なぜ死ぬかを書いてくれないと困るということを僕は・・・。山本もそれを言いたいんだけれど、山本はそういうことになると、そこまで露骨にには言えないたちですわ。だけど、それ以外にいうことないよ、僕は。やっぱり率直にいったのが近衛の-近衛という人間があの最後の遺言に全部出てる。』


『松本  あれはね、次男の近衛通隆君に会って、一時間ぐらい話したんだよね。それから、通隆君を部屋から外へ出さしといて、あと自分で書いたんだな、遺言は。そんな気がする。』


『後藤  そうかあ?』


『松本  うん。遺言を通隆君に渡したわけじゃないんだもん。』


『後藤  ああ、そうか。』

◎松本重治は遺言について重要なことを語っている。通説にないことを語る必要はないのに、これでもかと偽証を重ねているうちについ口を滑らしたのだろう。重大な証言だ。『近衛の遺言』として後に公表されたものは、通隆が退室した後に書かれたものだというのだ。つまり近衛が通隆の眼前で書いたものとは別物である。近衛文麿の本物の遺言は表に出ていないのだ。


後藤隆之介と松本重治は、戦犯指名された近衛を小心翼々とした人物に描いている。しかしこの時期、近衛の長男・文隆はソ連に抑留され消息を絶っている。最愛の長男の所在も生死も定かではない時に、私はもはや近衛が自分の運命を気にかけていたとは思えない。苦汁を嘗めつくしてきた近衛が、今また息子の命を人質に取られたのである。そういう時に、近衛が重罪であるとか極刑を免れないとか苦にしたとは思えない。近衛は四面楚歌の中でついに闘いの矛を取って立ったと思う。近衛は明治憲法を完全否定する民主的な改憲起草案を奉答し、同日栄爵拝辞している。


もし近衛気に懸けることがあるとすれば、残された家族に塁が及ぶことだけだ。文麿の通隆への真実の遺書は「自分は家族に塁が及ばないようにしたが、まさかの時は口を閉ざして母親を守れ」というものではないか。隣に松本と牛場が聞き耳を立てていたから、紙片に書いたのだ。それをいいことに、松本は昭和を偽証し続けた。松本は白洲次郎と同じ才能を持っている。見てきたようなウソをつくのが上手い。白洲はまたネタを創るのが上手い。松本はその白洲を上回る。これは松本重治のネタである。


松本と牛場は何か異変があれば即座に飛び込めるように、近衛の寝室の隣の部屋でまんじりともせず様子を伺っていたという。翌朝まで何の物音もしなかったのだが、近衛は死んでいたという。松本と牛場は近衛が殺害される一部始終を見ていたのである。松本重治はまた、野口昭子が青酸カリについて言及するまで延々と色々なことを喋らせ、ついでのように青酸カリの小瓶の話が出たように書いている。誘導尋問をしている箇所は省いているのだ。昭子が目撃した『コーヒーの中に・・』というのは、牛場友彦あたりが現場を偽装したのだと思われる。千代子夫人は不眠症になっていた近衛のために、毎晩水差しを用意していた。安定剤を服用するためである。彼女は松本らの偽証によって、青酸カリ服毒のための水差しを積極的に用意したことになっている。


近衛抹殺を実行したのは吉田茂の配下の工作部隊である。吉田茂は諜報機関も憲兵隊も自在に動かす。吉田自身をスパイさせ国家反逆罪で逮捕させ、しかる後に40日で釈放させることが出来る。吉田茂は白洲次郎を使って、ソ連に抑留させた近衛文隆を始末することも出来る。


鬼塚氏によると、アヴェレル・ハリマンは、1921年にレーニンからジェルジェンスキーを紹介されている。ジェルジェンスキーは、スターリンに任命されて、秘密情報機関チェーカを創設した人物である。モスクワのルビヤンカ通りにある本部には、対情報工作部と経済情報工作部がある。


ハリマンはそのジェルジェンスキーと組んで、ソ連とウオールスとリートのパイプを作った。ここにジミー・ウオーバーグが参入する。白洲次郎はこのジミーとパイプを持っている。ハリマンはスターリンの恩人であり、二人で『高度の政治的決定』が出来る立場にある。マッカーサーはその決定に逆らう権限を持っていない。文隆の命運は吉田茂の掌中に握られていた。


引き続き松本重治『近衛時代』より、文隆に言及した箇所を抜粋する。


『牛場  ああいうおかあさんの血を受けて呑気だった文隆君でも、モスクワの近くのシベリアの収容所での態度は、実に見事なものだったそうですね。自分は近衛文麿の息子だと、うしろ指さされることはいっさいしないと、帰国した人がみんな賛嘆してたものな。後藤隆之助なんかにいわせたら、あれは謀殺されたんだというけどね。・・・やはりソ連はずいぶん利用しようとしたんだろうというんですね。憶測ですがね。どうしても”ぼんち”(文隆の愛称)はなびかなかったんだな。そういう点は一貫してあるんですね。公家の血ですよ。これはほんとうに常人と違うからな。それは冷酷なこと、とことん冷酷、ひがみが強いという点もありますよ、それは。あんちきしょうなんて・・・あの目がいかん、近衛さんの目が、ヘビのような目ですよ、あれね。実に威厳のあるそれはいい顔をしているけど、目はやっぱ・・・』


『松本  ヘビの目をした近衛さんに友さんが傾倒したのはどういう点かね。』


『牛場  いや、非常にもうなんか感じのいいひとなんですよね、一緒にいて。またなかなか人を信用しないんだな。寂しい人ですよ。』


◎ヘビの目をしているのは、牛場、お前自身のことだ。ヘビのように執念深く文隆にまとわりついていたではないか。近衛は殺される直前に、自分が秘書官に選んだ牛場という男の正体を思い知っただろう。この対談も牛場の性格が良く出ている。褒め言葉の合間に猛毒を入れ、サブミナル効果を出している。こんな男を首相官邸や自邸に出入りさせ、文隆に貼り付かせていた近衛はあまりに迂闊であった。

この牛場友彦とクリソツなのが里美弴である。里美弴は白洲次郎と懇意で、次郎所有の山小屋に泊りがけでスキーをする程の仲である。里美は白洲に頼まれて山本五十六のプロパガンダ小説を書いたり、原田熊雄の日記を編集して発刊したり、せっせとガセネタを巷に流している。それでいて『私は嘘いつわりが嫌いである』と自己PRしている。


『里美弴伝 馬鹿正直の人生』を書いた小谷野敦によると、里美弴には『まごころ哲学』なるものがあり、『嘘を許さない、何より自分に嘘をつかない』のがその眼目だという。里美弴という人間は傍迷惑なほど『馬鹿正直』であり、小谷野が伝記を書きたいと強く思った理由は、里美弴のこうした『正直病』に共感したからだという。私には里美という人間は『大ウソつき病』で、人にも自分にも平気で嘘をつく卑劣な男に見える。


里美弴は原田熊雄と親戚関係にある。白洲次郎(ジロー)松本重治(シゲちゃん)牛場友彦(トモ)もお互い縁戚関係にある。3人とも田布施村王朝の薩摩閥である松方正義・樺山資紀・川村純義の子孫である。その内訳は、シゲちゃんは松方正義の孫、シゲちゃんがそっこんの恋女房・花子は松方直系の孫、ジローは樺山愛輔の女婿、その愛輔自身も川村の女婿、そしてトモは松方家と親戚でシゲちゃんともども松方ハルと近縁である。


後年松本重治は才能を見込まれて、吉田茂と樺山愛輔に愛顧される。松本重治が国際文化会館の館長に就任した経緯には、ジョン・D・ロックフェラー三世だけでなく、この松方ハルが絡んでいる。松方ハルはライシャワーと結婚して、ハル・ライシャワーとなったのだ。田布施村王朝の世間は狭いのである。


近衛文麿の死の直前の言動についての松本重治の偽証は、『近衛上奏文』を下敷きにしている。近衛文麿とマッカーサー対談といわれるものも、近衛の遺言とされるものも、『近衛上奏文』下敷きにしている。『近衛上奏文』は吉田の側近が創案したものである。近衛直筆とされる上奏文や遺言の筆跡鑑定をしてもらいたい。近衛は10月22日に新憲法起草案を奉答、同日栄爵拝辞している。改憲起草案の骨子は、明治憲法の完全否定、すなわち田布施王朝による国体護持に真っ向から対立するものである。私はこれは近衛が昭昭和天皇に突き付けた果たし状であると思う。そのように腹を括って闘おうとしていた人間が、勝者の裁きを受けたくないと言って自殺する訳はないのだ。まして軍部赤化に責任を転嫁しひたすら国体護持と財閥勢力の温存を唱える対談を、マッカーサーとする訳はない。


冒頭で撤回した山本五十六の黙示碌的セリフも、山本五十六と近衛文麿の暗殺を偽装するための、原田熊雄の後知恵である。原田熊雄は住友の社員から西園寺公望の私設秘書になり、吉田茂の指令を中継する立場にあった(原田の家は吉田邸の真ん前にある)。住友財閥は原田を丸抱えして、東京本社の一室と資金を与えていた。原田熊雄が書いた『西園寺公と政局』は、証拠隠滅工作あるいはプロパガンダのための偽書である。


原田が書いた山本五十六のセリフを、私は最初、戦争回避のための黙示録として読んだ。しかし鬼塚氏の本を今一度仔細に読んで気が付いたが、バーガミニは資料の真偽を何と秦郁彦に依頼しているではないか。なるほどバーガミニは、五十六と河合千代子のガセネタを信じ込まされている。五十六関係者によると、『海軍省の部下が五十六の所在を知りたければ河合千代子の妾宅に行ったものだ、そこに行けばドテラ姿の五十六が出て来るからだ』という風聞を流していたのは海軍省の身内だという。海軍のガセネタを、秦郁彦は本物だとバーガミニに吹き込んでいたのだ。


前回シリーズで投稿した『鬼塚氏が発見した日本の秘密』には、秦郁彦が電話をかけてきて延々とイチャモンをつける逸話がある。そして最後に秦自身が田布施村出身であることを告げるに至り、鬼塚氏が合点するのである(ああ、この人は歴史を捏造するために近代史家になったのだなあ)と。事実、秦郁彦は、バーガミニの『天皇の陰謀』を偽書として告発し近代史を捏造している。その経緯を鬼塚氏は次のように述べている。

鬼塚英昭氏『日本のいちばん醜い日』成甲書房より以下抜粋。


『私はバーガミニの本が偽書扱いされる過程を調べて、日本の現状から見て納得した。この本ほど膨大な資料を駆使して書いた日本現代史は存在しない。日本の学者はバーガミニほど勉強していないし、その歴史の背後に蠢くものを追及しようとする者一人もなしである。では、どうして偽書よばわりされていったのかを見よう。』


『バーガミニの天皇伝を酷評し続けたのは、元駐日大使のエドウイン・O・ライシャワーである。この元駐日大使はたびたび昭和天皇と会い、天皇崇拝者へと変貌した。ここに彼の文章を紹介するまでもない。しかし、ライシャワーの天皇賛美の本は、アメリカでは逆に偽書扱いされだした。』


『エドワード・ベアーが「ヒロヒト-神話の裏側」を1989年に出版し、バーガミニの歴史的立場を支持した。スターリング&ペギー・シーグレーヴは「ヤマト・ダイナステイ」」(1999年)「ゴールド・ウオリアーズ」(2001年)を世に問い、バーガミニの立場から新しい日本現代史を書いた。シーグレーヴの本を読むことをすすめたい。たしかに、小さなミスはある(バーガミニもそうである)。しかし、シーグレーヴの本には、日本人のほとんどが知らされていなかった皇室の秘密が書かれている。』


『日本人の学者もジャーナリストもほとんどがバーガミニの本を無視し続けいる。この本を紹介した本について書く。1984年、松浦総三の「松浦総三の仕事」が出た。引用する。「この書物には、私たちの知らなかったことが実に多く出ている。それは、占領軍が接収した日本の資料をほとんど見ていることと、この本を書くのに10年近くかかっている努力と執念の結果であろう。」』


『私はバーガミニに関する日本人学者やジャーナリストの論評または引用について調べたが、松浦以外は見つけることができなかった。否、これは間違いである。強烈な批評の書を見つけたのである。それは前述した秦郁彦の「昭和史の謎を追う」の上巻に書かれていた。バーガミニは日本の資料を集め、整理するために、当時防衛庁の文官であった秦郁彦の世話になった、ということを書いた。たぶん、バーガミニは自分の資料の不確かさを秦郁彦にチェックしてもらっていたはずである。』


『バーガミニは秦郁彦の助言を受け、大いに感謝している。しかし、秦はバーガミニの本を偽書と決めつけるのである。どうしてか。この点を追及していくと現代の日本の学者たちの立場が見えてくるのである。1993年に“ついに出現した決定版昭和史”の惹句を付して、「昭和史の謎を追う」(上・下)が出た。その上巻の第一章に「“天皇の陰謀”のウソ」というタイトルで、延々とこれでもかと、秦はバーガミニを追及している。秦はこのバーガミニという男にまんまと欺されたという風に書いている。そしてバーガミニの履歴を書き、「まずは一流の経歴だが、ライフの科学記者として著書も何冊か出していたバーガミニが、日本の近代史に着目した理由はわからない」と記すのである。私には秦が書いている意味が分からない。科学記者は、科学の本だけを書けといいたげである。』


◎バーガミニは本書の冒頭で『著者から読者へ』と題して、天皇の陰謀を書くに至った理由を述べている。それは凄まじいまでの動機である。日中戦争のさなか、まだ少年だった彼は父親とともに南京の聖山の山頂で日本軍の蛮行を目撃した後、捕虜として拘留され1945年2月5日に処刑される予定だったが、アメリカ軍が侵攻してきて九死に一生を得たのである。


『秦は書いている。「真珠湾コンプレックスの強い米人読者を意識してか、“天皇は開戦11か月前に真珠湾攻撃の成否の検討を杉山参謀総長に命じていた”という“新事実”が、原書房から刊行されたばかりの“杉山メモ”で判明した、とバーガミニは強調しているが、筆者が何度調べても該当の箇所は見つからなかった。何かの錯覚と思われるが、仮に事実だとすれば検討を命じられるのは陸軍ではなく、海軍の軍令部総長でなくてはならぬ、という初歩的常識を筆者・訳者ともに持ち合わせてないようだ。」』


『私はこの秦の書いた文章を読んで、ほんとうにあきれた。「杉山メモ」をよく読めといいたい。秦がこの程度の知識しか持っていなかったのかと、ただただ、あきれた、とのみここでは書いておく。真珠湾攻撃はもっとずっと前から、裕仁が机上作戦に熱中していたのを知らないらしい。』


『彼は得意げに書いている。

「“悪書は良書を駆逐する”好例だが、そのバーガミニも1983年、53歳に若さで没したと聞く。死してなお偽書は千里を走る。“歴史とは意見の一致したウソを集めたものにすぎない”とうそぶく、歴史の偽造者たちの哄笑が聞こえてくるようだ」

私は秦郁彦のほうが、歴史の偽造者仲間の一人にちがいない、と思っている。』


◎私は秦の文章を読んで慄然とした。秦の哄笑の声が聞こえてくるようだ。私はバーガミニは、原爆投下を阻止しようとしたフォレスタル海軍長官のように暗殺されたのだと思った。激しい動機に突き動かされ、我々に真実を差し出して見せてくれた彼は、非業の死に襲われたのだ。


『もう一人のバーガミニの批判者を紹介する。その人は色川大吉である。彼はバーガミニが気に入らないらしい。彼は秦郁彦と同じ問題を論じるのである。「ある昭和史」から引用する。

「バーガミニによると、こんどの戦争は想うだに胸が悪くなるほどに醜悪な“天皇の秘密閥”によるアジア制服の大陰謀の結果であったという。書名どおりの“天皇の陰謀”を実現する“秘密閥”が成立したのは、皇太子裕仁がヨーロッパ旅行に出かけた1921年に夏のことであったというから驚く。天皇自身が“皇祖皇宗の遺訓”や“万民の敬愛”という幻想の領域に深く捉えられ、そのために彼の主体的行動も制約されて、混濁し、あるいは複合人格たらしめられてきた、そう私たちが考えているのに対して、バーガミニはそうした非合理的な態度をしりぞけ、天皇幻想の衣装をはぎとり、裕仁を一個の醜悪な野心家として通常世界史の帝王の系列のかなに据えおこうとする。」』

『私は色川大吉や秦郁彦のような天皇にたいする“幻想”をも持たない。秦郁彦や色川大吉にお願いしたい。あなたたちが、バーガミニの本を偽書扱いするならば、それは認めよう。私はあなたたち以上に彼の本の中の記述の間違いを発見できる。ならばあの“某中佐”が登場する場面を、どうか偽書であるとどうか証明してほしい。あなたがたの本の中に、一字たりとも某中佐は登場しないのだから。重箱の隅をほじくるような真似をやめて、堂々と“某中佐”の存在について書かれよ。その勇気があれば、日本の近現代史を大きく転回する契機の一つとなりうるであろう。』


◎秦郁彦も天皇に対する”幻想”を持っていない。彼は田布施村に生い育ち、長じて確信犯の歴史家になったのである。その秦が狙い撃ちにしたバーガミニは、日本近現代史に対する自身のアプローチを次のように明らかにしている。

『私は、天皇裕仁の行為と、後年彼についていわれている言葉との間には大きな懸隔がある、という結論を得た。私は史料の記録を読んで取ったノートを読み返し、考察し直して、第二次世界大戦以降に提示された日本現代史は、戦争末期に、一部は参謀本部の逆情報活動専門家たちによって、一部は行為の侍従たちによってつくられた、巧みに仕組まれた虚構である、と確信するに至ったのである。』


かくのごとく真摯なバーガミニを秦郁郁彦はまんまと嵌めたのである。秦のケースと異なり、G2のゴードン・プランゲと千早正隆の協力関係の場合は断然うまくいった。プランゲは千早と共に山本五十六のプロパガンダ本の決定版を作成した後は、アメリカにごっそり資料を持ち帰りゾルゲのプロパガンダ決定版も書いている。省庁に潜入している逆情報活動工作員は秦や千早のほかにもウジャウジャいるだろう。


再び鬼塚氏の前掲書抜粋の続き。


『私はこの惨殺事件(注 某中佐による8・15偽装クーデターでは、リアル感を出すために森近衛師団長を惨殺した)を調べてきて、ひとつ気になることがあった。それは井田正孝中佐である、彼は後に岩田姓を名乗る。塚本憲兵大佐が戦後電通に入社すると、磐田は電通に迎えられる。1965年、塚本は「社長室長」になり、岩田は「総務課長」になる。後に二人は電通社内で出世していく。』


『「日本のいちばん長い日」は一面、日本憲兵隊の物語である。塚本と井田(後の岩田)は、あの日の演出家から大きな役割をふりあてられていた。その二人は、戦後も、その演出家の庇護のもとで、日本最大の広告代理店・電通の力を最大限に駆使して、この「日本のいちばん長い日」の物語が大宅本の範囲を超えないように、絶えず監視の目を光らせていたのではなかったか、と思うようになったのである。』


◎「日本のいちばん長い日」とは、8・15宮城クーデターを描いた一群の本の題名である。半藤一利が決定版と言われるものを書いている。鬼塚氏によると半藤一利はクーデターに疑問を投げ返かける本が出た後、『都合のいいように、読者には分からないように文章を巧みに入れ替えて、ついに決定版とする』。鬼塚氏は半藤一利が近衛師団兵たちの真情を斬って捨てている態度に怒りを示している。半藤一利の歴史観は田布施村王朝のプロパガンダの域を半歩も出ようとしない。ヤラセに利用された近衛兵たちの気持ちを理解しようとしない。いやできない。『半藤一利にはまことに申し訳ないが、あなたの書く文章は全編、この調子である。そこには“情”の一片さえない。私はこれ以上の評をしない。』と。


私は半藤一利という作家は何の苦悩も葛藤もなく近現代史を書いている人だと思う。そこにはただお気楽さがあるだけである。山本五十六の「述志」が発見されたという触れ込みで、半藤一利と保坂正康の対談が載せられている。この二人が語る五十六の「述志」は、田布施村王朝のプロパガンダそのものである。私は「述志」の真贋自体を疑っている。


半藤一利監修・原作による「山本五十六60年目の真実」という映画も観たが、陳腐なだけでどこにも『60年目の真実』などなかった。ただ役所広司が入魂の凄い演技をしていたのでもったいないと思っただけだ。事実関係で間違いがあることにも気が付いた。例えば五十六の傍を片時も離れずに世話をしていた渡辺安次参謀が、なぜか三宅義勇(みやけよしたけ)参謀になっていた。これは三和義勇の間違いである。おまけに三和義勇が五十六と一緒に撃墜される場面がクライマックスになっていた。三和義勇はマラリアに罹って入院していたので、当日は五十六に同行していない。


確かに三和義勇は五十六の数々の重要なシーンに立ち会っている。だから貴重な歴史の証言者として捉えられている。しかし私は三和義勇は偽証をしていると考えるようになっている。三和義勇は数々の偽証をした後、始末されたと思う。私が三和義勇の偽証を信じて引用したことを訂正してお詫びしなければならないが、詳細は次回以降明らかにしたい。尚、黒島亀人も「わがまま、気まぐれ」から、五十六の偵察に同行しなかった。黒島亀人は三和義勇と組んで偽証している。黒島は戦後、宇垣纏の日記を遺族から借り出し、重要な箇所を破り捨てて証拠を隠滅している。


山本五十六と近衛文麿の名前は、吉田茂と昭和天皇のデス・ノートに記名されていた。その時期は2・26直後で、理由は2・26で松平恒夫に協力したからである。今回は近衛文麿父子に焦点を絞っている。近衛父子と山本五十六の抹殺工作には、類型が見られるからだ。二つの抹殺工作は、周囲全員が共犯して行われた。では引き続き近衛父子のケースを見ていこう。


鬼塚氏は近衛文麿が暗殺されたことを、次のように示唆している。

『松本重治が神戸一中の五年生のとき白洲次郎は二年生。神戸一中の同窓生である。松本は同盟通信で有末精三中将のアメリカ向け謀略放送の仕事に専念していた。その松本を吉田茂の依頼で終戦連絡事務局に誘ったのが白洲次郎である。二人はもっぱら民生局長ホイトニー(マッカーサー司令部のナンバー2)と交渉した。従って、あの日本赤十字社の「原爆被害者見殺し宣言」も、彼らの交渉の結果に他ならないのである。どうして、謀略放送を流し続けた松本重治がアメリカの代理人となって、近衛元首相を自殺(?)に追い込む役割を演じたかも、この一件の中に見えてくる。』(鬼塚英昭氏『昭和天皇は知っていた原爆の秘密 国内編』成甲書房より)

◎松本重治と牛場友彦は近衛文麿に自殺を強要した。彼らは近衛を2時間あまり脅し、服毒自殺を迫った。しかし近衛は頑として拒否したため、吉田茂の暗殺工作部隊が薬殺した。白洲次郎が松本に持参させた青酸カリは、牛場友彦が犯行現場を細工するために使われた。青酸カリの小瓶をコーヒーカップの中に入れた。それで近衛の長女明子は、父親がコーヒーの中に青酸カリを入れて飲んだと信じた。吉田茂とウイロビーが組んでいたので、現場検証はおざなりで済ませられた。家族を除いて全員が共犯者だったので問題はなかった。


近衛文麿抹殺工作が秒読み段階に入った昭和20年10月22日の前後の事情を見ていこう。近衛は田布施王朝を完全否定する新憲法起草案を奉答、同日栄爵拝辞してルビコン川を渡った。吉田茂と昭和天皇は東京裁判を待たずに殺害を決意する。まず吉田はマスコミを使って近衛を追い詰める世論操作をする。朝日新聞とNHKを組ませ、近衛に戦争責任を帰し、激しい人格攻撃を加えさせる。


朝日新聞昭和20年10月27日社説『近衛公ついに栄爵拝辞』より以下抜粋。


『自ら常に問題を蒔き、世間からも終始問題にせられていた近衛文麿公もついに栄爵を拝辞するの決意を表明した。さきに総理大臣の前官待遇を拝辞した事実に接した時その態度があまりに小出し的な責任逃れの観があるというので、国民の中にはその良心の健在を疑った向きもあった。ことに日本人として軽々しく口にすべからざる天皇御退位の問題を無考えに内外の新聞に公表して見たり、これを取り消して見たりする癖のあるのは、心ある人々をして困ったものだと思わせるに十分なものがあったといってよかろう。』


『マッカーサー元帥の勧めであるとか、陛下の思し召しによるとかいうのは、今の場合、確かに一つの根拠になり得るには相違ない。しかし国民の真情は、むしろ最高指揮官や至尊からいかなる事柄が洩らされたという点よりは、夫子ら自身が過去に対する責任をどう取るつもりかという点に集中せられているのである。換言すれば、外からの声、上からの声に対してどう振舞うかというよりは、自己内心の声をいかに忠実に聞くか、自らの政治的良心をいかに素直に働かせ、そしていかに道義的行動に出るかを国民は固唾を呑んで見守っているのである。』


『支那事変への責任、三国同盟への責任、そしてまた大東亜戦争への責任等々どれ一つとって見ても、若しあの時、近公にして今一段の勇断ありせばの嘆きを抱くものひとり吾人のみに限らないであろう。』


『しかしながら、社会的進化は、絶えず並々ならぬ犠牲を必要とすることを思えば、外よりこの犠牲を求められるに先立って、自発的にこれを提供する場合の歴史的意義こそ一層大きい事実の前に何人も頭を下げねばならないのである。犠牲は避けがたいが、それは務めて最小限に止められるべきであり、それがためには、各自が自発的に、迅速に棄つるべきものを棄つるべきである。明治維新の先ジュウが何よりもこのことを証明している。』

以上抜粋。

『ことに日本人として軽々しく口にすべからざる天皇御退位の問題を無考えに・・・』という箇所は、朝日の編集主幹にこれを書かせた吉田茂の本音が良く表れている。吉田茂は昭和天皇を掌中の玉と操ってこそ、権力の頂点を狙えるのである。


退位は東大総長南原繁も勧めていた。昭和天皇のために命がけで高木八束らと終戦工作に尽力した後、南原は次のような意味の講話をした。今次大戦の道徳的倫理的な責任は天皇にある。それは天皇自身が一番痛感しているはずだ。だから退位した方が気持ちが安んじるだろう。天皇は日本の道徳の体現者である。天皇が退位してこそ我が国の倫理道徳は廃れない。吉田茂は南原繁を『曲学阿民』として唾棄した。正しく『曲学阿世』と言えなかったのだ。孫の麻生太郎も踏襲を『フシュウ』と言った。


それにしても朝日新聞のオトボケはたいしたものだ。自分たちこそ戦争を鼓舞し煽っていた当事者である。いったい戦時中に何を書いていたのか、朝日新聞こそ『自己内心の声を忠実に』聞いて見たらどうなのだ。最後の部分などは、田布施王朝の走狗そのものである。こういうのが朝日新聞の真骨頂なのだろう。


生き残った国民はすでに夫や息子の命を棄てさせられている。彼らは疲弊し飢餓線上にある。それをさらに速やかに棄つるべきを棄てろという。兵役を忌避しフルコースを食べている連中の手先が言いそうなことである。


1946年5月12日、『米よこせ世田谷区民大会』の諸団体が天皇の居城に向った。栄養失調の母親、赤ん坊、子ども、老人も加わっていた。「今や我々は餓えている。昨日も今日もこの瞬間も我々の兄弟はバタバタと栄養失調で倒れている。生き抜かんとする人民大衆はいまや暴動化の一歩手前にある。宮城内の隠匿米を開放せよ」


「諸君、日本歴史はじまって以来、 初めてこの門の中へ俺たち人民の赤旗が進むのだ。俺たちは貧乏人だ。だが秩序正しく、ガッチリ腕を組んで、 胸を高く張って、堂々と行進しようではないか」


「天皇よ、あなたがあなたの言う通り、本当に我々人民大衆と信頼の絆でつながっているなら、聴けわれら人民の声を。」


人民大衆は緊急動議を発令した、「天皇の台所を見せてもらいたい」。宮廷官吏「いくら何でも天皇のはヤバいから、皇族のでいいにしてくれ」。ということで民草は、皇族用の台所と冷蔵庫を見学させてもらうことになった。


当時人民大衆は皇族から民草と呼ばれていた。戦後ずいぶん経っても、三笠宮寬仁は民草と呼称していた。その民草が皇族用の冷蔵庫を開けると、ブリ、ヒラメ、鯛などの高級魚と牛肉が詰まっていた。食べたことはおろか、姿さえ拝んだことのない高級食材に民草は圧倒された。しかも傍らにある皇族用のゴミ箱には、何と大量の残飯があふれているではないか。だが民草を決定的に打ちのめしたのは、皇族用献立評を見つけてしまったことだった。


皇族用献立表

○お通しもの

平貝 キウリ 海苔 酢の物

○おでん

種物 マグロ ハンペン ツミレ 大根 わさび

○さしみ

マグロ

○からあげ

ヒラメ

○御煮付け

竹の子 ふき みそおでん ねぎ さといも

○他二品


さらに毎日千葉県三里塚の牧場から、

○バター45貫

○豚2頭

○卵1200個

○鶏40羽

○牛肉・牛乳

が届けられていた。


当時、民草は二合一杓の配給米さえ遅配されていたのである・・・。


実はこの『米よこせ世田谷区民デモ』には、裏がある。信じがたいことだが、昭和天皇の策略だったのだ。区民デモのリーダーたちを抱き込んで皇居に突入させ、皇族の冷蔵庫を見させ、皇族たちに注目を集めさせる。それによってごく潰しの皇族たちを整理する。という一石二鳥の作戦である。昭和天皇の脳みそは常時謀略のためにフル回転している。


民草よ想起せよ。父、息子、夫、兄弟の命が、赤紙一枚で使い捨てにされていたことを。少年航空兵がトンボ(練習機)で沖縄の空に飛び立って行ったあの時期、皇太子明仁は軍服も着ないで疎開先の那須でテニスやスキーに興じていた。敗戦のシナリオは予め決定済みである。だから民草は使い捨てにされ、皇太子は無傷で温存されたのだ。


優秀な学徒兵たちにも爆弾を抱えさせ、人間兵器に仕立てて大量殺戮した。田布施村王朝の将来の敵になるかもしれない奴らである。始末しておくに如くはない。第二総軍の頭上に原爆を投下させたのもその事例の一つだ。日米戦争は優秀な民草の種を絶やす絶好の機会なのだ。


今も昔も田布施王朝の敵は日本国民である。田布施王朝はGHQの諜報部を自在に駆使して旧右旋回を謀った。G2のウイロビーの元には、旧右旋回のための旧日本軍参謀たちが集結している。河辺虎四郎(陸軍中将・対ソ戦エキスパート)、辰巳栄一(陸軍中将・吉田のロンドン大使時代以来のコネクション)、下村定(陸軍大臣)、有末精三(陸軍中将・情報畑)、芳仲和太郎(陸軍中将・海外)。吉田茂は辰巳を通じてウイロビーと共謀していた。


辰巳はかの有名なパケナム邸の『夕食会』にも出席している。ニューズ・ウイークの東京支局長パケナムが、ジョン・フォスター・ダレスを主客に、宮中のスポークスマン松平康昌を招いて開いたものである。朝鮮戦争のヤラセを直後に控えた状況で、日本の再軍備が検討されたのだ。この『夕食会』に辰巳が参加しているのである。


ニューズ・ウイーク編集局長ハリー・カーンを通じて、パケナムに『夕食会』を開かせたのはアヴェレル・ハリマンである。吉田はマッカーサーをバイパスして『高度の政治的決定』を仰ぐことが出来た。昭和天皇も松平康昌を通して、ダレスと直接交渉するようになる。御用掛・寺崎英成に託して口頭メッセージを送る。『主権を残すというフィクションのもとに長期に渡って沖縄を占領してほしい』有名な沖縄メッセージである。天皇のこれ以上はないくらい好意的な戦略的メッセージを受けて、米国務省の政策課長は感激した。ジョージ・F・ケナン、冷戦を演出したハリマンの使い走りである。


マッカーサーはこれら『高度の政治的決定』に従う立場にある。近衛文麿はマッカーサーから憲法作成を依頼されていたが、依頼は無かったことになり、戦犯パージを受けた。当時、戦犯を検察局に密告するルートは2つあった。昭和天皇のルートと吉田茂のルートである。昭和天皇による密告は、御用掛・寺崎英成を通じて行われた。


寺崎は国際検察局課長のロイ・モーガンとは旧知の仲である。寺崎が駐米大使館員だった時に、モーガンはFBI捜査課長時代だった。寺崎英成はFBIにも内通していた二重スパイである。日米開戦前夜、寺崎英成の送別の酒宴が設けられ深更にまで及んだ。翌日の出勤が大幅に遅れた奥村勝三は、東京から送られてくる電文を、同僚の助けを拒んで一人で人差し指一本を使って雨だれ式にポツポツ打った。奥村が全てをタイプし終わって野村大使に手渡したころ、大日本帝国連合艦隊は真珠湾をほしいままに蹂躙している真っ最中だった。昭和天皇は真珠湾攻撃騙し討ちの功労者寺崎英成と奥村勝三を嘉し、戦後マッカーサー対談の通訳としてリサイクル活用した。


俗に『東京裁判史観』なるプロパガンダ用語がある。東京裁判は『勝者による復讐裁判』であり戦犯は復讐の犠牲にされたのだという史観である。実のところ東京裁判は、田布施王朝が存続するために催された裁判ショーである。そのために市ヶ谷陸軍省は大改修され、ヤラセにふさわしい舞台に生まれ変わった。昭和天皇と吉田茂が『高度の政治的決定』者の承認を得て、キャステイングを担当した。


マッカーサーはもちろん、裁判長にも検察官にも権限はなかった。頑強に逆らっていたウエッブ裁判長は、本国に呼ばれてお説教された。キーナン検事長は素直にヤラセに協力した。東条が開戦に至る真相を話し始めると急遽裁判を中止し、田中隆吉と松平康昌を使者に立て、巣鴨にぶち込まれている木戸に東条を説得させた。再開された法廷で東条は前言を撤回し、昭和天皇と戦争は無関係であると偽証した。


かくのごとく東条は昭和天皇命の単細胞だったが、近衛は決定的に違った。近衛は五摂家の筆頭の家系に生まれついたというだけでなく、すでに少年期に父・篤麿から田布施村王朝の秘密を知らされていた。五摂家も始祖である藤原鎌足までさかのぼれば、同じような怪しい素性なのである。近衛文麿は青年のころから栄爵拝辞を考え、明治天皇の拝謁を拒絶した。


後年、政治の表舞台に引きずり出され内閣首班になってからも、直立不動で硬直し上奏する臣民の中にあって、ひとり近衛だけはゆったりとイスにすわり、その長い足を組んで天皇と対等に話した。彼は田布施村王朝の天敵である。昭和天皇は戦前にも天敵近衛の暗殺を試みている。辻政信を通じて児玉誉士夫に近衛爆破命令を下した。児玉は近衛を殺すのが偲びなかったので未遂に終わった。


近衛文麿は文隆をソ連に抑留され、自身は戦犯に指名されいよいよ覚悟を決めた。彼は真実を話すと明言した。出廷したら本当に真実を話しただろう。近衛はすでに10月22日、田布施王朝を完全否定する新憲法を奉答、同時に栄爵拝辞し敢然と戦闘状態に入っている。近衛が命運を賭して奉答した近衛改憲草案とは、どのようなものだったのか。


近衛忠大『近衛家の太平洋戦争』NHK「真珠湾への道」取材班より以下抜粋する。

『肝心の近衛案は新聞に報道されるなどしたものの、その後は行方不明となってしまった。それが1961年になって内閣官房参事官室の金庫から偶然発見された。佐藤達夫氏が内容を確認し、初めて近衛案の全貌が明らかになった。近衛案は奉答された後に幣原首相に「お下げ渡し」され、やがて封筒に密封されて金庫の奥にしまわれてそまったのだった。幣原首相は当然ながらこの近衛案を見て検討しただろう。しかし、結局のところ近衛案は幣原内閣の改憲草案にはほとんど影響を与えなかったといわれているから、金庫の奥に「お蔵入り」という「冷遇」もうなずかれよう。』


幣原喜重郎はさぞかし仰天して、直ちに吉田茂と昭和天皇に報告しただろう。しかし金庫なんぞに後生大事にしまいこんで、焼却しなかったのはくれぐれも迂闊であった。近衛が何をしようとしていたかの歴然とした証拠を白日のもとに晒してしまった。

○天皇の統治権行使は万民の翼賛に依る。

○天皇大権を制限する。

○議会は自らの解散提議権を持つ。

○緊急命令は事前に憲法事項審議会にかける

○宣戦、講和、条約締結には議会か、緊急の場合は憲法事項審議会にかける。

○他の大権事項も議会の協賛を必要とする。

○軍の統帥及び編成も国務に属する。

○臣民の自由を尊重する。

○非常大権(戒厳宣告)の削除を考究する。

○国務大臣の地位を明確化し、議会も天皇同様国務大臣の責任を問う。

○議会の予算審議権を尊重する。

○皇室経費も議会の権限とする。

○予算審議権の衆議院優位。

○改憲発議は議会もできる。国民投票も考究する。

近衛が振り捨てた栄爵は、田布施村王朝の瞞着の象徴である。田布施王朝の栄爵は、版籍奉還と廃藩置県で従来の公家・諸侯を廃止して公家と武家の区別をなくし、まとめて華族とした上で与えられたものである。田布施村王朝はここに身内や仲間をすべり込ませ、彼らにも公・侯・伯・子・男の爵位を授けた。白洲正子が伯爵令嬢である仕掛けはここにある。明治維新とともにウンカのように湧いて出てきた皇族も似たようなものである。

『侯爵の地位や華族制度そのものにまで疑問を投げかけるようになった近衛は、栄爵を拝辞して哲学を本気で専攻し、学者になろうと考えたりもしていた。とりわけ周囲を困惑させたのは、宮中に対して彼が率直になれなかったところだった。

それは明治43年7月8日のことである。明治天皇が本郷の前田家へ行幸する運びとなった。前田家では光栄のきわみであり、送迎には前田家だけでなく姻戚関係にある近衛家としても参列するのが礼儀だった。近衛の実母、継母ともに前田家の出である。兄弟たちは皆揃って行ったが近衛だけは行かなかった。遅れて十日、同じく皇后の行啓があったが、これにも参列しなかった。

さらに翌年44年10月20日、この日近衛は20歳を迎え天皇から杯を賜り、従五位に叙せられることになっていた。当然、宮中に参内しなければならない。彼は何日か前から日光へ行っており、帰郷するよう催促を受け前日東京へ帰った。しかし、馬鹿馬鹿しいと考えたか近衛は遂に参内しなかった。』(工藤美代子『われ巣鴨に出頭せず』より)


工藤美代子の前掲書には、近衛文麿の父・篤麿の臨終の模様も詳しく書かれている。篤麿は牛や馬にしか存在しない菌によって体中に腫物ができ、手術で切り刻まれた末、『心臓麻痺』で急死している。享年41才。日露戦争開戦の40日前のことである。この篤麿の急死には西園寺公望が関与していると私は考えている。


鬼塚英昭氏によると、西園寺公は若いころフランスに遊学していた時、女関係のゴタゴタでヒドイ目に合わされ、それを脅しのタネにされてコンプラドールになったようである。西園寺公望は田布施村王朝の協賛メンバーでもある。近衛文麿を政界に引きずり出す役目を仰せつかった西園寺は、しかし悪人になりきれなかったのだろう。暴走する日本を憂いた西園寺は、日米開戦前夜に排除されている。西園寺暗殺には養子の八郎が関与していると思われる。


近衛篤麿、文麿、文隆も抹殺されねばならなかった。文麿はそのために首相に担ぎ出され、文隆には尾崎秀実とゾルゲが近づけられた。近衛内閣発足の一ヵ月後に盧溝橋事件が勃発したのは偶然ではない。最初から近衛を日中戦争の泥沼の中に放り込む筋書きである。息子の文隆多も、首相秘書官を務めたにもかかわらず異例の召集を受けた。しかも予備役に編入された直後に、またも臨時招集という理由で呼び戻された。文隆を敗戦まで満州にくぎ付けにし、ソ連に抑留させるためである。


昭和天皇は文隆を罠にかけるためには、義理の姪を利用することさえ辞さなかった。天皇の命令で皇后良子(ながこ)の姪・大谷正子と文隆は見合い結婚する。これは天皇命令であったあろう。媒酌人を務めたは木戸幸一は、文隆と正子の結婚式が挙げられた満州くんだりまで出かけている。父親である近衛文麿は、多忙を理由に欠席している。サイパンが陥落し敗戦色濃厚な時期、正子は満州とソ連との国境の近くに赴き、文隆と短いが幸福な新婚生活を送ったのだ。この正子のひたむきな思いが、文隆を陥れる罠として使われるのである。敗戦の混乱状況に正子を囮に使って、文隆を捕まえたのである。ソ連に抑留された文隆は、近衛上奏文の反共的な内容のせいで禁固25年を言い渡される。


『近衛上奏文』の仕掛け人は吉田茂である。吉田は近衛に上奏させるために、歴代首相をダシに使って参内の機会をつくった。『近衛上奏文』は徹頭徹尾、田布施村王朝の存続のテーマで貫かれている。全文これ昭和天皇と吉田茂のシナリオを反映したものである。田布施村王朝の真実を告げようとしていた近衛が、こんなアホくさい上奏をすることは絶対にない。世上『近衛上奏文』として伝えられるものは、改竄された資料である。昭和天皇や現場証言者のセリフも全て偽証である。近衛文麿の女婿であり秘書である細川護貞さえ、偽証に協力している。彼の日記にも記載された“近衛直筆による上奏文の写し”というのはガセだ。おそらく本物はどこかに保存されている。近いうちに必ず出てくるだろう。


吉田茂と昭和天皇に追い詰められた近衛は、『僕は運命の子だよ』と通隆に呟いた。私は近衛文麿は『藁の女』だと思う。近衛は『藁の女』という推理小説の主人公と同じ運命をたどった。破滅に至る罠を予め仕掛けられた上で、完全犯罪に利用されたのだ。吉田茂と昭和天皇が仕組んだ完全犯罪である。


近衛文隆は塁が及ばないように家族に何も知らせていないから、家族は松本と牛場を信頼して後事を託した。近衛は松本と牛場が来た時点で覚悟を決めただろう。親孝行をろくにしなかったことを詫びた通隆に、「親孝行っていったい何だい?」とそっけなく問い返している。お前の親はもうすぐ殺される。お前の兄も生きては帰ってこない。親孝行っていったい何だい?


一人になった近衛に、松本が青酸カリを服毒するよう強要した。しかし近衛は拒んだ。そこで吉田茂の秘密工作部隊の登場である。松本と牛場の手引きにより家屋に浸入して待機していた彼らは、抵抗する近衛を取り押さえ静脈注射をして薬殺した。近衛の死に顔は安らかだったと松本が回想している。『自殺しようとする人間の隣の部屋で寝たのは、後にも先にもあれがたった一度きりだった。死に顔が安らかなのが何よりだった』と。


GHQはろくな検死もせず、青酸カリ服毒自殺だと認定した。服毒自殺の状況証拠を捏造するために、松本以下共犯者全員が口裏を合わせた。後藤隆之助は近衛内閣の書記官長だった人物である。山本有三は『路傍の石』を書いた作家である。両者とも近衛とは一高以来の友人である。この二人が近衛暗殺のスタンド・プレーヤーを演じたのだ。近衛文麿は孤独だっただろう。


松本重治は晩年になるにつれ、偽証をくり返し聞き書きさせている。死んだ後の自己保身も忘れないセコイ奴だった。往々にして犯人は凶器の入手経路から割り出されるという。だから松本はしつこいくらい青酸カリの入手経路を脚色している。また犯人は犯行現場に戻るというのが通説らしい。なるほど吉田茂は家人に頼んで近衛の寝室に宿泊している。吉田はさぞかし満足感にひたって眠りについたことだろう。


白洲次郎は文隆の抹殺工作にも暗躍した。白洲次郎はOSSのジュームズ・ウオーバーグと秘密のルートを持っていた。ジミー(ジェイムズ)・ウオーバーグはポール・ウオーバーグの長男。白洲次郎はポールの長兄アビーの庶子。ジミーと次郎は従兄弟同士である。(ただし白洲はアビーが父親であることまでは分らなかったと思われる。弟たちは長兄アビーを、フロイトの怪しげな薬物投与で早死にさせているようだ)


白洲次郎は英米の諜報機関と深い関係にある。渡英の際はニューヨークにしばしば出没している。文隆はプリンストン大学留学時代にニューヨークに足を伸ばして遊んでいたが、しばしば白洲次郎が出没していたこと、いかがわしいユダヤ人ジャーナリストたちが出入りする酒場に自分を誘ったこと、そこで共産スパイの未亡人とFBIの間諜に近づきになったことなどを、ソ連抑留時代に周囲の者にせがまれて語っている。白洲次郎が英米の諜報機関と深く繋がる人物であること、ニューヨーク時代から文隆にまとわりついていたことが分かる。


白洲次郎は吉田茂に命じられて、御前会議クラスの国家機密情報をジミー・ウオーバーグに流していたが、ケンブリッジ時代に次郎を取りこんだのは、ウオーバーグ本家のジークムントである。ジークムントは生涯にわたって、次郎と個人的親交を結んだと言われている。ジークムント・ウオーバーグは、スイスに所有している製薬会社にLSDを製造させ、ジミー・ウオーバーグはLSDを使ったマインド・コントロールをプログラミングした。OSSの後身CIAで実験されていた悪名高きMKウルトラである。白洲次郎はジークムントに取り込まれる際、このMKウルトラを受けていた可能性が高い。


自殺者や廃人が続出したMKウルトラを作成したジミーは、タビストック研究所にも資金提供しフロイトの理念を実践させた。(アビーはフロイトの治療を受けているがどうも実験台にされたようだ)このジミーの父親が、ポール・ウオーバーグ。ポールはドイツ諜報機関のトップとしてアメリカに渡りFRBを創設した。これは何を意味するのか。英米諜報機関は、ドイツ諜報機関の支配下にあるということではないのか。


OSSはルーズヴェルト大統領の命令で、ウイリアム・ドノヴァンが創設したことになっているが、実のところアヴェレル・ハリマンが血族のドノヴァンに作らせたものである。ジミーはOSSに入いると、ドノヴァンから可愛がられ特別な任務を与えられた。一方アヴェレルはソ連に利権を開拓し、ジミーはそれにも参入していた。


OSSはソ連情報部にせっせと機密情報を流していた組織である。マッカーサーも、OSSはナチスより危険だと認識している。ジミー・ウオーバーグはそういうOSSを体現する人物である。経済活動においても諜報活動おいても、ポールの血筋を引いた一流のやり手なのだ。白洲次郎はこういう男とパイプを持っていたのである。ソ連に抑留された近衛文隆の命は風前のともし火であった。


吉田茂は近衛文麿抹殺を完了すると、息子の方はゆっくり料理することにした。父子が連続して死んでは不審を抱く向きもあるだろう。文隆をじわじわと虐待した。文隆は白洲や松本と違って徴兵を忌避せず、1940年から敗戦まで兵役を務めた男だ。生かしておいては親父の復讐をすることは必定である。吉田茂が政権にある間、文隆は収容所をたらい回しされていた。文隆ほど引きずり回された人物は他にいないという。11年後、吉田は鳩山一郎が政権を取りソ連との国交回復調印に松本重治を同行させ、文隆の始末してくるよう命じた。松本重治は近衛父子抹殺に立ち会った重要参考人物である。


山本五十六と近衛父子抹殺工作の総指揮を執った吉田茂は、伊藤博文の再来である。伊藤博文は、孝明天皇・睦仁父子を抹殺しクーデターを成就させた、田布施王朝の始祖である。貧困のどん底にあった田布施村ゲットーの人々は、解放されるやいなや保守反動に突っ走った。クーデターは山間の不毛な地に押し込められていた彼らを、広大で肥沃な関東平野にある将軍の居城へといざなった。大室虎之祐は千代田城のあまりの広さと豪華さに驚き、歓声を上げて走り回った。彼らは新しいゲットーに日本の粋を集め、これでもかと豪華絢爛な装飾を施した。それはお召列車の過剰装飾にまで及んだ。


ムシロ一枚で外気を防ぐようなどん底の生家に生まれ育った人々は、権力の座に座るとある者は個人財閥となり、ある者は広大な別邸を複数所有した。彼らは広大な大名屋敷をより取り見取りで物色した。それらは華族令によって伯爵邸や男爵邸と呼ばれるようになった。そして彼らは食い詰めた武士や元旗本の見目良い娘たちを、千代田城に連れてきて慰み者にした。


大室寅之祐の息子の大正天皇の妃がここかから誕生した。貞明皇后はこの『千代田遊郭』に騙されて連れて来られ、ひどい目に遭わされて以来、田布施村ゲットーを不倶戴天の敵として憎悪した。彼女は西園寺八郎に無体なことをされたときに悟った。こいつらにとって自分は道具なのだ。もうこいつらをやるか、自分がやられるかそのどちらかしかない。そして彼女は第二の戊辰戦争を画策する。結果、敗れた貞明皇后は、戦後間もなく亡くなっている。昭和天皇のデス・ノートに、『謀反人の朱貞明は戦後に心臓麻痺で急逝する』と書かれていたのである。『朴重徳は秘密財産隠匿工作の後、獄中死』とも書かれていただろう。


『鹿児島にも田布施村があった。現在は加世田(かせだ)市金峰(きんぽう)町というけれども、ここは昔田布施村といった。小泉純一郎の父、小泉純也はこの地の出身である。彼は状況して小泉又二郎の一人娘・芳江と結婚して小泉家の婿養子となって小泉姓を名乗り、義父の地盤を継いで代議士となった。小泉純也は朝鮮の姓を持つが、この結婚により日本国籍を得た。長州の田布施と薩摩の田布施、直近二台の首相が同じ田布施一族の末裔なのだが、これは偶然ではないだろう。』(鬼塚英昭氏『日本のいちばん醜い日』より)


鬼塚氏によると、鹿児島には田布施村のほかに遺棄された朝鮮の人々の村があるという。苗代川というその村に、東郷重徳は朴茂徳として生まれ、5歳のときから東郷重徳を名乗るようになったという。

『私はどうして終戦時の外相、東郷重徳をここに登場させたのか。その理由は三つある。その一つは、あの明治10年(西南戦争があった)のあわただしさの中で、アーネスト・サトウがパークスの命令とはいえ、朝鮮人の被差別部落の調査報告書を作成しているということである。サトウは日本の国土の中に朝鮮系の人々が多数いて、差別されているのを見た。西南戦争は被差別部落の問題が大きく影を落とした戦いである。

もうひとつは、終戦内閣にどうして東郷重徳が外相として迎えられたか、というのが二つ目の理由である。それは、終戦にあたり、昭和天皇が最も信頼できる人物を内閣に入れたことにある。東郷重徳は、明治天皇=大室寅之祐と同じ出自を持つと考えられたのではなかったか。

さらにもう一つ、東郷重徳を起用した理由がある。それは天皇の財宝を隠ぺいする役を東郷重徳に命じた点にある。天皇はいちばん大事なことをするのに、日本人よりも朝鮮人を信用したといえる。』(鬼塚氏の前掲書より)

鬼塚氏は8月14日~15日までの内閣を見るとき、大分県出身の大臣や軍人の多さに注意を喚起している。阿南惟幾(陸軍大臣)、梅津美治朗(陸軍参謀総長)、豊田副武(海軍軍令部総長)、重光葵、池田純久らである。大分県の国東半島沿岸部と田布施や曽根が昔から盛んに交流し、その交流の中から血族関係が生まれ田布施ゲットーの底辺を広げていった。



『天皇制を悠久の昔からのものと考えることは出来ない。天皇家と天皇制はひとつにして見るべきではなかろう。天皇制は近代百年の政治的創作で、新しいわれわれと同時代のものである。ある日、総理大臣吉田茂が、突如昔のように天皇に対して臣茂と言いはじめ、人びとを驚かしたが、昭和のはじめ、わたしの子どもの頃には、昼間の銭湯には、伊藤博文がはじめて臣博文とやらかした時のことを、覚えている老人たちが集まっていた。禁裡様から天子様、天皇陛下へ移り変わったことをかれらは知っていて、天皇ファンが多かったが、大した出世をしたものよ、と感心されてもいた。一代の成り上がり者明治天皇を偉いとほめ、皇子の大正天皇の精神異常のエピソードをさまざまに公言する老人たちの寄合は、数年後にはもう銭湯からも姿を消した。安政・万延・文久生まれが急速にいなくなったからである』(益田勝美『天皇史の一面』を鬼塚氏の前掲書より孫引き)

貞明皇后は田布施ゲットーが苦心して創作した体制を、本気でぶっ壊そうとした最悪の強敵である。2・26は貞明皇后が導火線を引き発火させた。彼女は最愛の息子秩父宮に、田布施ゲットーに滅ぼされた会津藩主の孫娘・松平勢津子(本名は貞明と同じ節子)を娶わせた。これで松平容保の四男・松平恒雄が秩父宮の岳父になった。そうして貞明皇后は松平恒雄に辰戦争の雪辱戦を開始させたのである。これに山本五十六と近衛文麿が陰で支援していた。


しかし肝心の秩父宮が途中でビビって昭和天皇側に寝返った。行き場を失った青年将校たちに、秩父宮は使者を遣わして「こうなった以上は、お前たちは死に方をきれいにしろ」と命じさせた。貞明皇后の血を分けた3人の息子たちはそろって意気地なしの小者である。彼らは束になってかかっても昭和天皇に太刀打ちできない。昭和天皇は田布施ゲットーが生んだ空前絶後の怪物である。吉田茂はこの怪物を掌中の玉として操った化け物である。


1919年パリ平和会議は、吉田茂と近衛文麿の運命の岐路であった。アメリカ全権大使のハウス大佐の傍らにはグルー特命大使もいた。ハウス大佐はシナリオの主役を選出する権利を持つ人間である。


『12才のときにエドワード・マンデル・ハウスは脊椎髄膜炎に冒され、のちにはさらに熱射病で不具になった。彼は半病人となり、病気は彼を風変わりな東洋人のような風貌にしてしまった。どのような職業にも就かなかったが、父の資金を使ってテキサス政界の黒幕となり、1893年から1911年までのあいだに5人の知事を当選させることに成功した。1911年、ハウスはウイルソンを支援しはじめ、大統領候補の指名権を確実なものとするために決定的なテキサスの代議員団を彼へと投入した。ホワイトハウスへ行きウイルソンに会って3万5000ドル渡した、とハウスはヴィーレック(『歴史に残るもっとも奇妙な関係-ウッドロー・ウイルソンとハウス大佐』の著書)に語った。この金額は、バーナード・バルークがウイルソンに5万ドルを与えるまで超えられることはなかった。』(ユースタス・マリンズ『民間が所有する中央銀行』より)

このようなハウス大佐は、実はポール・ウオーバーグの代理人であった。


『1912年12月19日、私は通過改革にかんしてポール・ウオーバーグと電話で話をした。私はワシントンへ旅行し、そこで作業手順を整えるために行ったことを話した。上院議員と下院議員はウオーバーグが希望することを行うのを切望しているように見え、当選した大統領ウイルソンはその問題にかんして変更なしに行うことを考えているようだと、私はウオーバーに伝えた。』(マリンズ氏の前掲書の中に引用されている『ハウス大佐の親書』より)

太田龍が監訳したユースタス・マリンズの複数の著書を読むと、ポール・ウオーバーグがドイツ諜報機関のトップとしてFRBを創設し、そのFRBによって必要な時にドルを創造し、世界大戦を創出する主要な役割を果たしていたことが見えてくる。ポールがFRBを創設する以前には、米国の債務はほとんど存在しなかった。ロンドン・シテイ―もFRBが創造した巨額なドル取引によって、初めて国際金融同盟足り得たのである。FRBによって、『アメリカの独立はひっそりと、だがどうにもならない状態で英国の勢力範囲に奪回』された。


ウイルソン大統領が主催した1919年パリ平和会議で、第二次世界大戦のシナリオが検討された。そこにはウイルソンの顧問ハウス大佐と書記官グルーがいた。後の駐日大使ジョセフ・グルーである。ハウス大佐はすでに、若き海軍次官フランクリン・D・ルーズヴェルトを見出している。当時ルーズヴェルトはアポロンのようなスポーツ万能の美青年だった。ハウス大佐は、ルーズヴェルトが小児麻痺に罹患して下半身不随になってから、ニューヨーク州知事にそして大統領へと押し上げる。


ハウス大佐を背後で動かしていたのはウオーバーグである。フーヴァー大統領もポール・ウオーバーグの力で大統領になった。ポールはフーヴァーの選挙資金を賄って政権を取らせると、フーヴァー・モラトリアム(ドイツ債務繰り延べ)を実施させた。世界を動かしていたのはロスチャイルド家の五人兄弟ではなく、ウオーバーグ家の五人兄弟なのかもしれない。世界五人会議もあるいは見せかけかもしれない。20世紀のファウストは表舞台で活躍していたアヴェレル・ハリマンではなく、諜報コネクションを持っていたヴィンセント・アスターかもしれない。


アヴェレル・ハリマンは死後、全ての財産を回収されている。再婚相手のパメラ・ハリマンが回収したのである。彼女はロスチャイルドと組んでいる。アヴェレルとパメラは元不倫関係にあった。ハリマンが第二次世界大戦のヤラセ工作に奔走していた頃、パメラはチャーチルの息子ランドルフの嫁であった。二人の不倫関係は短期日で終わりを告げる。パメラはほどなくランドルフと離婚してフランスに渡り、社交界で華やかな浮名を流したが、ギイ・ド・ロスチャイルドに取り込まれた。


その後30年の時を隔てて高齢のアヴェレルと再婚した彼女は、アヴェレルの死後、財産強奪に成功した。これを幇助したのが、ヒラリー・クリントンである。ヒラリーは駆け出しのころでさえ全米弁護士トップ100人の中に入る精鋭で、ニクソン大統領の弾劾裁判に若手弁護士として選ばれている。強奪に成功したパメラはビル・クリントンのパトロネスとなる。クリントンがウインスロップ・ロックフェラーの落胤であり、ローズ奨学金を受けたバリバリのエージェントであることは周知の通りである。


ハウス大佐の続きに戻る。


『連邦準備制度は、1914年に業務を開始し、連合国に250億ドルの貸付を行うようアメリカ国民に強要した。かなりの利息がニューヨークの銀行家たちに支払われたが、貸付金は返済されなかった。アメリカ国民は狩り立てられ、ドイツ国民と戦争を起したが、われわれにはドイツ国民に対して政治的あるいは経済的に反目する理由がまったく思い及ばなかった。あまつさえ合衆国はドイツ人で構成される世界最大の国家となっていた。また半分近くの市民がドイツ出身であり、わずかな票差でドイツ語を国語とする議案を否決したこともあったのである。』(ユースタス・マリンズ『民間が所有する中央銀行』より)


ポールの操り人形だったハウス大佐は、『半人間』であった。ハウス大佐が操り人形に選んだルーズヴェルトも『半人間』であった。ルーヴェルトが選んだ最側近も『半人間』であった。みんな大病を患い異様な風貌をしていた。ハウス大佐には、日本からも『半人間』を選出する任務があった。


彼は候補者をパリ平和会議に出席させるよう、旧知の仲の牧野伸顕に依頼した。牧野は女婿の吉田茂を随行し、西園寺公望には近衛文麿を随行させるように取り計らった。西園寺公望はずいぶんシブったという。彼はフランスに遊学していた若いころ、女関係の罠に引っかかってヒドイ目に遭わされ、それを脅しのタネに使われてコンプラドールにされた人間である。牧野に説得されてパリ平和会議日本全権として出席したが、会議に出席する以外はホテルから一歩も出なかったという。当時の情景が頭の中でフラッシュバックしていたのかも知れない。さぞかし怖かっただろう。


さてハウス大佐はパリで近衛文麿と吉田茂を面通しした。そして1930年代、再度アメリカで両人と面談し再確認している。『半人間』の資質を持ち合わせているのは吉田茂であると。吉田茂は『半人間』どころか人非人であった。


『外務省の裏街道に追いやられていた吉田は、ここに来て表舞台への飛躍を画策した。パリ講和会議が間もなく開催され、牧野伸顕と西園寺公望の名が全権大使として取りざたされている情報を知った彼は、岳父の力を借りてでも外交の表舞台に立つ腹を決めた。雪子と結婚してから岳父の牧野に一度たりとも猟官運動のようなことをしたためしはなかった。寺内首相からの秘書官の誘いをも蹴った男だ。それが吉田の意地でもあったし、自負でもあった。だが、ここにきてはじめたこうした内容の手紙を書こうとした心境を自分で書き残している。

「パリ会議と聞いては、たとえ外交官の末端とはいいながら、これに列席し得るのは、千載一遇の好機ともいうべきであるから、さすがの私もこの時は猟官運動をせざるを得なかったのである」(「回想十年」第四巻)

パリ講和会議のメンバーを眺めれば、いかにその後の日本外交の主軸を揃えて臨んでいたかがよく分る。このパリで吉田と近衛はなじめての挨拶を交わした。タフなネゴシエーターとしてアメリカ側の若き随行員だったジョン・フォスター・ダレスと顔を合わせたことが、吉田の最大の収穫となったかもしれない。吉田はまもなく41歳、ダレスは31歳であった。』(工藤美代子『カクヤクたる反骨 吉田茂』より)


ハウス大佐のお眼鏡にかなった吉田茂の元へ、エージェントが送り込まれる。ジョセフ・グルー駐日大使である。グルーの駐日大使着任は1932年6月6日、ノルマンデイー上陸と同じ6月6日に、モルガン財閥の刺客を日本に上陸させたというシャレなのかもしれない。ザ・オーダーはシナリオの細部にまでこだわり、舞台設定にも手を抜かないという。彼らはマメで凝り性なのである。


果たしてグルーの妻アリスは、黒船に乗って幕末日本に恫喝外交に来たペリー提督の子孫である。彼女はペリー提督の兄の曾孫で、ベンジャミン・フランクリンの直系の子孫でもある。しかも父親トマス・サージャントペリーは慶応義塾の英文学の教授だったので、子どものころ一緒に来日していたアリスは日本語ぺらぺらである。そういう妻を同伴したグルーの日本上陸には、まさにノルマンデイー上陸の観があった。


上陸したグルーに早速接近してきたのが、モルガン商会と懇意な樺山愛輔である。


『天皇謁見が14日に決まると、樺山愛輔伯爵がそれに先立って会いたいとグルーに面会を申し出てきた。深い親交を結ぶことになる二人の最初の出会いである。薩摩の樺山資紀の息子である樺山愛輔は、宮中関係にも通じており、また、グルーの出身地であるボストンを州都とするマサチューセッツ州内陸にある名門アマースト大学で学んで英語も堪能で(注 後のクーリッジ大統領とモルガン商会のラモントは同級生)、アメリカの事情にも通じていた。』(廣部泉『真の日本の友 グルー』ミネルヴァ書房より)


しかしグルーにとって最重要人物は牧野でも樺山でもない。ハウス大佐のお眼鏡にかなった吉田茂である。その吉田は戦後『回想十年』の中で、グルーに『日本の真の友』という賛辞を捧げている。吉田茂とグルーはヤラセのシナリオの『真の友』となったのだ。


『1939年2月末、駐英大使を辞して帰国した吉田茂はたびたびグルーを訪問するようになっていた。日米関係が悪化してから、多くの日本人がグルーを初めとするアメリカ人と一緒にいるのを見られるのを避けるようになっていたが、吉田は、樺山愛輔の娘・正子の夫、白洲次郎とともにグルーを誘ってよくゴルフに出かけた。

吉田茂との付き合いは家族ぐるみとなり、グルーの妻アリスはよく吉田の雪子夫人に誘われて歌舞伎に出かけた。牧野伸顕の長女として生まれた雪子は、父牧野がイタリヤやオールトリア公使時代に同行し、欧米の社交術を学んでおり、また、努力家で英語を初めとする外国語も相当なものであった。グルーは雪子のことを「アリスの日本人で最も親しい友人」と日記にしるしている。』(廣部泉前掲書より)



しかしグルーの回想記には、『真の友』としての吉田茂は全削除されている。廣部泉は『日本の真の友』を副題にしながら、その辺の事情には触れない。触れたらプロパガンダが崩壊するからである。廣井泉の後書きには次のようにある。

『本書執筆中に東日本大震災が起きた。日ごとに明らかになる震災の甚大さに呆然としていたとき、グルーの言葉を思い出した。戦中グルーは全米で講演をする際、日本人はどれほど困難な戦争を前にしても「道徳的にも心理的にも経済的にも倒れない」「ベルトの穴を一つきつく締め直して、食事を米一杯から半杯に減らし、最後の最後まで戦うだろう』と日本人の強靭さを訴えつづけていた。むろん、これは戦争における日本人観である。しかし、グルーが見出した日本の強さは、その軍事力や技術力ではなく、日本国民の精神力であった。震災からの復興というとてつもない大きな戦いを前にして、敵国人にもかかわらず「日本の真の友」であった親日家グルーが最後まで信じ続けた日本人の計り知れない底力がいまこそ発揮されることを、我々日本人自身が信じるべき時がきたのだと私は感じている。』



「日本の真の友」を演じ続けたグルーが、その実モルガンのエージェントであり、ヨハンセン・グループとステイムソンの間に立って原爆投下に協力したことを考えると、廣部のこの後書きはブラック・ジョークを超えてもはやシュールである。


副島カルトビジネスの右腕・中田安彦は、自分のブログを利用してプロパガンダ本を宣伝する一方、中田君の見解は岩波文化人には理解できないと言って、岩波をバカにしている。しかし岩波には往々にして掘り出しものがある。グルーの日記の原本と『滞日十年』を比較して、吉田茂の暗躍を検証した素晴らしい本がある。

中村政則『象徴天皇制への道-米国大使グルーとその周辺』岩波新書より以下抜粋。

『序 「滞日十年」の成立事情』


『1979年3月から80年12月まで、私は米国ハーバード大学東アジア研究センターに籍をおき、「1930、40年代のアメリカの対日認識」をテーマに留学生活を送った。研究テー眼の関係からしても当然とはいえ、私はこのグルーの存在には強い関心をよせた。さいわいハーバード大学には稀こう書・貴重資料のコレクションで、世界的にも名高いホートン・ライブラリーがあり、グルー文書もその一つとして所蔵されている。グルー文書は大別すると、日記・手紙・演説・会談・電文類・新聞雑誌切抜き・個人メモ・断簡などに分類・整理されており、個人文書としては第一級の質量を誇っている。なかでもグルー日記と手紙はグルーの日本観、対日政策の特徴などを知るうえで最も貴重な資料であり、これを抜きにしてグルーを語ることはできない。』

前述の廣部泉も東大教養学部を卒業した後、ハーバード大学大学院博士課程を修し、歴史学のPh.D.を取得している。『日本の真の友 グルー』の前書きに、”『滞在十年』に収録されていない箇所については日記原本から訳出した”とはっきり書いてあるように、ハーバード大学で原本に目を通していたお方なのだ。そういう立場にありながら廣部泉はプロパガンダ本を書くことを選択した。廣部泉のグルー評伝は10月20日に第2刷が出版され、最新刊として公共の図書館に並べられている。ネット対策の一環として、田布施王朝のプロパガンダ本が公共図書館を席捲しているのを感ずる。彼らはいよいよは人海作戦に出たもようである。

『グルー文書の中で最も重要な日記と手紙を検討するにあたって、まず注意しなければならないことがある。第一は公刊された”Ten Years in Japan”とその邦訳本『滞日十年』は、グルー日記の原本のすべてをふくむものではなく、その分量は、原本のわずか十分の一にしかすぎないという事実である。約十分の九を、なんらかの事情でグルーは公表しなかったのだ。この点についてグルーは『滞日十年』の序言で次のように書いている。「・・・これは内密な、非公式な日記なので、私は多数の同僚、その他の個人の名前を発表することをさし控えねばならなかった。名前が知られるとそれらの人々が迷惑したり一身上の後累を被るようなことが起こるかもしれないからである」。』

『事実、日記原本と公刊本とを比較すると、グルーが実に多くの事実をスペースの関係で削除したり、あるいは意図的に隠したりしたことがわかる。グルーは何を公表し、何を隠したのか。とまれグルーは、先の序言引用につづけて、「しかし主要な物語は、この種の省略によって損なわれてはいない」と述べているが、それを額面どおりに受け取ることは危険だ。これが、第一に指摘しなければならない点である。第二に、われわれは「滞日十年」の刊行目的と刊行の時期に細心の注意をはらわなければならない。グルー日記を公刊する動きは、グルー帰国後まもなく始まったようだ。グルーは、このころ国務省顧問という公的な地位にあり、国家機密に属する事項をそのままの形で公表することは許されていない。さらに43年7月10日付けのサイモン社あての手紙を見ると、「滞日十年」を出すにあたって、グルーが1ページ1ページ注意深く原稿の削除、訂正をおこなっていることがわかる。』

『1944年1月15日、アメリカ国務省に極東局が設置され、中国派のスタンレー・ホーンベックが局長に就任する。しかし、ホーンベックは三ヶ月半で辞任、かわってグルーが極東局長のポストについた。いまやグルーを先頭とする日本派の発言権は強まり、彼らは国務省の対日政策に大きな影響力を行使するようになった。グルーの最大の関心事は、日本の降伏条件をいかに規定し、それをいかに日本政府に受諾させるかに移っていた。「日本版のために」を引用すると、「1944年合衆国での本書の出版は、二重の目的を持っていた。その一つは、1941年の戦争勃発を導くにいたった日本の趨勢と各方面の進展を明瞭にすることであり、その二は、米国の公衆に日本と日本人のより深く、精しい心象をあたえようと務めたことであった」とグルーは記している。「滞日十年」が出版されると、それは大きな反響をまきおこした。なぜならば、同書は個人日記の範囲を超えて、まさにアメリカの、来るベき対日政策の基本、とくに天皇問題に触れるテーマを提出していたからである。』


『Ⅴ 穏健派とは何か-牧野伸顕・樺山愛輔・吉田茂-』


『グルーの外交スタイルは、ひとこといってしまえば宮廷外交であった。東京滞在中、彼は日本の著名人をアメリカ大使館での晩餐会に招待したり、逆に、日本人の友人から夕食会や葬儀に呼ばれている。グルー日記に登場するそれらの人々を列記すると、牧野伸顕、樺山愛輔、近衛文麿、松平恒雄、広田弘毅、吉田茂、出渕勝次、幣原喜重郎、重光葵、新渡戸稲造などの名前をあげることができる。そのほかに、三井・住友などの財閥系の指導的実業家や海軍将官がグルーとの接触を保っていた。なかでも重要な情報源は、宮中側近グループであった。彼らはいずれも欧米に留学あるいは勤務した経験があり、品位と威厳をそなえ、謙虚で強要の高い紳士であるというのがグルーの穏健派イメージであった。』

『グルー日記を読むかぎり、彼が穏健派のなかでも最大の信頼を寄せていたのは、牧野伸顕(1861-1949年)であった。「滞日十年」には、牧野に対する賞賛の言葉がしばしば出てくる。グルーは天皇を穏健派の頂点に立つ人物と見ていた。牧野伸顕と並んで、グルーの信頼をかちえていたのは樺山愛輔(1865-1953年)である。当時、樺山はいく人かの日本人にとってあまりにも親米的すぎるといわれ、またアメリカ外交官からは「国際的お愛想屋」とか、「救いようのないおせっかい屋」と評されていたという。グルーは、そんな評判を知っていたが、むしろ黙認していた。樺山はアメリカ大使館にひんぱんに出入りし、グルーのよき情報源となり、また宮中派との接触を仲介したのである。』

『グルーが吉田茂の名前を徹頭徹尾隠そうとしたことはのちに述べるが、樺山もまたグルーにとって秘匿を要する人物であった。なぜなら、樺山は、グルーと宮中派をつなぐ仲介人と自他ともに任じており、事実、機密を要する情報あるいは高度な政治判断をくだすに必要な情報をしばしばグルーのもとに届けていたからである。「滞日十年」には、氏名を伏せて、「完全に信頼すべき情報源」、「著名なる日本の自由主義者」、「私の通報者」が語るところによると・・・と記している箇所がいくつかあるが、それは樺山をさしている場合が少なくない。』

『「樺山伯爵がやってきて、長時間話す。彼は私がアメリカへ発つ前に、現情勢にかんする直接のメッセージを届けるために首相と会ってきたところだった。樺山は国内政治について多くを語り、現在の日本で最も影響力のある人物は西園寺公と牧野伯爵であるといった。そしてこの二人は、他のいかなる先帝よりも穏健な考えの持ち主である現天皇の絶対的な信頼を得ているとも語った。(1935年7月5日付け)」』

『牧野といい、樺山といい、これら宮中派は、終始、天皇=平和主義者というイメージをグルーに植えつけ、穏健派こそが日本政治の安定をもたらす真の政治勢力であり、かつ平和的な日本外交の推進者であると力説した。それにしても牧野、樺山はいずれも高齢であって、グルーはいつまでも彼らに頼るわけにはいかなかった。日本の次の世代を背負う穏健派的人物、彼らとの継続的な接触をグルーは望んだ。その一人が牧野伸顕の女婿、吉田茂(1878-1967年)であった。』

『その頃、吉田は駐伊大使であったが、駐伊大使辞任の意向を持って日本に帰国したばかりであった。初対面以来、吉田はグルーに対して自己を英米派、穏健派の一人として位置づけ、その立場から日本を取り巻く内外情勢を率直に語った。また、日本の政界上層部とグルーとのパイプ約を買って出てもいる。初対面から約二週間後の1932年10月24日の日記に、グルーは早くも樺山愛輔と吉田茂の斡旋で幣原喜重郎と会見することができたと記している。さらに33年9月39日の項には、吉田の仲介でグルーは広田弘毅外相と親密な個人的関係をつくりあげることができたこと、会見の場所は外務省のかわりに広田の私邸をえらぶことにしたと書いている。しかしながら、右の事実は公刊本の「滞日十年」ではいっさい削除されている。グルーは、「吉田は率直に物がいえる数少ない友人の一人」とか「アメリカのよき友人で、私の良き友人」であると書いているが、その背後には右のような内密な情報ルートが設定されていたのであり、やがて吉田の存在はグルーノ日本での外交活動にとって不可欠のものとなっていくのである。』

『グルーが吉田とひんぱんに接触を保っていたのは、1932年10月から36年4月までと、39年1月ころから41年秋までであった。中間の36年から38年末まで、吉田は駐英大使としてロンドンに赴任していた。従って、この期間は、日記原本にも吉田の名前はほとんど出てこない。この全期間をつうじて吉田茂は樺山愛輔らとともにグルーと日本の政界上層部とのパイプ役を演じつづけた。日記原本を読むと、右の二人がグルーにとっていかに重要かつ信頼すべき情報源ないし仲介者となっていたかがわかる。』

『事例1-晩餐会のあとの長時間の談話の中で、吉田は近衛公が元老として西園寺公爵のいあとをつぎ、天皇・政府の緊密な助言者としての地位につくことになろうと語った。今回の近衛の合衆国訪問の主たる目的は、彼がいずれ埋めることになるであろう重要な政治的立場の準備のために、アメリカ的な思考や制度に慣れ親しむことにある、と吉田は私に語った。近衛は”親善使節”として、あるいは日本の宣伝のために行くのではない、自分の勉強のために行くのだ。したがって近衛の合衆国訪問の印象が楽しいものになることは最重要のことになるとも吉田はいって。この話を聞いて、これは政界最上層からの直接のメッセージであり、私が近衛のワシントン訪問の途を開いてあげれば、彼らはよろこぶに違いないと判断した。当然にも、吉田は著名な岳父牧野伯爵の考え方や、時によっては伝言をそれとなく示す。牧野伯は天皇に非常に近い人だ。さっそく、ハル国務長官に一部始終を書き送った。(1934年4月2日付日記)』

『事例2 前駐英大使吉田夫妻と松方翁、白洲次郎氏、ピアソン夫人、マックス・シュミットが晩餐会にやってきた。夕食後、吉田・白洲と、日本に対するアメリカ世論の動向とその理由について長時間話し合った。彼らはこの件をすべて首相(安部信行)に話すようにすすめた。会合の準備は二人がするという。それに対し、私は外務大臣の頭越しにそのようなことをやりたくないが、もし安部首相が望むのなら、もちろん、よろこんで首相に会い、すべてを率直に話すと答えた。さらに吉田と白洲は現内閣の組閣にあたって影響力を行使したとみなされる近衛公との会談をおこなうようすすめた。(1939年10月13日付日記)』


『穏健派』とは何者か。敵対国に国家最高機密情報をせっせと流す行為を、『リベラルな平和主義』と自称する究極の自己チュー集団である。多大な人命の犠牲の上に優雅な生活を送る人非人集団である。あるいは田布施村王朝の権益とそのおこぼれに与ることを最優先するエゴ集団である。シゲちゃんも終生、オールド・リベラリストを自認している。


『穏健派』とは何者か。秘密裡の和平工作と併行してヤラセ工作をしていたマッチ・ポンプ集団である。その中心人物は吉田茂と昭和天皇、日本史上不世出のコンビ、謀略の天才二人組である。

昭和天皇に上奏させたかの有名な近衛上奏文の仕掛け人は吉田茂である。歴代首相の上奏は、近衛に上奏させるためのダシに過ぎない。その後吉田は憲兵に自分を逮捕させ、40日で無罪放免させる。『穏健派』リベラリストという免罪符を自分に与えるためである。


『穏健派』とは何者か。ロンドン・シテイ―に巣食う連中と連携することを、穏健・平和主義・リベラルと称する者たちである。彼らは自分たちを押込め抑圧してきた世界に復讐をしているのだ。彼らにとって田布施王朝は絶対正義である。牧野伸顕は熱涙とともに田布施王朝の正当性を語っている。しかしこの絶対正義には隠さねばならない秘密が多すぎた。その秘密を守らされるために、民草が払った代償はあまりに大きなものであった。もうこの辺で手打ちにしてもらえないだろうか。

最後に近衛の致命的な失策とされる『国民政府を対手とせず』声明について、実際に近衛のために草案を書いていた中山優の説明を添付する。近衛文麿への追悼の文章からの抜粋である。


中山優『近衛家の悲劇』より以下抜粋。


『私が近衛公を間近く見たのは昭和12年の夏の頃、虎ノ門の霞山(かざん)会館においてであった。…私の同窓の先輩が、公のまえに鞠躬如(きっきゅうじょ)としている姿を見て、むしろ苦々しくすら感じたものである。また公爵その人が、いつも湯上りみたいな端麗な顔立ちで、何か天皇陛下の次といった超然たる態度であるのを見て、そもそもわれわれとは人種の違うような気持ちで何の関心も起こる余地はなかった。満州事変以来、中日領国の間には緊張のとけた日はなく、その間二回、私は二か月ずつくらい満州から北京、上海と廻って、現地の容易ならぬ雰囲気は体験していたことだし、当時外務省の情報部の嘱託をしていながら、外交関係の座視には評論めいたものを寄稿していた。』


『そういう頃のある日、近衛公が霞山会館で中国通を集めて忌憚のない意見を聴きたいということで私も呼ばれた。尾崎はどうしたものか、その日は卑屈に映ずるくらいに近衛公の前では精彩を欠いた話しぶりであった・・・私は何を言ったかはいまは思い出せぬ。しかし、絶えず中国問題を注意していた者には、すでに病膏肓に入っていることはよくわかっていた。何よりも禍根は日本政府の不統一にある。政府は軍部に引きずられ通しであるが、その軍部の内部が色々に分立し、したがってその頃になると、私のような者ですら、日本側の発表をそのまま信用することは出来ず・・・歴代も内閣が持て余したままの懸案を、如何に盛名に富んではいるにせよ、この45歳の貴紳に押しつけるというのは言語道断の無責任であると思っていたので、自然近衛公の立場の苦しさにも同情的気持ちが自然に出た点もあるかと思われる。この間近衛公は木像のように一語も発せずに聞いていた。』


◎軍部=昭和天皇として読んでほしい。吉田茂も軍部に強力なコネクションを持つ。


『とにかく、第一次近衛内閣時代に関する限り、私は数回、公のために草稿を書かされた。その一つに問題になった「近衛声明」がある。これについてはいまなお世間に誤解があるようであるから、私の記憶の許す限り真相を伝えておくことも無意味でないと思う。近衛公の対中国政策に関する重要な声明は二つある。その一つは昭和13年の1月8日に出された、「蒋介石を対手にせず」のあれである。あれは、その前の年、12年の暮れに、南京陥落の直後、ドイツの駐中大使トラウトマンが仲に立って中日両国間に和平交渉が行われた。その交渉が駄目になったときの用意にと言って半枚足らずの簡単な覚書程度のものを、秘書官が持ってきて字句を修正してくれということであった。』


◎「対手にせず声明」は単独に用意されたものではなく、トラウトマン工作失敗の時の用意として覚書程度のものがあった。修正を中山氏に依頼した秘書官というのは、内閣書記官長・後藤隆之介である。


『後日出た本で風見氏は、その原案は陸軍省が作ったと言っているし、矢部氏は外務省の起案で、後の北支臨時政府の王克利の要望により、陸軍が、これに便乗したものと書いているが、いずれにせよ、当時の空気では、陸軍・外務の間で打ち合わせたものであったに相違ない。それはどう考えても閣内会議rの申し合わせで、総理大臣が、正式に外に向かって発表するという文体のものではなかった。老練な広田外相の目の届く下で、そつがあろうとは思わなかった。当時まだ私は外務省にいたが、あれが発表されたときはハッとした。陸軍の主流の圧力がどんなに強かったにせよ、近衛公ほどの人が、あの一貫して中日間の親善を心から希望した人が、このような粗笨な発表をしたということは、抗すべからざる時の勢いというものであろうか。如何にも残念で、これが結局近衛公の命取りの種となった。近衛公を弱いという人は、何よりもこの問題を取り上げるであろう。』


『石原莞爾もその一人である。しかし、その強い石原氏でも、当時の圧倒的な陸軍の大勢を左右することは出来ず、かえって満州に左遷(?)されたことを思えば、近衛公だけを責めるわけにはいかない。否、たとえ辞句だけにせよ、私も、それを事前に見た一人である。多年中国問題に従事している一人として、私はもっと敏感にその機微を把握し、命がけででも、それを阻止するべきであったのである。当時の私は、それほど自ら任ずるものがなかったことを、いまにして自ら鞭打たざるを得ぬ。しかしこれやいわゆる近衛声明ではない。不用意に出されたこの対手にせずの声明を一年がかりで訂正したのが翌年12月の近衛声明である。とにかくそれから内閣改造が行われ広田外相が退陣し、宇垣一世老が外務大臣に就任した。私もそのころ外務省に行き詰まりを感じ、退職して浪人していた。』

『13年の3月頃には新京に建国大学が創立され・・・石原氏あたりの肝いりで私に教授としての招聘が来た。東京に未練がないこともないが、反面中国問題で日本の運命が決しようとするとき、半生を中国問題ですごした私としては、筆を捨てて、職場に実践せんとする意欲も動いてきた。私の担当は東亜政治論というのであった。大学の教授と言っても私には中日問題の解決に応分の寄与をする以外に専門の学も、また目的もない。・・・尾崎君が朝日をやめて内閣の嘱託となったのはこの前後と思う。10月になると、総理の代理として令息の文隆君が大陸の前線を慰問するから東道の役を引き受けてくれという依頼が電報で公から来た。』


『それとほとんど同時に、また航空便が来て、11月の明治節の頃に漢口が陥落する。中国の政局にも重大な変化が起こる可能性がある。そのとき総理の名で重大声明をやるから目を通してくれといって、簡単な要領が封入してあった。その他にまた、この趣旨に従って11月3日の明治節に日比谷の公会堂でやる総理の演説の草稿を思い切ってこれは自由に書けという依頼であった。この11月の正式声明及びその夜のラジオ放送は一言にして言えば、近衛内閣の癌となっていた「対手にせず」の声明を訂正し「日本の目的は日支満三国の提携による東亜新秩序の建設にあり、日本の精神を理解し、人的要素を新たにして来たり投ずるにおいては、重慶の国民政府といえども拒否するものにあらず」という筋のものであった。』


『この声明で「新秩序」という語句を使ったのは、前年近衛公が渡米したとき、第一次大戦当時のウイルソンの顧問であったハウス大佐が「日本がワシントン会議の体制を否定するなら、それに代わるわれわれの納得するようなニュー・オーダーを提示すべきだ」と言ったことにヒントを得たわけである。近衛公のための案文を私が書いたのは第一次近衛内閣の期間だけであって、その間このことは、誰にも知らさなかった。中野正剛氏は私のもっとも親しい先輩であったが、これにも黙っていたら、中野さんは知っていた。「どうして知られましたか」と尋ねたら「近衛さんが言っていましたよ」ということであった。』


◎ここに驚くべき『新秩序』のルーツが明かされている。中山優はもちろん近衛文麿は直に会っていたくせにハウス大佐が何者かも知らずに、『ニュー・オーダー』の何たるかも知らずに、言われたままをヒントにして『東亜新秩序』を掲げたのだ。


『旅行中、文隆君が上海で毎日の高石真五郎氏に出会ったら、「英国大使のカーが、誰か日本人の有力者に重慶を見せて日本人の認識を改めたい。安全は英国国旗で保証するから行かぬか、と言うが、僕にはその勇気がない、文隆さんが行かぬか」と勧められた。文隆君は捕虜になる覚悟で行こうと主張するのを、私は役目がら、ようやく引っ張って日本に帰った。あの時、侯爵夫妻も私の案内役を喜ばれたが、あのとき、もし文隆君の主張に従って二人で重慶に赴いたら、日本の今日の運命と異なったものが出来たかもしれぬ。』


『私には公爵は淋しい人に思われた。公の周囲にはいわゆるブレーンなるものがあり、昭和研究会関係がそれを占めていた。私はブレーンの中には入らなかった。私の関係は、むしろ文隆、護貞両君を挟んで個人的であった。敗戦後の21年春に上海から帰国した私は、それでも公の一年祭には出席した。礼儀の正しい千代子夫人は、わざわざ私の草蘆にも回礼に立ち寄られた。そして門の側に咲いていた冬のサフランの花を珍しいと言って、株を分けて行かれた。悲しみの影だに外面に出されぬことがかえって私を暗然たらしめた。』


◎この時文隆の消息も途絶えていたことを考え合わせると、中山優が千代子夫人の淡々といた挙措にかえって暗然たる思いを抱いたことに、中山のまともさを感じる。松本重治と牛場友彦の証言による千代子夫人の言動はあまりに冷酷で言葉を失う。松本重治と牛場友彦の対談もまったく非道である。


『皇室以外の特権階級が消滅するのは、歴史の当然の発展であろう。私は一度も、いわゆる上流の生活を美しいと思ったこともないし、終戦後の不如意にかまけて、毎年12月の慰霊祭にも、その後は失礼を重ねている。しかし、残された近衛家の人たちの幸福を祈る心は常にいっぱいである。』

私は皇室も例外ではないと考える。天皇も五摂家も田布施王朝も権力者による創作である。太田龍は縄文人の魂が好きだと言う。私も縄文人は素晴らしいと思う。そして太田龍は倭姫も孝明天皇も縄文魂を持っているという。しかし私は縄文魂と特権階級を作ることは矛盾すると思う。リチャード・コシミズも縄文時代が好きだという。ザ・オーダーに都合の良い情報操作をするRK先生は、原発利権のために全国を公演して回っているようだ。彼は前置きにご当地ネタと縄文時代の考古学的なスライドを見せ、そうやって聴衆を信用させてから、やおら低線量放射能は健康に良いというトンデモをぶつ。ウラン水を毎朝飲んでいると言って実演もして見せている。もはや問題外である。

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大久保利通と川路利良が西郷隆盛を死地に追いやった
神川武利氏著『大警視・川路利良ー日本の警察を創った男』を読んで思う


http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-shinomiya/ron/2011/kura004.htm

四宮正貴

  最近、大変興味ある書籍を読んだ。神川武利氏著『大警視・川路利良ー日本の警察を創った男』(PHP研究所)である。小生は日本近代史において今日的にも非常に重大なテーマであり未だに解明されていない一つの大きな「謎」があると思っている。それは、明治六年の政変及び西南戦争の原因と真相である。この「謎」には、近代日本警察の創設者として評価され警察内部で尊敬されている川路利良初代警視総監は、「西郷隆盛を死地に追いやった忘恩の徒だったのかどうか」という問題が付随する。

この書物は川路に対する批判や疑念を全面的に否定し、川路利良を高く評価している。



西郷隆盛の対韓外交論は侵略主義では断じてない

  神川武利氏は、「明治六年の政変」で西郷隆盛が下野して鹿児島に帰った時、多くの鹿児島出身者が西郷の後を追って帰郷したのに、川路が帰郷しなかったことについて、川路は「私情まことに忍びがたいが、國家行政は一日として休むことは許されない。大義の前に私情を捨て、あくまで警察に献身する」と考えたとし「私情を抑え、公務の重責を放棄することをしなかった。このときの川路の厳然とした態度は、…偉大である」と論じている。

  しかし、川路は果たしてこのようなきれい事で帰郷しなかったのであろうか。そもそも帰郷の原因は「明治六年の政変」およびいわゆる「征韓論」問題デある。

  神川武利氏は「征韓論」問題について、「征韓論は簡単にいえば、全國三百万人ともいわれる没落士族を救う道は、『外征以外にない』として士族の不満を、外にそらそうとしたということができる」と論じている。

  つまり、西郷隆盛の主張した対韓政策は全くの侵略論であったというのである。これは断じて誤りである。このような大誤謬を前提として、大久保・川路を正義とし、西郷の下野と帰郷を非難するのは間違っている。

  神川氏はまた、「征韓論を葬った大久保は、才腕の人で、日本史上最高の政治家といえるかもしれない。…征韓論に反対した大久保の勇気は、見上げたものというべきであろう」と大久保利通を称賛している。

  そもそも「征韓論」という歴史用語自体が大きな誤解を生んでいる。明治新政府の筆頭参議をつとめていた西郷隆盛は、決して朝鮮半島を武力侵略しようとしていたのではない。当時、韓國政府は、わが明治新政府に反感を持ち、國書の受取りを拒否するのみならず、「日本人は畜生と変わるところがないから今後日本人と交際する者は死刑に処す」という布告(今の北朝鮮でもこんな布告はない)を出したり、釜山の日本公館に準じる施設を封鎖したり、日本人居留民を迫害したり、韓國水軍が釜山沖で大演習を行った。

  西郷隆盛は、「韓國政府の姿勢を糺すために西郷隆盛が自ら使者として韓國に赴く。万一、韓國側によって西郷が殺されるようなことになったら、やむを得ず戦端を開く」というごく当然の外交交渉を行うべしと主張しただけである。

  西郷は閣議で「大使は、宜しく烏帽子(えぼし)・直垂(ひたたれ)を着し、礼を厚うし、道を正しうして之に当たるべし。今、俄かに兵を率いて赴くが如きは、断じて不可なり。」と論じている。西郷は征韓でも武力侵略でもなく、礼を尽くして修好にあたろうと主張したのである。

  西郷の主張及び目的は、「没落士族を『外征』によって救おうとした」などという侵略主義では断じてない。

  葦津珍彦先生は、「かれ(西郷隆盛)の説は決して好戦的でもなく威圧的でもない。十九世紀の列國外交が、常に兵力を用いて強硬外交をした事実とくらべてみれば、『論理的』にはるかに平和的で、礼儀正しい。この西郷の外交理論は、その後も変わっいない。これから間もなく西郷下野の後に(明治八年九月)、日本軍艦が仁川沖で朝鮮に対して発砲したとき、西郷は公然と日本政府の武力行使と威圧外交を非難している」(永遠の維新者)と論じておられる。



大久保が西郷の対韓外交に反対したのは権力奪取のためだった

  大久保利通や岩倉具視が、西郷らの対韓外交論に対して横車を押し反対したのは、西郷や江藤新平など(いわゆる留守政府)からの権力奪取のためである。岩倉・大久保にとって、彼らが洋行中に明治新政府が西郷・江藤らによって牛耳られてしまったことが我慢ならなかった。もし、「西郷遣韓」による韓國外交が成功したら、大久保らの出る幕は益々少なくなってしまう。だから西郷や江藤らの対韓外交政策に反対したのである。「内治優先」というのはあくまでも理由付けである。西郷らの主張を葬り去り、彼らを閣外に追い出すことによって大久保らによる権力奪取を目指したのである。

  大久保利通は、西郷らの対韓政策を「内治優先」を理由にして反対しながら、西郷下野後の明治七年には台湾出兵を断行し、明治八年には江華島事件を起こして武力による朝鮮政策を行っている。やむを得ざることとはいいながら、大久保の主張も行動も矛盾だらけであり「見上げたもの」などでは全くない。

  心有る史家は、西郷は東洋王道精神を実践し、大久保は西洋覇道路線を歩んだという評価をしている。

  また、西郷ほど内治についても功績のあった人はいない。西郷が筆頭参議を務めていた期間即ち大久保らの留守中に、封建身分制度の廃止・人権の確立・國民皆兵制・御親兵設置・廃藩置県などの諸改革が行われた。大久保らはこうしたことにも嫉妬したのである。西郷は保守反動では決してない。

  明治六年十月十五日、西郷の主張が閣議で大久保利通を含む満場一致で正式決定していたにもかかわらず、大久保と岩倉具視は謀略を用いてこれをひっくり返した。岩倉・大久保は、『五箇条の御誓文』に示されている「廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ」の御精神を蹂躙したのである。西郷隆盛は道義的にも政治的にも法律的にも何ら責められるべきことはしていない。(この謀略の詳細については平泉澄先生著『首丘の人大西郷』参照)
  さらに大久保と岩倉は西郷が、天皇陛下に直訴・上奏することを恐れ、遮断の策を講じた。西郷隆盛は、天皇陛下に背き奉ったのでは断じてない。岩倉・大久保らの陰謀によって排除されたのである。そして、恩人西郷隆盛を裏切り大久保の手先となったのが川路利良である。

  葦津珍彦先生は、「西郷及び西南戦争を戦った第二維新の戦闘者たちは、決して頑迷な復古主義者ではない。議會政治の実現を望んだ。西郷の対韓外交論が閣議で決定されたのに、大久保・岩倉が陰謀を用いてこれをひっくり返したことに抗議して、野に下ったのである。しかして『民選議院設立建白書』を提出したのも彼らである。」と論じておられる。

  神川武利氏の大久保・川路擁護論(賛仰論と言ってもいいかもしれない)は、いわゆる「征韓論」および「明治六年の政変」に関する誤った見方から出発しているのである。

  韓國の近代史家の多くは、「西郷の征韓論は日本侵略主義の原点である」などと主張しているという。そうした歴史問題に関する韓國側の一方的な日本非難に手を貸すような論議が、日本人しかも反日・反体制側ではない人(著者・神川武利氏は警察官僚)によって主張されていることは、まことに残念である。

  西南戦争の後に確立した西洋に学んで日本を近代化し独立を維持するという基本路線は全面的に否定されるべきではないが、日本の道統・皇道精神を隠蔽させてはならなかった。西洋に学ぶとはあくまでも良きところを取り入れるということであって、西洋になりきることではない。

  神川氏は、川路は西洋視察からの帰國の船中で、「『今の日本には何よりもまず内政を安定させて、藩体制から府県にかわったばかりの國内統一と安定を、完成させることが大事だ。そのためにも、その基盤となる警察組織を確立することが、何よりも必要なのだ。日本は今、西欧に誇れるようなものは何もないが、俺(おい)は警察だけは世界一流のものにしたいと思っている。きっとしてみせる』と言った」と書いている。

  川路が本当に「西欧に誇れるものは何もない」と思っていたのだとすれば、日本の道統を無視した考え方であり、西郷隆盛の考え方とは全く逆である。
  『大西郷遺訓』には、「廣く各國の制度を採り、開明に進まんと欲せば、先づ我國の本體を立て、風教を張り、而して後、徐(しづ)かに彼の長所を斟酌すべし、然らずして猥りに彼に倣はゞ、國體は衰頽し、風教は萎靡して、匡救すべからざるに至るべし」と書かれている。

  さらに神川氏はいう。「川路は無学の農民に対しては、民権というよりも撫育するという発想しかもてなかった。『警察は人民の養育者である。文明がまだ遅れている國の人民は、子は子でも最も幼い子供と看做さなければならない」と。

  これは人民蔑視思想である。しかもここでいう「文明」とは西洋覇道文明である。川路は漢学を重野安繹(やすつぐ)に学んだというが、いったい何を学んだのであろうか。
川路を称賛するために西郷・桐野を非難することは許されない

  小生は近代日本警察制度確立への川路利良の貢献を否定するものではない。しかし、川路を称賛することのために、西郷隆盛やそれにつき従った人たちを、誤った歴史認識で非難することは許されない。

  岩倉具視は、西郷下野後の大久保利通の専横ぶりに驚き、西郷隆盛など下野した五人の前参議たちの復職を提案した。大久保はこれを峻拒した。自分の独裁権力を守るためである。この事実を見ても、「大久保は西郷のことは信じていた」という見方は疑わしい。

  警察部内において、川路より上席の警保助であり、川路が海外視察中の警察を掌握していた薩摩出身の坂元純熙は、西郷の対韓政策を支持していた。

  そして坂元は、西郷復職運動を行った。神川氏によると、川路はあろうことか「ポリスは政治運動をすべきではない」と言ってそれに反対し妨害したという。このことは小生はこの書物で初めて知った。

  同じ頃、川路は、長州出身の槙村正直という京都府の大参事(府知事)の収賄事件が木戸孝允の介入によって「釈放」になったことを取り上げて、明治六年十一月十五日、「政治によって法をまげることは警察職員の士気にかかわるので納得のゆく説明をしてもらいたい」という建白書を提出した。神川氏は、このことについて「川路の法の権威を守ろうとする態度が明快になり、西郷に組しないことを、こういう形で警保寮内外に宣言したことになる」と書いている。

  これも全くおかしな見方である。西郷の下野・帰郷は違法ではない。むしろ西郷を下野に追い込んだ大久保が違法行為を行ったのである。また、川路こそ、大久保の政治権力を守り西郷の復活を阻止するために、西郷の復職を妨害するという政治運動を行ったのである。

  西郷復職運動に失敗した坂元純熙警保助が部下百人を連れて鹿児島に帰った後の明治七年一月十日、川路は警察内の指揮権を確立した。西郷隆盛の復職を妨害することによって自分の権力を強化した川路はまさに忘恩の徒である。

  さらに川路は、薩摩の黒田清隆による夫人斬殺事件を不問にした。川路に槙村をかばった木戸を批判する資格はない。長州閥も鹿児島閥も身勝手な私闘・権力闘争を行ったのであり、その中で川路は大久保の忠実な部下・子分として動いたということだ。

  ともかく、大久保・川路の行ったことは決して正義の行動ではない。自分たちの権力奪取及び維持のための公権力を利用してかつての同志・同僚・先輩たちを卑劣な手段で葬り去ったのである。大久保利通の人柄は怜悧・冷酷という言葉では追いつかない

  明治七年二月、佐賀の乱が勃発した。江藤新平前司法卿・前参議は、下野の後、故郷に帰っていたのだが、佐賀においても新政府の有司専制政治(大久保らによる独裁政治)に対する不満が渦巻いていた。大久保は、佐賀を挑発して乱を起こさしめ、政敵・江藤新平を粛清せんとして、岩村高俊という高圧的な人物を権県令として肥後鎮台兵を率いさせて佐賀に派遣した。この鎮台兵たちは佐賀城中の金品を盗取するなどの暴虐行為を行った。これに憤激した佐賀の士民は江藤を擁立して決起した。

  大久保は待ってましたとばかりに、司法と行政の分離を全く無視して、司法・行政の独裁的権限を得て佐賀に赴き、決起を鎮圧した。そして、司法卿・参議という國家の要職にあった江藤新平を、東京での正式裁判を受けさせず、佐賀で裁判を行い、江藤の恩顧を受けた河野敏鎌(とがま)をして裁判長に仕立てあげて、斬首の上梟首(きょうしゅ・さらし首)の刑に処せしめた。

  前年に行われた前述した槙村正直京都府大参事の汚職事件裁判すら、被告が政府高官であるというので、東京で裁判を行い裁判官以外に九人の政府高官からなる陪審員を設けて公正を期したのに、江藤は佐賀において無法な裁きを受けたのである。

  河野敏鎌は、江藤新平の書生をしていた人物で、江藤の推薦で司法省の官吏となり、江藤に命じられて西欧視察に序列筆頭の団員として参加した。しかるに、大久保の命により、佐賀の乱における法廷を主宰し、彼を抜擢した上司であり、恩人である元司法卿江藤新平を裁いて梟首の判決を下したのである。川路と全く同じの忘恩の徒である。また、河野を裁判長に任じた大久保の心事にも戦慄を覚える。

  梟首は、斬首に処せられた人の首を、晒場の獄門台に五寸釘で刺し止め三日二夜の間、人目にさらすという残酷な刑罰で武士に対しては行われなかった。また、明治六年に磔刑と共に残酷であるということで廃止になっていた。したがってこの刑罰は違法である。しかも大久保は、梟首された江藤の写真を見せしめのために全國の役所に配布し掲示させたという。のみならず、大久保は、江藤への判決の後、「江藤醜態笑止千万。人物推して知られたり」と日記に記した。こうなると大久保利通の人品骨柄は怜悧とか冷酷という言葉では追いつかない。残虐無比というべきである。

  この残虐なる大久保の行為に対して、同じ薩摩閥の黒田清隆すら三条實美・岩倉具視への書簡で「…旧参議等の刑戮に処せられ候儀、外國に対し、頗る恥ずべき御事と顧慮仕候…」と書いた。 さらに大久保と川路は、明治九年十月の萩の乱でも、卑劣な挑発工作を行って乱を起こさしめ、明治維新の功労者にして松陰門下の古参・前原一誠を死地に追いやった。その挑発工作とは、川路利良が派遣した密偵が、西郷隆盛の使いと称して前原を訪れ、「前原が立ち上がるなら西郷は協力する」と吹き込んだ。前原はそれを信じて決起を打ち明けてしまった。このことが大きく新聞に報道されて前原は決起せざるを得なくなったのである。

  神川氏はいう。「川路としては、前原が反乱をおこすものならば、早期にこれをおこさせ、迅速に潰して、鹿児島の不平士族とを連携を断つことが望ましい。二人の密使の派遣は、おとり捜査の初歩的なものに過ぎないであろう」と。         

  以上のような大久保・川路のやり口を見てくると、西郷隆盛及び私学校決起の原因となった川路利良による「西郷暗殺計画」は事実であったとしか思われないのである。

川路と大久保が西郷暗殺命令を下したのは九十九パーセント確実 著者・神川武利氏はいう。「私学校は、川路が警視庁から西郷暗殺団を鹿児島に送り込んだ、ということが明らかなれば、天下に対して政府の非を鳴らし、糾問する名分が得られる。これは川路に直接かかわる問題であり、川路が忘恩の徒として、後世に至るまで強い憎しみを郷党から受ける、深刻な問題である」「私学校幹部は、政府から仕掛けられたため、これに対してやむなく起ち上がったという、大義名分を作るため『東京獅子』(あずまじし)に眼をつけた」「川路についても、暗殺という卑劣なことを命じたとは考えられない。百歩いや万歩ゆずって、中原(注尚雄・警視庁密偵の一員)が暗殺の意思をもっていたとしても、大警視が歴史に残るような暗殺命令を明示するものではない。挙兵の名目に暗殺をもってきたのは、すべて私学校の謀略である」と論じ、中原らの自供は、すべて拷問によって半ば仮死状態になったときに捺印させたもの、すなわち事実上の捏造であると主張する。

  しかし、前述した大久保利通・川路利良の地方反政府勢力への卑劣な挑発行為と残虐な対処を見てくると、西南戦争だけは政府の挑発によって起こったのではないという主張は受け入れられない。

  大久保・川路によって選抜され、特別の任務を帯びた警察官であり、薩摩武士である警視庁密偵が、たとえ凄惨なる拷問を加えられたとしても、三十数人揃いも揃って「西郷を暗殺するために故郷の帰って来た」という嘘の自白をするはずがない。西郷暗殺の命令を受けていたからその通り正直に自白したのである。

  また密偵たちが嘘の自白をしたのなら、西南戦争終結後、政府によって処罰されたはずである。しかし、処罰されるどころか、密偵たちは知事・市長・公使などに出世している。少警部だった安楽兼道は四回も警視総監をやっている。また、小倉市長になった末広直方は、「暗殺命令は確かな事実であった」と証言したという。

  大久保利通は、明治九年三月には賞典禄千八百石(西郷と共に私学校費に当てていた)を鹿児島に送らなくなり、陸軍参謀局は精密なる九州地図の作製を開始した。そして、大久保と川路は、十年初頭に鹿児島に警視庁密偵を送り込んだのである。戦争準備であり挑発である。

  川路利良は、西郷が軍事力をもって攻め上ってきたら、「恩ある氏なるを以て、皆鉾を倒(さかしま)にして氏を迎ふべきに、却て氏を殺して恩を報ぜん事を望むもの、亦氏の恵む所にして、氏も亦歓ぶあらん」と書いている。

  さらに大久保は西郷軍決起の報を聞き、「この節事端をこのことに発(ひら)きしは、まことに朝廷不幸中の幸と、ひそかに心中に笑を生じ候くらいにこれあり候」と伊藤博文への手紙に書いている。刎頸莫逆の友といわれた西郷の切羽詰まった命がけの決起を「心中笑を生ずる」と書いた大久保という男はまさに冷酷無残な人物であり、信義も友情もあったものではない事を証しする。 大久保の後任の内務大臣・伊藤博文は次のように回想している。「西郷が兵を挙げて、王師に抗するなどと云ふことは、大久保公は思ひもよらなんだ。遺憾は、当時警視総監たる川路が、國情視察のために、大山以下の人々を薩摩にやったことだ。是は挑発となった。この挑発行為は実は川路の独断で、当時の政府は群雄割拠で、ことに川路と云ふ男は、すこぶる専横の男で、自分の権内の事は、なかなか人に相談すると云ふこともない」(伊藤公最後の南洲談)と語っている。このように川路という人は当時の同じ系列に属する人々にさえよく思われていなかったのである。

  また、木戸孝允は三浦梧楼に、「西南戦争最近の原由は、西郷隆盛等数人を利通及び大警視川路利良などが暗殺せんとしたに過ぎない。この暗殺事件のために戦争が起こり、死傷者およそ二万、人民が失った家屋財産は幾千万という凄惨な結果になった」と語ったという。さらに、勝海舟はアーネスト・サトウに「川路に関する限り彼は確かに暗殺を命令した。大久保も陰謀の共犯者であって明示的ではないにしてもとにかく命じたのである」と語ったという。(司馬遼太郎氏著『翔ぶが如く』による)

  川路と大久保が西郷暗殺命令を下したのは百パーセント確実とはいえないまでも、九十九パーセント確実であると小生は思う。 大久保利通は、自分の独裁権力維持と強化のために江藤・前原・西郷を挑発してこれを抹殺したのであり、川路は大久保の手先となって悪辣なる手段を用いてそれを成功させた男ということである。恩誼ある西郷隆盛を裏切って大久保の手先となり西郷を死地に追いやった川路利良はまさしく忘恩の徒であり、尊敬すべき偉大な人物だとは絶対に言えない。



大久保・川路は會津藩士の悲痛の思いを利用して自分たちの故郷を攻めさせた

  川路利良についてはもう一つ批判すべきことがある。それは警視庁抜刀隊のことである。田原坂の戦いで活躍した抜刀隊には旧會津藩士が数多く参加した。戊辰戦争の経緯から會津藩士は薩摩藩への恨みが深かった。反乱鎮圧に反乱者たちへ敵意を抱く者たちを使うのは、悪辣なる独裁者のよくやる手口である。共産支那の天安門事件でも大都會北京に住む人々に反感を抱く辺境の軍隊を使った。

  著者・神川武利氏も「政府は兵力不足のため、戊辰の戦役における會津人の憎悪を利用したことになる」書いている。

  佐川官兵衛以下多くの會津出身の士族は、田原坂で「戊辰の仇」「戊辰の復讐」と絶叫しながら戦ったという。涙なくして語れぬ悲劇であり残酷な歴史である。こういう汚い手口・冷酷なやり方を用いてまで、自分たちの故郷を攻め、大久保にとっては刎頸莫逆の友、川路にとっては大恩ある師・西郷隆盛を死地に追いやったのである。

  また、會津落城後に臥薪嘗胆の年月を送った柴五郎(当時陸軍幼年学校生徒)は西南戦争勃発の報を聞き、「芋征伐仰せ出されたりと聞く、めでたし、めでたし」と日記に記し、五郎の兄重五郎は「今日薩人に一矢を放たざれば、地下に対し面目なしと考え、いよいよ本日征西軍に従うため出発す」との手紙を書いて病身でありながら抜刀隊に参加して戦ったという。

  大久保・川路はこうした會津藩士の悲痛の思いを利用してみずからの故郷を攻めさせたのである。道義的に絶対に許されない行為である。西南戦争という日本國民同士の凄惨にして無残な内戦を作り出したのは大久保・川路である。

  鹿児島の「西郷墓地」に行って戦死者の墓に刻まれている年齢を読むと、多くは二十代・十代の若者である。大久保・川路の挑発謀略によっておこった西南戦争において、大久保・川路の後輩である鹿児島の多くの若者が犠牲になったのである。

内務省官僚・千阪高雅は「大久保暗殺の下手人は島田にして島田ではない。警護を怠った川路である」と極言した

  また、明治十一年(一八七八)五月十四日、太政官に参朝の途中の大久保利通内務卿が紀尾井町において誅殺された。これを紀尾井町事件という。明治第二維新運動上の大事件の一つである。
大久保を襲撃したのは、石川県氏族である島田一郎・長連豪(ちょうつらひで)・杉本乙菊(おときく)・脇田巧一・杉村文一、そして島根県士族浅井壽篤(としあつ)の六氏である。

  大久保が標的になった原因は、直接的には、彼が西郷隆盛や江藤新平を死地に追いやった後、専制的な寡頭政治を行ったこと、そして現実主義者・大久保利通が明治維新の理想を隠蔽した張本人・象徴的存在とされたからであろう。

  紀尾井町事件の影響のもっとも大きなものは自由民権運動の活発化である。つまり、薩長藩閥政治に対する反抗が活発化したことである。維新変革におけるいわゆる「天誅」の有効性は桜田門外の変及びこの紀尾井町事件を見て明らかである。

  國家最高権力者が東京のど真ん中で刺客によって命を奪われるなどということはあってはならないことであった。しかも、まだまだ政情は真に安定しておらず、大久保が狙われているという風評があった。また、真偽は分からないが、島田一郎は「不日(近いうちに)汝に天誅を加う」という通告書を大久保に送っていたといわれる。明治十一年三月二十五日、島田一郎たちが大久保を撃つべく金沢を出発したことを、金沢の警察が察知し、石川県令・千坂高雅(米沢藩出身)から「石川県氏族に不穏な動きがある」ということを内務省に電報で知らせてきた。

  内務省官僚がこのことを大警視川路利良に伝え、大久保の身辺警護を強化するよう要請した。しかるに川路は、「石川県人は因循(ぐずぐずしていて決断がつかない)にして実行力に乏しい、彼らはた何をか為さん」「加賀の腰抜けに何ができますか」と言って、警戒を強めなかった。川路のこのような加賀に対しての軽侮の念は、前田藩が関ヶ原の合戦そして明治維新戦争の時にどっちつかずの姿勢であったことによると言う人もいる。しかし、島田一郎たちは腰抜けでも因循でもなかったのである。

  川路利良は鹿児島に警視庁密偵送って西郷隆盛の武装蜂起を挑発して西郷を死に至らしめ、その反動として西郷信奉者の旧加賀藩士によって大久保利通が暗殺されたということで、紀尾井町事件の後、「西郷と大久保を死地に追いやったのは川路である」という川路の責任を追及する声があがった。特に川路に大久保の身辺警護強化を要請した石川県令・千阪高雅は「下手人は島田にして島田ではない。警護を怠った川路である」と極言して川路を罵ったという。

  川路もまた責任を感じ、また、枕頭に西郷など西南戦争で亡くなった人々や大久保の亡霊が立って川路を苦しめ、川路はついに一種のノイローゼ状態になったという。そして、海外渡航中に病を得て急遽帰國してすぐ、明治十二年十月十三日に逝去した。四十六歳であった。毒殺説もある。



「脱亜入欧」「文明開化」の論理の克服は大東亜戦争敗北と現代日本の矛盾の根本的原因にも関わる

  明治維新断行後、新政府が明治維新の理想とはかけ離れた政治を行っていると批判する人々が、政府を打倒し國家を建て直そうとする運動を起こした。これを第二維新運動という。

  明治維新政府は、欧米列強の日本侵略・植民地化を阻止して國家の独立を維持しさらに発展させていくことを目的として、「富國強兵」「殖産興業」「脱亜入欧」を合言葉にした軍事力強化・経済発展・科学技術振興を実現するために、西欧文化・文明の取り入れた。そしてこのことが、明治維新後の日本におけるもっとも大事な問題、即ち日本の伝統への回帰という明治維新の理想・命題といわゆる近代化との矛盾をもたらした。

  西郷隆盛・板垣退助・江藤新平らが下野した<明治六年の政変>の後、明治十一年に大久保利通が暗殺されるまでの数年間は、大久保を中心とした強力な権力政治の時代であった。大久保は、三条・岩倉という公家勢力を擁し、大隈重信・伊藤博文・川路利良を手足とし、西洋の文化・文明を大いに取り入れて、近代日本建設に邁進し、これに対抗する一切の障害を排除した。これを<有司専制政治>という。

  明治維新後の日本には、二つの道があった。一つは欧米の文化文明を輸入し欧米帝國型の國家として日本を建設する路線である。これを<西洋覇道路線>という。一つは、東洋の伝統的な道義観・文明観に立脚した國作りを行う路線である。これを<東洋王道路線>という。前者の路線を象徴する人物が大久保利通であり、後者の路線を象徴する人物が西郷隆盛とされる。

  東洋の伝統を否定あるいは軽視して西洋型の帝國としての日本帝國を建設せんするこの大久保路線すなわち<西洋覇道路線>は、大久保の死後、伊藤博文・大隈重信・山県有朋らによって継承される。これはいみじくも川路利良が「日本には西洋に誇るべきものはなにもない」と言ったというその精神である。

  さらに「脱亜入欧」「文明開化」の論理は、体制側・権力側の基本姿勢であっただけでなく、反体制運動にも踏襲されその思考の型となった。マルクス主義などの西洋革命思想による左翼革命運動がそれである。

  こういった近代日本の体制側・反体制側に共通する「脱亜入欧」「文明開化」の論理に対抗したのが、明治初期においては西郷隆盛に象徴される伝統護持派である。さらにその西郷路線を継承したのは、明治十四年(一八八一)福岡に創設された玄洋社などの在野の國民の側即ち草莽の士の愛國維新運動であり、明治二十一年(一八八八)に三宅雪嶺・志賀重昂・杉浦重剛らによって結成された國粋主義文化団体・政教社(雑誌『日本人』を刊行)であり、それに続く大正維新運動・昭和維新運動なのである。

  そして、「脱亜入欧」「文明開化」の論理の克服は、大東亜戦争の敗北とその結果としての現代日本の様々な矛盾の根本的な原因にも関わる問題なのである。
                ○

  著者・神川武利氏は、「城山の悲劇を聞き、川路は大恩人の死を、心から悼んで、深く深く頭を垂れるのであった」と書いているが、どのような文献・資料によってこのようなことを書かれたのであろうか。小生にはとても信じられない。

  川路利良の命日十月十三日が、殉職警察官・消防官を慰霊する「彌生慰霊堂」(東京北の丸公園)の慰霊祭の日となっている。川路は殉職したわけではない。病死である。近代警察創設の功労者として川路利良を顕彰することには異論はないが、西郷隆盛を裏切り死地に追いやった忘恩の徒・川路利良の命日を、治安維持・國民の生命財産安全確保のために身を捧げた方々の慰霊祭の日にするのは果たして適切であろうか。



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北朝系イスラエル・シメオン族VS南朝系ユダ・ガド族
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http://plaza.rakuten.co.jp/phoenix3/diary/200910260000/



大国主命に神聖な神殿を壊され、旧伊勢国(筑紫国)を奪われた猿田彦5世らは

二手に分かれて亡命移動しましたが、その一隊(約600人)は、日本海沿いに北上して

山陰地方の島根県に至り、同族ガド族の先遺隊であった鉄鐸・銅鐸文化の蘇民将来のクニ

牛頭天王(スサノオノ命)のユダヤ系ガド族とイッサカル族の連合移民団リーダー【出雲王朝】

へ参入しました。



次に、別働隊の遺民は瀬戸内海を東遷し、中国・四国・近畿にやって来て

各地に彼らのコロニーを作りました。彼らのうち、紀州・熊野に約300人が移動して伊国を建て

志摩半島に約300人が移動して新伊勢国(伊雑宮・伊勢神宮の元宮)を建てました。

さらに、奈良大和に約1300人が移動して鮭文化圏を整え、東テイ国(纏向遺跡が中心)を

建てています。なお、旧伊勢国の日代宮(太陽神殿)を建てたのは猿田彦2世であり

高句麗と同盟して大国主命や東表国と戦って敗れ、出雲に亡命したのは5代目でした。

また、志摩半島に新しい伊勢国を建てたのは6代目でした。

この時、猿田彦の別働隊(ガド族・イッサカル族・ゼブルン族等)は、瀬戸内海を東遷した途中

周防灘の徳山湾(遠石八幡宮の地)にコロニーを作りました。さらに、一行は楊井水道の

大畠瀬戸に至り、旧伊勢の日代宮(御神体は八咫鏡)を遷社して大畠・大久保の地、柳井市に

【天照神社】を建てました。また、瀬戸の浜辺に【磯の神】を祀る石上神社を建て、その元宮

として旧い周芳神社(柳井市日積の諏訪神社)が再建されましたが、この天照大神(内宮)の

神霊は、のちに志摩半島の伊雑宮(伊佐和宮)に遷社されています。さらに、旧伊勢国グループ

は、東遷の途中、瀬戸内海沿いの各地に、旧伊勢国遺民の一部ずつ割いてコロニーを作り

香川県の森広遺跡・奈良県三輪山の日代宮遺跡・大阪府の利倉遺跡と池上遺跡に

鉄鐸・銅鐸遺跡を残しています。

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ガド族と連合していたイッサカル族は、三輪山を中心に定着しました。

筑紫の三輪(福岡県朝倉郡三輪町)から移ってきた三輪氏などであり、彼らが祭祀を担いました。

なお、纏向の太田地区などには大田氏系の先祖も居住しました。

同じく連合していたゼブルン族は、葛城などに定着しました(葛城氏など)

5代目猿田彦の弟の系列が建国した東テイ国(奈良)と地方との交通・交易の状況は、

東テイ国(当時の奈良盆地・鮭文化の国)の出土品によって東海・北陸・山陰・河内・吉備・

関東・近江・瀬戸内海・播磨・紀伊と交易がされていたことが解っています。

東テイ国は鉄鐸・銅鐸文化で、水と火の祭りが三輪山を中心に行われていました。

三輪山は、縄文・弥生時代から旧い御神体で、本殿がありません。縄文港川人や

弥生苗族人の蛇信仰に彩られた【鉄と水稲】文化を育む聖山です。

東テイ国最後の王は【日本書紀】の兄宇迦斯(エウカシ)のモデルとして登場しています。

いわゆる【神武東征】の敵役としてでてくる人物です。

真相は、213年、高句麗から渡来した神武らによって筑紫の委奴国が滅ぼされた後

イスラエル北朝系大国主命の長男らが20年かけて奈良盆地に亡命して、

230年頃、ユダヤ南朝系東テイ国のガド族らを67年ぶりに攻撃し、

今度は根絶やしにしようとして徹底的に攻撃した、それを【神武東征】神話にする替えて

【日本書紀】の【兄宇迦斯(エウカシ)退治物語】としたと考えられます。

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204年、燕王・公孫度(大物主命)崩御。長男康(事代主命)が即位し

205年には燕王・公孫康が楽浪郡南部を分割し、帯方郡(漢山ソウル)を設置しました。

209年、高句麗の山上王(延優)が長兄発岐と対立し、延優は丸都城に新国を建てました。

そのため、発岐は別行動をとって自身の王国を建てましたが翌年、発岐王は新たに立志。

高句麗出征軍として南下していったため、後に、その長子が涓奴部遺民を率いて新国と

合流し、高句麗本国を強化したといいます。

210年、発岐は立志して倭名を五瀬命と名乗り、東扶余のウガヤ王である52代ケイ須と

共に【北倭】(東夷諸族の残留兵団)を率いて南下を始め、九州博多に上陸して橋頭堡を

築きました。これを【記紀】は【神武東征】の始まりとしています。

この時、扶余王ケイ須(神武)と同盟していた公孫康もチャム人(胡人)を率いて九州へ渡来し

奴国(阿多半島)及び日向西都原(宮崎県)に投馬国を建てました。

この三豪族は、同盟して、東表国の領地内に築いた橋頭堡を守るためと、

併せて約50年前(163年)に旧伊勢国を追われた猿田彦らの仇を討つため、大国主命(シメオン族)

たちの委奴国を攻めました。210年、神武は橋頭堡から攻め込み、同時に公孫康は南方の

有明海から上陸し、相呼応して委奴国を挟み撃ちしました。


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神武らに敗れたシメオン族の土師氏らは博多湾志賀島から乗船して出雲へ逃れ

先住していた猿田彦らのガド族及びイッサカル族を駆逐して新しい出雲王朝を建てました。

土師氏らは新しい四本柱の大社を建て、その祭神を大国主命とし、併せて八百万の

神々(ユダヤ12部族の神々+倭王たちの氏神)を祀りました。

この時、約半世紀前の163年以後、出雲に六本柱の出雲大社を建てていた猿田彦のガド族らは、

213年、再度シメオン族に追われたためイッサカル族を伴って中国・四国・近畿・諏訪の各地に

移り居住しました。その後、彼らは志摩半島に先住していたゼブルン族と協定して三重県の地

に新伊勢国を建てています。委奴国にいた別のユダヤ人(シメオン族・レビ族・ルベン族)及び

苗族らの遺民は急遽博多から乗船して瀬戸内海を東遷しましたが、その途中、一行のうち

500人は古周芳の徳山湾(ガド族の旧伊勢社跡)に滞留して、秦人たちの分国を建てました。

そのため、この地に先住していたガド族たちは、簡単に追い払われてしまいました。

すなわち、このあと豊の国(大分県)から宇佐八幡宮の神霊を奉じて亡命してきた東表国の

エブス人(宇佐氏・中臣氏)の約2000人とヒッタイト人蘇我氏の約1000人が一団となって

渡海し、徳山湾の旧伊勢社跡に合流して、遠石八幡宮(宇佐八幡の分霊を祀る旧石清水八幡宮)

を建てました。彼らに相協力して古周芳の徳山湾一帯及び大畠瀬戸の石上神社の領域(楊井水

道)を占領し秦王国の分国(周芳国)を建てたのです。この時、古周芳の諏訪神社(柳井市日積)

の【たたえ祭】(大畠瀬戸を渡海する神事)が猿田彦一族の亡命とともにオロッコ人・縄文人の故郷

信濃の諏訪神社(古上社)へと伝承されていきました。それが今日まで伝わる長野県諏訪神社

上社・下社の【たたえ祭】のルーツとされます。すなわち、大畠瀬戸の荒い海が穏やかに湛え

られたとき、対岸の纏向日代宮(大島町の大多満根神社)へ御供物船が渡御されていました。

その神事はガド族やゼブルン族が直伝したものでした。


この旧い神事と地名は、石神神社(大畠町のシカミ)遷移して天理市の石上神社(布都御魂剣や

七支刀などの神宝を祀る大社)に至り、さらに石神(シャクガミ/信濃の諏訪神社)→石神井(練馬

区)へと東遷し、伝承されていきました。


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<追跡!真相ゼロtoZ>
~ゼロの意味する原点の意味の原因を探り
 定量的、科学的にZの行き着く先の真相に迫る~

5 地球温暖化詐欺:異常気象の原因は気象変動技術の成果

2013/9/28 地球温暖化詐欺:異常気象の原因は気象変動技術の成果
追跡 真相 ゼロtoZ 地球温暖化詐欺 異常気象 原因 気象変動技術 成果






服部順治 ‏@JunjiHattori 9月27日
あーあ、またIPCCは世界に地球温暖化のウソを広げるだろう!それにしても小沢バッシングを進め、米との約束どおり民主党を作り潰したユダ鳩山由紀夫(三井財閥)も原発推進だったな
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/843
地球温暖化詐欺
http://www.youtube.com/watch?v=P--pmZpwYEY …




服部順治 ‏@JunjiHattori 9月27日
賢明な判断だな!空気を使った振り込め詐欺。さすが金融マフィアは空気も金のネタにする! @ototoi_kiyagare 【さよなら温暖化詐欺】国連の嘘に金払うのはもうウンザリ?オーストラリア、気候変動省(日本の環境省に相当)を廃止へ

http://p.tl/hsmP


服部順治 ‏@JunjiHattori 9月27日
小出先生も二酸化炭素は生命に必要な物質と温暖化詐欺に警告 @ototoi_kiyagare 温暖化詐欺の手口…誇張がより大袈裟に http://p.tl/OT_Z IPCC:5次報告書公表へ 温暖化の状況より確度高く http://p.tl/PFBe


服部順治 ‏@JunjiHattori 9月27日
プッと吹いた!何で経済専門家が温暖化や気候変動について語るんだよ!あっ、そうか、温暖化が金儲けのネタになるって事で話してるんだ!「引き返せない温暖化、気候変動への適応を真剣に考える時」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20130924/253729/
http://www.youtube.com/watch?v=P--pmZpwYEY …


服部順治 ‏@JunjiHattori 9月27日
えっ、温暖化の北極海の氷を守るため?ふー、グリーンピースも金融マフィアの左手に過ぎないか!騙されないように
@nihonnboyaki ロシア捜査当局がグリーンピースの抗議船を拿捕!ロシアの油田開発を妨害した活動家30人が逮捕される!
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130925-00000158-jij-int



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引き返せない温暖化、気候変動への適応を真剣に考える時

http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20130924/253729/

今年の夏は非常に暑かったですね。高知県四万十市で国内観測史上最高の41℃を記録したのはびっくりしました。 気象庁は、長期的な気温の上昇や猛暑日の増加は二酸化炭素などの温室効果ガスの増加に伴う地球温暖化の影響が現れていると指摘しています。

陸上だけでなく、海上の異常気象にも注意


足達英一郎(あだち・えいいちろう)氏
日本総合研究所理事・ESGリサーチセンター長。一橋大学経済学部卒業後、民間企業を経て、1990年に日本総合研究所に入社。経営戦略研究部、技術研究部を経て現職。企業の社会的責任といった視点から産業調査、企業評価をてがける。金融機関に対し、社会的責任投資や環境配慮融資のための情報を提供する。



足達:そうですね。企業の方とお話しする際、気温上昇を2℃以内に抑えようという「緩和策」よりも、最近ではもっぱら、気温上昇を想定して気候変動の影響に対処する「適応策」を話題にしています。こんなことを言うと、「緩和策に力を入れなければ、気候変動の影響はより大きくなってしまう」と、緩和策の推進を訴える方からは怒られてしまうのですが……。

猛暑やゲリラ豪雨など異常気象の発生が相次いでいます。日本の気候が以前とはがらりと変わってしまったように感じます。海外でも、2011年のタイの洪水で日系メーカーのサプライチェーンが打撃を受けたことが記憶に残っています。

足達:米国では昨年12月にハリケーン・サンディが米国東部を襲い、ニューヨーク証券取引所が2日間ストップしました。今年5月には米国南部のオクラホマ州で巨大竜巻が発生し、多数の死者が出ました。温暖化と竜巻には因果関係がないという分析結果が出ているようですが、ハリケーンの巨大化には温暖化の影響があるという合意ができつつあります。

 日本ではあまり報道されていませんが、今年7月に日本の海運会社のコンテナ船がインド洋で沈没する事件がありました。原因を究明中なので軽々なことは言えませんが、海運業界の方のお話を聞くと、最近は海上の異常気象も以前よりも激しくなっているそうです。陸上の異常気象だけではなく、海の異常気象についても、もっと意識を高めなくてはならないかもしれません。


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気候変動兵器 HAARP

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10596780499.html

西日本、九州を襲った激しい豪雨、世界中の気候が年々激しくなっていく。
地震やハリケーンの規模もどこか不自然に感じないだろうか?
まだ日本は台風シーズンに入っていないのにである。

参考ビデオ
http://www.bibliotecapleyades.net/sociopolitica/sociopol_weatherwar14.htm

私たちは今、見えない敵と戦う時代に生きている。
戦争はかつての古典的な民族と民族の対立や、
国対国での争いであったものではすでになくなっている。

実際にミサイルが飛んでこなければ、
まだ戦争が始まっていないと思うことはできなくなっているのだ。

戦争は想像を絶するくらい、洗練されているらしい。
自然災害に見せたり、病気に見せれば、核を落とすより被害を与える事が出来る可能性がある。
原因がわからないので敵側は攻められる事もないのだ。
私たちはやられるばかりである。

それはハイテクノロジーの兵器だけではない。
私たちの思考をコントロールするというようなこともやっている。
そのうちマイクロチップを体に埋め込まれて、リモートコントロールされるロボット人形のようになってしまうのかも知れない。

すでにペットから始まり、医療として、安全対策として、じわじわと勧められている。
最近あったニュースでは、チップを自ら体に入れた医者がウィルスに感染したというものがあった。

チップはコンピューター同様いつでもウィルスからの攻撃があっても不思議ではない。
その度にウィルス対策をしなければならないのだ!

さぞウィルス対策ソフト会社は儲かる事だろう!

http://topics.jp.msn.com/digital/gizmodo/column.aspx?articleid=313711

そして私たち人類の敵が国賓としてやって来て、ニコニコと大歓迎されたりもするのである。

世界中で起きている、地震、津波、台風、噴火、日照りなどの自然災害の多くは、もしかしたらHAARPのせいかもしれない。
そう指摘する人々は多い。以下はそう主張する海外のサイトのほんの一部である。

http://www.lifeinthemixtalk.com/?p=9553

http://www.reformation.org/joevialls.html

この見た目も恐ろしいアンテナで高周波や低周波を発生し、イオン層、電離層にぶつけることにより、イオン層に熱を貯めたり、雲を下から上空に押上げたり、ジェットストリームの通常の流れを変えたりなどして気候を大変動させる事が出来るという。

$akazukinのブログ

台風の規模を大きくしたり、どこの地域を狙うか等という事も可能なのだ。

HAARPは巨大な破壊力を持つ兵器となる可能性が非常に大きく、実際にもう使用されているのではという事だ。
その破壊力の可能性は無限大のようである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/高周波活性オーロラ調査プログラム

$akazukinのブログ

$akazukinのブログ

911などでも解るように、
軍部というものはその国の人間を守ってくれるというような考えは変えた方がいい。
ケムトレイルをまき散らしているのはいった誰なのだ?

$akazukinのブログ

どれだけの予算が使われているのかも想像ができない。
全ては自然を破壊し人類の大量人口削減計画のためだろう。
ゴイムは死ねということなのだ。
(ゴイムとは表向きは非ユダヤ人という意味だが、ユダヤ人のスラングで家畜の事)

2010年6月26日の朝日新聞、be on Saturdayにはジョン万次郎の記事が載っていたが、
夕焼けの海岸の写真が大きく記載され、そのキャプションには「上空には飛行機雲」と書いてある。
これは明らかに「ケムトレイル」なのだが、朝日新聞はそれを知らないらしい?

参考ビデオ

http://www.youtube.com/watch?v=zb25cHqUD5A

軍部というものは巨大なモンスターにしてはならない。
軍事秘密等という理由で、どんな兵器や実験をしているのか知れたものではない。

またハリウッドの映画に戻ると、
以前、ブログで説明したように、映画は「ゼウス(木星)」をキーワードに明らかに何かを主張している。

ゼウスは「神の中の神」であり、雷を手に持ち、これを武器にしている。
天空を支配する神として、鷲もシンボルである。鷲もフェニックスも同じ事である。
鷲はアメリカや日本も含め世界中の軍人の勲章などにも使われるシンボルである。
このシンボルは世界共通で、不思議な事に戦時中、敵国の将軍などが同じマークのものを身につけていたりするのだ。
しかしこれは何の不思議でもない。
結局同じエリートたちが支配しているという事なのだ。

サンダーストライクオペレーションとは「ゼウス」によるものだ。
だから雷が武器として使われるのだ。

雷はHAARPで作り出す事が出来る。
連中は神として振る舞っている。

参考のビデオはそう主張する。

激しくなる気候は自然のものか、そうではないのか、
(地球温暖化は言い訳をするのに利用されていないか?)

雷については未だよく解っていない部分があり、
それがどう始まるのかというのは特に解っていないらしい。

ビデオでは研究者が約1マイルの長さの針金を付けたロケットを雷雨の中に発射する実験を行う。
そして雷を起こすのだ。
ビデオに映っているのは実際の映像である。

雷電がいかに現代の強力な兵器になる事が出来るか主張している。
それはターゲットのコンピューターシステムを破壊したり、停電を起こして都市の機能を麻痺させる事も出来る。

これはアメリカだけではなく、ロシアなども使用しているらしい。

(ここでもゼウスのように敵を打つ事が出来ると言っている。)

イルミナティはニコラテスラの発明した技術を使用し、地球の環境を破壊している。

ThunderStrike Operation、人工に雷を起こして攻撃する、これはハープHAARPとも関係している。

そしてなぜこのような事がplaystationなどのゲームと関係があるのか?
ゲーム、映画産業等との関係はシリアスに受け止めるべきだ。

$akazukinのブログ

このビデオを見ていると、地球温暖化CO2削減などというのは巨大な詐欺に見えてくる。

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6 JR西日本,JR北海道へのマスコミバッシングに見る裏の背景

2013/9/28 JR西日本,JR北海道へのマスコミバッシングに見る裏の背景
追跡 真相 ゼロtoZ JR西日本,JR北海道 マスコミバッシング 見る 裏の背景





福知山線事故:白い車の謎 / 写真解析

http://www.asyura.com/0502/nihon16/msg/722.html



▼ 福知山線事故:白い車の謎/写真解析 ▼

4月25日の福知山線脱線事故の初期報道では、「車が電車に衝突した」というものが多かった。
しかし、この内容は同日の昼過ぎには無かったことにされてしまう。

一連の初期報道では毎日の久田宏記者の『車両が左に傾いた後、ドカンという音とともに強い衝撃があり、体が吹き飛ばされた。』という証言が興味深いが、この記者の乗車車両が当初『7両のうち真ん中付近の車両』とされていたものが、『1両目の車両に乗っていた同記者によると』と変更されており、この証言自体の信憑性を危うくしてしまっている。
この久田記者の、『車両が左に傾いた後、ドカンという音とともに強い衝撃があり、体が吹き飛ばされた。』という記述が正しいのならば、事故を起こした快速電車は、脱線したか、しかかった直後に何らかの物に衝突したということになる。
まずは初期報道を収集していたブログから、「車」が報道から消えるまでを転載。
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http://plaza.rakuten.co.jp/HEAT666/diary/200504250000/

▼尼崎で電車脱線、マンションに激突

JR西日本に入った情報などを総合しますと、25日午前9時20分頃兵庫県尼崎市潮江4丁目で、JR福知山線の宝塚駅発の上り快速電車が車と衝突しました。

後略
(25日10:30)
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/ (現在記事は無し)
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▼JR電車事故:
脱線、横転してマンションに激突 50人死亡、300人以上けが

25日午前9時20分ごろ、兵庫県尼崎市潮江4のJR福知山線尼崎−塚口間の第一新横枕踏切(警報機、遮断機付き)で、宝塚発同志社前行き上り快速電車(7両編成、乗客約200人)とワンボックス型の乗用車が衝突。電車の1〜3両目が横転した。横転した車両は進行方向左側の線路脇のマンションに突っ込み大破した。横転した車両には乗客が取り残されたため消防隊員らが救出作業を行っている。

中略

乗車していた毎日新聞経済部の久田宏記者(30)は「突然の衝撃でふっとばされた。何が起きたか全く分からなかった」と事故の瞬間を語った。

7両のうち真ん中付近の車両に乗っていた同記者によると、車両が左に傾いた後、ドカンという音とともに強い衝撃があり、体が吹き飛ばされた。

後略
2005年4月25日

http://www.mainichi-msn.co.jp/kansai/news/20050425org00m040007000c.html
この記事のリンクは現在生きているが、『宝塚発同志社前行き上り快速電車(7両編成、乗客約200人)とワンボックス型の乗用車が衝突』という記述が無くなり、久田記者の乗車していた車両が「一両目」に変更されている。

『 乗車していた毎日新聞経済部の久田宏記者(30)は「突然の衝撃でふっとばされた。何が起きたか全く分からなかった」と事故の瞬間を語った。
1両目の車両に乗っていた同記者によると、車両が左に傾いた後、ドカンという音とともに強い衝撃があり、体が吹き飛ばされた。』
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▼脱線と白い車の関係は?

http://blog.livedoor.jp/ayaka222a/archives/20068209.html

電車は脱線後に車に衝突 兵庫県警
【10:08】 兵庫県警によると、電車は脱線後に車に衝突したという。

脱線が先と兵庫県警 駐車中の乗用車に衝突
【11:21】 兵庫県警によると、カーブで電車が単独で脱線、その後、駐車場に駐車中の乗用車に衝突した可能性が高いという。

車衝突との関係分からず JR西日本
【11:36】 JR西日本によると、脱線と自動車衝突との前後関係は「分からない」としている。

25日午前9時20分ごろ、兵庫県尼崎市潮江4のJR福知山線尼崎−塚口間の第一新横枕踏切(警報機、遮断機付き)で、宝塚発同志社前行き上り快速電車(7両編成、乗客約200人)とワンボックス型の乗用車が衝突。電車の1〜3両目が横転した。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kansai/news/20050425org00m040007000c.html

福知山線は、宝塚−尼崎間の上下線で運行を見合わせている。電車は脱線後、ワンボックス型の乗用車を巻き込んだ可能性があるという。
http://www.mainichi-msn.co.jp/kansai/archive/news/2005/04/20050425ddf001040001000c.html


◆脱線原因一時食い違い−国交省と兵庫県警

 兵庫県尼崎市でJR福知山線の快速電車が脱線、多数の死傷者が出た事故で、脱線原因について「乗用車と衝突したため」とする国土交通省と、「列車は単独脱線した」とする兵庫県警で、一時見方が大きく食い違った。

 国交省は当初、電車が踏切で乗用車と衝突して脱線したと説明。午前10時半ごろのJRからの報告によるものだった。同省の担当者は「現時点で分かっていることを広報した」としていた。JR西日本は約1時間後の記者会見で「脱線原因は不明」と後退した。

 一方で兵庫県警は、現場での調査で、踏切内に衝突の跡が見つからなかったことから、踏切の約200メートル手前のカーブで電車が単独脱線、近くの駐車場の車を踏切まではね飛ばしたとの見方を示していた。
http://www.sanspo.com/sokuho/0425sokuho012.html

JR福知山線で脱線横転 車と衝突、けが人多数

 兵庫県警に入った連絡によると、25日午前9時20分ごろ、兵庫県尼崎市久々知西町の尼崎−塚口駅間のJR福知山線で快速電車が自動車と衝突して横転して脱線。1両が線路脇のマンションに激突した。
兵庫県警や尼崎市消防局によると、電車横転事故によるけが人は50−60人に上るという。
[04月25日 10:11]
http://www4.oita-press.co.jp/news.cgi?D=CN20050425&ID=CN2005042501000686.1.N.20050425T101159&J=Main&UP=20050425T101159

JR西日本に入った情報などを総合しますと、25日午前9時20分頃兵庫県尼崎市潮江4丁目で、JR福知山線の宝塚駅発の上り快速電車が車と衝突しました。
(25日 10:30)
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn/20050425/20050425-00000011-jnn-soci.html

快速電車は脱線後、線路脇の乗用車にも衝突。さらに1両目が線路東側のマンション「エフュージョン尼崎」(9階建て、47室)1階に激突した。
現場は、右に急カーブする地点。JR西日本によると、脱線時に車と衝突した形跡はなく、単独事故と見られる。(04/25 13:20)
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20050425p103.htm

25日午前、兵庫県尼崎市潮江で起きたJR福知山線の快速電車脱線事故は、列車は乗用車と衝突する前に脱線していた可能性が高くなった。JR西日本などは事故原因の調査を急いでいる。
2005年04月25日13時37分
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1101630/detail

「快速は車と衝突したため脱線したのか」。村上部長は「これからの調査。確認できていない。車の存在は事実だが、脱線との関係は不明だ」と答えるのが精いっぱいだった。
同社は午後0時35分に、事故情報の第4報を報道陣に配布したが、当初、「(電車が)自動車と衝突し」とあった記述を削除した。
2005年04月25日14時06分
http://www.asahi.com/national/update/0425/OSK200504250069.html
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また、このブログによると、

白いワゴン車の持ち主は、テレビ(29日、朝のフジテレビ)で「事故の約3分前に車を駐車場に駐車した」と言ってました。
(2005年05月01日 06時22分11秒)

という。

私も4月28日、17:30過ぎに8chのニュース番組を見てたら、この大破した車の持ち主という人がインタビューを受けているのを目撃した。

名前は、畠 利明氏。
電車が突っ込んだマンションの3Fに住んでいて、今は「夜間は警察の要請により近くのホテルに避難している」とのこと。
例の車は『駐車場に置いてあって被害にあった。』と言っていた。
この人は日本名であり、事故当初に出回った、

『235 名前: 番組の途中ですが名無しです 投稿日: 2005/04/25(月) 09:58:49 ID:DgvtpfZj0 BE:128371695-#
電車横転事故、けが人多数 JR福知山線
【09:53】尼崎消防によると、兵庫県のJR福知山線で電車に自動車が
衝突し電車が横転、けが人が多数出ているもよう。自動車を運転していた
李嘉晃さんは即死。 』

という未確認情報とは食い違う。
また、この人は、見た限りではまともな人に思え、もう一人のインタビューを受けた人が自分の部屋の資産価値が下がるのと心配していたのに比べ、この人は「多くの人が亡くなった上で幸せそうに暮らすことなど出来ない」と答えていた。

興味深いコメントとして、『警察から所有している車が誰か(第三者)に勝手に運転されたということはないか?』などと聞かれて心外という感じのコメントをしていたのが気になった。

この日の10時からのニュース・ステーションでは、この車が脱線した電車にはね飛ばされるCGが放映されていたが、このCG映像では車は線路際に頭を【線路とは反対に向けて】線路と直角に停めてあったように表現されていた。これは、畠さんの証言を元に作られたのかもしれない。

ところが、上記のブログに集められた大破した「白いワゴン」の写真をよく見ると、このCGのような停め方では、壊れ得ないような壊れ方をしているのがわかる。




この白い車は畠さん所有のものと思われるが、地上の駐車場には事故当時この一台だけがあったと思われる。
上空からの写真では、車の前部に較べて後部がひどく押しつぶされて車幅が狭くなっているのがわかる。
屋根のパネルは左側が持ち上がっており、運転席から後ろにかけて右横からインパクトがあったような壊れ方をしている。



車の左側は、右側に較べて損傷が激しくなく、ボンネットのパネルも左に落ちていることから、この車は運転席から後部にかけて最大のインパクトを受けたと推測できる。
もし、この車が電車の脱線初期に先頭車両と衝突したのならば、電車の正面が車の右側面運転席から後部にかけて最初に当たったのではないかと思われる。

先に述べたニュース・ステーションのCGでは、この車は駐車場の線路際に【後部を線路に向けて】停まっていたように描かれていた。
しかし、この状態で最初のインパクトを受けると、この車は最大の損傷を【左側の側面】に受けることになる。
写真で見る限り、この車は【右側の側面】に最大の損傷を受けており、このような状況になるためには、【前部を線路に向けて】停まっていなくてはならない。
▼ 停車位置の謎 ▼
事故直後と思われる現場上空からの写真



現場上空からの写真を見る限り、地上には駐車場区画が6もしくは7つあったように見える。
車が側面から電車のインパクトを受けたと考えると、この車は少なくとも右の加工写真の中のP1からP3もしくはP3のマンション側隣の 区画に、【線路とほぼ90度の角度で】停まっていた、という可能性が高い。
ところが、よく見るとこのP1からP3の駐車区画には、線路に近い方向に【車止め】があったように見える。
このことから、通常はマンションの住民はこの区画では、車の【後部を線路に向けて】停めていたと思われる。

これは、ニュース・ステーションのCGとも一致するし、多分、畠さんもこのように証言しているものと思われる。 にもかかわらず、実際の車の損傷は【右側から】が最もひどく、しかも前部よりは後部にかけてよりインパクトがあったように見える。
このことから、脱線時にこの車は、前部を線路に向けて、加工写真の赤い三角内のかなり線路側にあったという可能性が出てくる。

そうでなければ、車の前部のエンジンルームや左側面がもっと損傷を受けているはずだ。
▼ 奇妙な経緯 ▼

この車は、所有者が「事故の約3分前に車を駐車場に駐車した」と言っているにもかかわらず、脱線してきた電車と衝突したときは180度向きを変えていたということなのだろうか?

事故を起こした快速電車の一本前の電車はなにごとも無く現場を通過しており、それも3、4分前だったと言われている。
この「3分間」になにが起こったのだろうか?

この白い車は、事故当時本当に停車していたのだろうか?
私は、事故当日の25日の15時過ぎのNHKの報道で、白いトレーナーを着た男が顔を写さない状況で「(事故を)ずっと見てたけど、(置き石などの)不審なものは絶対見なかった。断言する。」というようなことをやけに断定的にしゃべるのを見た記憶がある。
これは他にもインタビューを受けていた一般の人と較べて奇妙に突出した印象を持ったが、この男の消息はその後一切表に現れていない。

また、警察はこの車が第三者によって、事故当時運転された可能性があることを、所有者に臭わせている。

これ以上はあまり推測で言うことは避けたいが、少なくとも電車のほうは非常ブレーキを掛ける行動をとったとされることは、その原因としてこの白い車が関わっていたという可能性はまだ排除できないのではないだろうか。
しかし、この車は早々に撤去されてしまい、現場検証の証拠物として保全された形跡もない。

これもまた奇妙なことに思える。

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JR北海道石勝線事故の不合理とJR北海道社長の自殺に対する疑問

http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/841.html


阿修羅掲示板への次の投稿のコメント06を引用する。

石勝線事故
http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/776.html
投稿者 taked4700 日時 2011 年 6 月 02 日 21:23:05: 9XFNe/BiX575U

以下上の投稿のコメント06 http://www.asyura2.com/09/nihon29/msg/776.html?c9#c6 より引用開始:

06. taked4700 2011年6月04日 17:14:02: 9XFNe/BiX575U : iUHxUxxaDY

乗客は徒歩でトンネル内を約800m避難したようだ。乗客の冷静な判断が生命を救った。

以下、疑問点。

1.トンネル部分の割合がよく分からないが、多分8割を超えることはないはず。確率的には5割以上がトンネルならトンネル内で停車する確率が多くなるが、ともかく、なぜトンネル突入の直前に部品脱落が起き、トンネル内で停車するタイミングになったのか?

2.軽油火災が発生したということだが、軽油は引火点が40度、発火点が250度だ。走行中ならまず発火しない。風によって冷やされるからだ。

3.煙が充満しているのに火災ではなくてディーゼルエンジンの排気だと誤認したと言うことだがこれはありえないと思う。まず、既に電車は止まっている。だから、ディーゼルエンジン自体が動いていないはずだ。次に、自分もディーゼルエンジンの列車が走る地域に住んでいるから分かるが決して昔のSLのように大量に煙を吹くわけではない。ほとんど煙と分かるような排気は出てこない。だから、乗務員が煙をディーゼルエンジンの排気と間違えたことはありえない。それにもかかわらず「車掌も指令も一貫して煙は火災が原因だという認識はなく、指令は『煙が入ってくるのでドアを開けるのを待つように』と指示した」というのは信じられないほど不合理だ。

4.なぜ、「列車がトンネル内で緊急停止した直後、運転室のモニターに「火災」を知らせる表示が出ていたことが30日、JR北海道への取材で分かった。運転士(26)はこの表示を確認していたが、マニュアルに反して同社指令センター(札幌)に連絡していなかった」のか?なぜ、運転手の言い分が事故後数日たった30日でも報道されないのか?

5.緊急停車の15分ほど後の「『午後10時10分ごろ、運転士から「モニターが消え、状況が把握できない』との報告が」指令へ入ったという。この間、「車掌は『運転士が力行(発車)できないと言っている。3号車は煙がひどい』と報告した」というが、なぜモニターが消えたのか?信号系は多分列車の下側にはないのではないか?つまり、列車の下側についていて、今回発火した軽油の燃料タンクとは全く別のところを信号系のケーブルは走っているのでは?更に、モニターが消えた時、その原因をどう推認するように訓練はされていたのだろう?更に「同14分ごろから一時応答が途絶えた」ともしている。通信は多分モニターとは別系統だ。その後復活もしている。なぜ、一時でも通信が途絶えたのか?

6.「止まったのは、トンネルから約200メートル入った地点。トンネル内の処置手順は、火災発生時はトンネル内にとどまらず外に出るよう求めている。運転士は火災は把握していなかったが、煙があったため前進を試みた。だがギアが切り替わらず、車両は動かなかった」となっているが、これはいつの時点かはっきりしない。なぜギアが切り替わらなかったのか?煙は停車後すぐに発生している様子だが、ギアの切り替え系統とは多分火災は関係ないはず。

以上引用終わり。

 福知山線脱線事故が一両目の発見が大幅に遅れたと言われているが、事実ではないようだ。7両編成で6両しか見当たらないことは事故当初から分かっていたはずだし、線路脇のマンション1階の駐車場内も事故直後から救出に入っている方が多くいた。つまり、故意に運転手の方の見殺しが行われ、事故の真相隠しが行われたはずだ。

 JR北海道の社長の自殺も疑問だ。事故の真相調査が滞ることがないように願いたい。尖閣ビデオに関する追求はインターネット上へ流出翌日の津谷弁護士刺殺事件によって全くなされない状態になってしまった。

 脅しに屈することでいつまでも犠牲が続くことになる。上記の疑問の3と4、つまり、事故時の指令と運転手の言い分が確認されているはずだが、それはどうなっているのだろうか?中島尚俊社長は事故時の指令の責任追及をされようとしていた可能性があると思う。そもそも、走行状態で軽油火災が発生するかどうか実証実験をするべきだ。やったのだろうか?

 更に、やはり北海道で起こっている図書館司書の方の失踪事件も不合理だと思う。あまりに失踪が完璧で犯罪の跡が見えない。本当に犯罪があったのかどうか、一種の作られた事件ではないのかとさえ感じる。

*6月8日の記事「近づく戦争・テロ社会、これらの動きを止めるべきでは?」から一連番号を付しています。<<717>>





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欽定満州源流考

「欽定満州源流考」をお読みになられよ。失われたユダヤ10
支族等今日否定されています。

「皆さん自家用車のガソリンを常に満タンにしておきましょう 」

アメリカとそのスパイ日本政府が行き詰まっているのは明らかです。こうなると奴らの常套手段はバカの一つ覚えしかありません。ショックドクトリンです。
RK氏も10月テロを警鐘しています。福一4号機の倒壊も秒読み段階の様相です。
ユダ金はおそらく311と同じ放射能テロを目論んでいるのでしょう。311を教訓にして命てんでんこで自衛することが最も大切なことです。ショックドクトリンが行われたときには自家用車で戒厳令区域を突破して安全な関西方面へ一斉に自力脱出してください。くれぐれも常在戦場で怠りなく備えられますよう。
参考:検事ひからびんの日記さま「てっぱんの上でつながる人たちとそのまわりにある無縁社会」へのコメント
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